第9話

不本意な婚約をしてから、もうじき一年。

レナードはメルロ国にいた。

商売の為・・・と言う建前を掲げ、セシリアに会いに来ていたのだ。

勿論、レニー商会の代表者として商品を薦めにというのも、間違いではない。


「セシリア様、本日も変わらず美しい。貴女の微笑みは私の生きる糧となっております」

そう言いながら、セシリアの手を取りその甲に口づけた。

ささやかな触れ合いではあるが、慣れる事のないセシリアは「ありがとうございます」と言いながらほんのりと頬を染めた。

そんな彼女を見て、レナードの顔は緩みっぱなしだ。

彼をよく知る商会の人間が見れば、そのだらしない顔に驚愕すること間違いなしである。

お互い桃色の空気が漂う様な挨拶が終わると、向かい合うようにソファーに腰かけた。

一応、レナードには婚約者がいるので、過度な接触はしないように心がけているのだが、気持ち的にも中々に厳しいものがある。

レナードはセシリアが好きで好きでたまらない。

今日の訪問も、二十日ぶりだ。本当は、毎日でも会いたい。

だが、今は婚約破棄に向けて計画を進行中の為、とにかく隙は見せられない。

それが例え自国ではなく他国であってもだ。

本当は、抱きしめたいしキスもしたい。

ずっと手を握り合ってデートもしたい。

セシリアに会うたびレナードの頭の中は、桃色の煩悩で大変なお祭り騒ぎになっている。

それはレナードだけに限らない。セシリアも同じなのだ。


セシリアはその容姿と家柄から、大変モテていた。

本来であれば他国の王家との婚姻も望める立場にあるのだが、ハロルドとサンドラがそれを許さなかったのだ。

子供には自分たちと同じ愛する人と結婚してほしい。身分が低くともある程度の所までは許容するつもりで。

そんな両親に守られてセシリアは優しくも真っ直ぐな、そして美しい女性へと成長していった。

性格も穏やかさの中にも芯が強いという、父親であるハロルドに似た事に周りはホッと胸を撫でおろした事は言うまでもない。


両親のガードが堅かったこともあるのだが、周りの友人達が次々に婚約や結婚をしても、セシリアは焦る事も羨む事もしなかった。

元々、セシリア自身があまり殿方や結婚に興味を持っていなかったからだ。

これまでも、夜会やら茶会やらで沢山の男性に言い寄られてはきた。

だが、誰一人として彼女の心を動かす人はいなかったのだ。

それなのに、ほんの一瞬目が合っただけだったのに。下手をすれば勘違いで済ませてしまいそうなほどの一瞬。

会場でレナードを見た時は、なんて綺麗な方なのだろうと思った。

それは、誰もが思う感情でありそれ以上でもそれ以下でもなかった。

なのに、本当にあの一瞬で全てが変わってしまったのだ。

今、冷静に思い返しても、とても不思議な感覚だったと思う。

そして、恋をした瞬間に失恋。突然の絶望から立ち直ることができそうになかったのに。

レナードが自分と同じ気持ちだったのだと知った瞬間、どれだけ嬉しかったか。

だが彼は婚約したばかり。どこか背徳感もあることは否めない。

それでも彼が好きだった。

レナードは時間を見つけては、会いにきてくれる。

セシリアをイメージして自らデサインしたのだと、新しいアクセサリーを作ってはプレゼントもしてくれる。


会うたびに愛しさが込み上げてきて・・・嬉しいのだけれど、お別れする時には、それ以上に寂しくなるのよね・・・

それに、お互いの立場があるから仕方がないのだけれど、あまり触れても下さらない・・・

メーガン様とは、もっと触れ合っているのかしら・・・・婚約者ですものね・・・


ついつい、そんな事を考え感情の浮き沈みが激しくなるのだ。

信じていないわけではない。

でも、どこかで信じ切れていなくて、婚約者がいるのになぜ私を・・・という、色々な考えが浮かんでくる。

いわば、自分は待つ立場。

まるで小説か何かの、浮気相手のような立場だと考えてしまって、落ち込んでしまうのだ。

そんなセシリアの心の機微を拾ってくれるのも、レナード。

頻繁に会う事もかなわないのに、セシリアのちょっとした表情の変化にも気づき、言葉を尽くし不安を取り除いてくれる。


それでもやはり、人はわがままで貪欲な生き物なのだろう。

満足に触れ合う事も出来ず、不満ばかりが募っていく。

だけれど自分で納得し望んだ事とはいえ、今現在の立場を考えれば我儘は言えない。

ただ、隣に座って欲しいだけなのに・・・とも。


そんなセシリアの心中などお見通しのレナードは、もう少しで婚約破棄ができるかもしれないと、嬉しそうに笑った。

邪気すら感じられないその表情を見る度、セシリアの心臓はこれでもかというほど高鳴るのだった。

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