四 名の力


 ある日、たけるが学校帰りに石座いすくら神社に立ち寄ると、童子わらしは手を叩いて喜んだ。


「おおタケル、今日は制服だ。格好よいな」

「ありがとう。ざーさんの着物も可愛いよ」


 今日の着物は黄支子きくちなしの地に紅葉もみじが散っている。

 制服を褒められた健が褒め返したら、童子はボン、と赤くなった。

 中学生男子と座敷わらしの様子をお堂の入り口に腰掛けて眺める宮司と飼い犬、否、一対の狛犬はため息をついた。


「タケルは天然のタラシか」

「子どもと思っているだけだろうなあ。童子は愛らしいわらべにしか見えんから」


 憮然として健をタラシ呼ばわりするコマに、シシが苦笑いする。そのシシの引っ掛かりはまた別のところにあった。


「あの呼び方は続けるのか。座敷わらしさん、だから〈ざーさん〉とは。雑もいいところだ」

「センスが似ているな、あいつら」

「童子でいいだろうに、なんだのかんだの言いおって」


 童子と呼び捨てるのは気が引ける。姿はともかく年上なのだから、さん付けにしたい。でも可愛い姿に似合う愛称がいい。

 ごねた挙げ句〈わっちゃん〉である自分が〈わーさん〉と呼ぶのはどうもなあ、と言って「座敷」の部分を採用し〈ざーさん〉と呼び始めた。なんだそれは、とシシはおかんむりだ。


 狛犬達は互いを「獅子」「狛犬」と呼ぶ。童子を加えても、獅子がシシ、狛犬がコマ、座敷わらしは童子、とほぼそのままに呼び合っているのを健は不思議がった。

 何か名前をつけたりしないのかと言われても、名は存在だから、と答えるしかない。妙な名を名乗れば、存在そのものも歪めかねない。

 それゆえシシは少し怒っていた。〈ざーさん〉などと呼ばれるうちに、童子が変わってしまうことを恐れて。


 健自身は呼び名で人格が変わる感覚はないのだろうか。前の中学で〈和地わちくん〉と呼ばれていた自分と、この町で〈わっちゃん〉と呼ばれる自分。あるいはここで〈タケル〉と言われる存在。すべてが同一人物だと誰が言い切れるのか。


 コマはブルル、と身体を震わせて伸びをし、犬の顔のまま笑った。


「そんな繊細な奴ではなかろう」

「わからんぞ。祖父の死にあって、この常世とこよまで逃げこんだ子だ」

「あの時は身内の死によって境が揺らいでいただけのこと」


 この神社の境内で、生きた人の子を腕に抱いた日のことを思い出し、コマは笑う。

 ひょいと抱くには大きくなった健を見やり、のしのしとコマは子どもらに近づいた。童子と健の話は、どうやら学校の部活動をどうしようということらしい。


「ひろ君は陸上部だけど、僕は運動部って感じじゃないし。でも芸術系とかもピンとこないんだよね」

「部活はやらねばならないものなの?」

「そんなことないけど。やってる子が多いなあ」

「やらなくてよいではないか。それよりもここに遊びに来てほしい。タケルはその、型にはまらぬ、ふんわりやわらかいところがいいのじゃ、おっと、いいんだから」

「童子よ。話し方を誤魔化すのはやめたらどうだ」


 コマが呆れて口を挟んだ。童子はぐっと言葉に詰まり、恨めしそうにコマを睨んだ。





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