七 月夜の狸
皓々と月の輝く夜、シシはお堂を出、境内におりた。招いてもいない来客を感じとったのである。
見ると月影の中、年配の男が立っていた。
「これは
「どうしたッてぇことも……まあ、あるな」
「おやおや。親分さんともあろう狸が歯切れの悪い」
シシは微笑むが、その目は笑っていない。
これは神社の山の脇を流れる沢の中程、通称中沢地区を束ねている化け狸だ。
「最近は、
「ほう、もう噂になっていますか」
きっと自分の目で確かめてから来たくせに白々しく訊く親分に、シシはあっさりうなずいた。
これしきの小さな揺らぎ、神々からはどうでもよい程のものなのだが、なまじ少しの霊力を持つ近隣の
だからと
「あれは、うちの
「そうなのかい。人の子とは感心しねェがな」
「童子は元々、人の屋敷で人と暮らす妖ですよ」
「そりゃあわかってる。だが、ここに入れることはないだろう。神気が乱れて山の生き物が戸惑ってンのよ」
主語を大きくしてみせるが、つまりは中沢の狸が中心でごねているだけのはずだ。そんな繊細な狸ではなかろうが、とシシは内心でせせら笑った。
シシは童子を大切に大切に思っている。健があれこれ言われるのは構わないが、童子にケチをつけられるのは我慢がならないのだった。
「大した乱れでもないでしょうに狸達は敏感だ。だがあの子は私や童子が招いたわけではなく、自らここに入ったんですよ。八年も前にね」
今さら言われても、と匂わせながらシシは親分狸を門前払いしようとした。それでも一応親分と言われる狸である、すごすご引き下がりはしない。
「自分の力で常世に来たなんてな、神の内の人だなァ。会ってみてぇもンだ」
ジッとシシと視線を合わせ、凄んでみせる。シシは鼻で
「ご自由に」
親分は一瞬鼻白んだ顔をしたが、無言でニヤリとして
トトト、と狸は姿を消した。
残ったシシは、明るい月を見上げた。
昔、健と同じようにこの神社に入り込んだ娘がいた。彼女は普通に人の世で生きることを受け入れたものだが、果たしてそれで良かったのかどうか。
「獅子。誰を思い出している」
お堂から姿を見せたのはコマだった。今は人の
「狛犬よ、おまえも想う相手を失くしておれば、わかるだろう」
「童子は忘れ形見のようなもの、か」
「座敷わらしの力で豊かになった山に住みながら、態度がでかい。いっそ童子がどこかに行けば、どうなるのやら」
「嫁にやると?」
「嫌な言い方をするな。普通に家住みの座敷わらしに戻すだけだ」
コマは肩をすくめて月を見た。
童子が来て以来しばらく変わらなかったここの暮らしが、健によって動き始めている。
「狸親父相手にタケルは大丈夫か」
「タケルが童子に相応しい男なら、なんとかなるだろう。なんとかできるくらいでないと困る」
「まるで父親だな」
コマはフッと笑ってクルリと一回転した。そこにいるのはもう、生きた狛犬だ。
「寝るか」
シシも呟くと、クルリとした。並ぶ狛犬と同じぐらいの体格の、白金の毛並みの獅子が出現する。
銀の狛犬と対になって月に輝く様は神々しい。まさに神の使いの狛犬達だった。
二頭は器用にお堂を開けて中に入り、眠る童子に寄り添った。
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