三 石座神社の狛犬


「あの、えーと、こんにちは」

「コマさんだよ」


 犬にペコリとした健に、童子が紹介した。なんだか犬がニヤリと笑ったような気がした。


「コマさん。すごく綺麗な毛並みだね。なんていう種類の犬だろう、見たことないや」

「コマさんは犬ではないぞ」


 童子はタタ、と鳥居の脇にたたず狛犬こまいぬに駆け寄った。口を引き結び、うねる豊かな毛並みの石の彫刻。


「これがコマさん!」

「狛……犬……の、コマさん?」


 呆然とする健の足を、靴の上からコマがタシ、と踏んだ。


「ネーミングセンスは許してやれ」

「うわぁっ!」


 犬のような姿のまま話しかけられて、健は飛び退いて尻餅をついた。

 童子が駆け戻るが、それは健を案じてではない。童子は膝をつきコマのくびにギュッと抱きついた。


「コマさんが人前で声を発するとは、面妖めんようなこともあるのう。タケルを気に入ってくれたのか」

「うるさい」


 鼻面はなづらに皺を寄せ凶悪にも見える犬の顔で、それでも童子を振り払いもせずに立つ、狛犬。

 健は身体を起こしペタリと座ったままコマを見つめた。


「口が開いてるぞ」

「わ」


 コマにじろりと睨まれて健は口を閉じた。

 本当に狛犬なのか。生きて動く犬は普通だが、話す犬はそうそういない。

 いやそもそも女の子から座敷わらしと名乗られて受け入れている時点で、他にどんなあやかしだの神様だのが出てこようと健としては認めるしかないのだが。


「タケルもコマさんに触ってみれば」

「え」


 童子に誘われて、健はギョッとしてコマを見た。何も言わないが嫌そうにもしないので、恐る恐る手を伸ばす。


「失礼します……」


 肩口の豊かな毛並みに手を触れると、これは極上のモフ感だ。

 健の表情が輝いたのをチラリとし、コマの口の端が自慢気にピクリと動いたのを童子は見逃さなかった。まったく、面倒くさい奴じゃ。


 健がコマを遠慮がちに、だが嬉しげになでていると、お堂の戸が開いた。乳児を抱いた母親と寄り添う父親が、若い宮司に送られて出てきた。何かのご祈祷だったのだろう。

 石段近くで妖達とじゃれていた健は焦った。何か見咎みとがめられたらどう言えばいいのか。

 だが一家は石段をおりることなく、お堂の裏手に回って小笹の籔の中にスウッと消えてしまった。それを見送って、宮司がこちらを振り向く。


「タケルは狛犬と仲良くなったのかい」

「え……」


 優しげな宮司はこの二人と一頭がなんなのか、すべてわかっているようだった。

 安心したが、仲良くと言われて健はまごついた。まだそれほどのものではない。


「やっと触らせてもらえただけです」

謙譲けんじょう美徳びとくだな」


 言い置いてコマはプイと行ってしまった。お堂の階段まで歩いて悠然と座る姿が堂々として美しい。それを見やりながら宮司は健に近づいた。


「そうやって喋るだけでも十分打ち解けているよ。大きくなったねタケル。私は獅子。狛犬の相棒だ」

「え……てことは」

「シシさんは、これ!」


 おっかなびっくり振り向く健の視線を受けて、童子がもう一体の狛犬まで駆け、指差した。

 口を開け、やはり毛並みが精緻な石の像。


 は獅子。口を開け、物事のはじまりを示す。

 うんは狛犬。口を閉じ、物事の終わりを示す。


 対になるこの二体は、合わせて「狛犬」と呼ばれている。








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