一角兎の捕まえ方(4)
「――話が違うんじゃないか?」
その声は最早心を失っていた。誓約書にサインをしたときの勢いと自信はどこへやら。アレンは内蔵の奥がきゅっと痛むのを感じながら、隣にいるナオミにそう問いかけた。
「ま、まあ。研究所には違いないし」
流石のナオミも気の利いた言い訳を思いつくこともできず、苦笑いを浮かべていた。
あの日からおよそ一か月が経ち、ついに『魔獣園計画』始動の日を迎えた。
魔獣園設営の予定地となるのは、首都グレンダールの南西に位置するカナレア平原という場所だった。乾燥地帯で農耕にはやや不向きであるものの、手付かずの広大な土地は新たに施設を造る場所としては最適だった。
その平原を見渡せる小高い丘に、本拠地となる研究所が位置する。
もっとも、研究所という呼び方にはいささかの語弊が生じるわけだが。
「おっかしーとは思ったんだよ。あれから一か月でそんな立派な建物が建つわけねぇって」
アレンは眼前の建造物を見上げながら溜め息を吐く。
見るからに豪奢な建物だった。ただし、建造からかなりの年月が経っていることは明らかだった。永らく人が住んでいた気配はなく、外壁のレンガに蔦が蔓延り、窓には蜘蛛の巣が張り巡らされていた。建物の一部はドーム状の屋根になっている。
「レストン候の別荘兼、天文観測所。これを研究所と言い張るのは、海に棲んでるからクラゲも魚だって言うのと一緒だぞ?」
「ほらでも、必要な設備は後から手配するって――」
「当ったり前だ。つーかそれよりも先に建物の整備をしろよ! 一か月あったんだぞ!」
そう喚いても仕方がない。
何事も上手くいかないのは最初から分かっていたことである。考えようによってレストン候が本当に場所を提供してくれたことを感謝すべきかもしれない。
「まあまあ。中の方は先にスタッフが整備してくれてるみたいだし」
胸に不安を抱きながら首を振り、研究所となる屋敷に向かって歩き出す。無駄に大きな扉を開くと同時に快活な声が発せられた。
「お待ちしておりました、アレン・シュネイガー室長!」
見ると、軍服に身を包んだ金髪の少女が出迎えていた。
「サラ・レストンです。よろしくお願いします!」
初々しい仕草で敬礼をする。見た目からしておそらく十代後半だろうか。傷汚れひとつとして無い制服が、彼女が経験の浅い新米だということを如実に表していた。
「レストンってまさか……?」
「そのまさか。レストン候のお孫さん」
疑問の表情を浮かべるアレンにナオミが耳打ちする。
「計画を聞いて、参加したいって候にお願いしたみたい」
「ああ。コネってやつ?」
「言い方言い方」
「とりあえずアレンの助手的な? 感じでやってもらうからよろしく!」
初耳である。
「えーと。じゃあレストン……じゃややこしいか。よろしく、サラ」
「はい! 室長の右腕として誠心誠意頑張らせていただきます!」
ふんす、と鼻息荒く両手でガッツポーズを見せる。やる気があるのは結構なことだが、それが逆に空回りを起こさないかアレンは少し心配になった。出資者の身内となれば露骨に邪険にもできない。扱いに困るようなことにならなければいいが。
「みなさん既にお集まりです。こちらへどうぞ」
二人を先導するサラ。建物内のあちこちでは掃除をしたり荷物を運び入れたりしているスタッフの姿が見て取れる。
慣れた足取りで廊下を歩く少女だが、考えてみれば不思議ではない。
「ここに来たことがあるみたいだな」
「はい、幼少期に何度か。親戚の会合みたいなのがあったんです。最近は別の場所でするようになったんですけど……」
やっぱりか、とアレンは頷いた。こんな立派な建物を造っておいて誰も招待しないわけがない。ただ、立地があまり良くないのと維持費の問題かなにかで段々忘れ去られるようになっていったのだろう。今回の件で有効利用できるのならできるなら越したことはないという腹積もりだろうか。幸い、寝泊まりする場所には困らないようなので利用させてもらうとしよう。
「こちらです。どうぞ」
言いながら少女は案内された部屋の扉を開ける。中は会議室のようだった。恐らくは建物が研究所に用途変更になる前から会議室として使われていたのだろう。大きな長机とそれを取り囲む椅子。その椅子に三人の人物が腰かけていた。彼らはアレンの姿を見て立ち上がり敬礼する。
「ドズ・ダストンだ」
大柄な中年男性が口を開いた。えらの張った四角い顔の男性で、丸太のように太い手足、厚い胸板――見るからに肉体労働が得意と言った感じだった。
「土木建築工事をはじめとした技術班の主任だ。魔獣のことも魔導のこともさっぱり分からんが、まあよろしく頼む」
「わしはラビ・クレイマンじゃ。よろしくのう」
続けて隣に居た老人が、真っ白になった髭をいじりながら言う。
「クレイマンさんは魔獣研究の第一人者とも言えるすごい人なんです」
隣からサラが付け加える。なるほどだからか、とアレンは納得した。この老人からなんとも浮世離れした雰囲気を抱いていたのだ。魔獣の研究なんかするくらいだから余程の変わり者なのだろう。
最後にもう一人、眼鏡を掛けた青年が姿勢を正す。
「セト・ウィラックです。魔導研究主任を務めます。どうぞよろしくお願いします」
やや緊張感を隠せない様子で言った。見た目は二十歳そこそこといったところだろうか。察するに、実績と経験のある魔導士はこんな計画には駆り出せないという中央の意思表示だろう。この青年も真面目ではありそうだが経歴か能力、どちらかが欠けているのだろうとアレンは思った。
そしてそれは他の二人にも言えることだろう。
そもそも技術職の身分は高くない。見るからに現場労働に従事してきたダストン氏が中間管理職に抜擢されるのは異例とも言える。クレイマン老人にしても、第一人者とはいえ魔獣研究は今の学問の主流を外れている。半分隠居しているような在野の研究者といったところだろう。
この人選にレストン候が絡んでいるとするのならば、計画が失敗した時のリスクを最小限にとどめようとする彼の慎重さが伺える。本当に失敗できない計画ならば、自身の身内も含めて能力と実績と権力のある人間を推薦するはずだ。結局のところ候が送り込んだのは社会経験に乏しそうな孫娘一人に留まった。
とは言え。
計画の全てをアレン一人で運営するには無理がある。技術職に関しては知識を借りるしかないし、魔獣や魔導の研究も常に見ていられるわけではない。各分野にそれを取りまとめるリーダーは不可欠なのだ。それが例え、寄せ集めだったとしてもだ。
「はいはーい。事務主任のナオミ・アーゼインです。よろしくお願いしまーす」
緊張感の無い自己紹介をするナオミ。この女に金の管理を任せていいものなのか、アレンは今更になって不安になっている。
ナオミから視線を外し、三人に向き直る。
「はじめまして。ご存知でしょうが、アレン・シュネイガーです」
一応、といった様子で自己紹介する。それからみんなに着席を促し自分も席に着く。ナオミとサラの二人も、それぞれ席に着いた。
「さて。では第一回魔獣園計画会議を始めます」
ぱちぱちぱち、と気の抜けるような拍手を誰かがした。アレンは一度咳払いをして、会議の雰囲気を元に戻す。
「とは言っても、簡単な計画概要の確認くらいだ。まあその計画も、脳天がお花畑みたいな奴が考えたみたいな杜撰なもので、計画変更を余儀なくされることは明白だがな」
「えーっ! 一所懸命考えたのにー!」
「馬脚を露すな。僕が恥ずかしいだろ!」
言ってアレンは鞄から束になった書類を取り出し机の上に置く。
「まず運営本部。一応、名目上は軍の直轄の組織となる。ただしこれは便宜上の処置で、役職も肩書もこの中だけのものであり、他の部署では通用しないものと思って欲しい」
これはレストン候の計らいである。国家資金を捻出するために、公的な組織として扱うことにしたのだ。とは言え名目上のものであり、上が解体しようと思えばいつでも解体できるということも意味する。
ちなみに国立研究所に従事する魔導士も立場上は軍人である。
「最高責任者は僕、アレン・シュネイガー。まあなんて呼んでもらっても構わないが、一応肩書上は室長となる。ただし、これは計画に関して絶対的な権力を持っているということではなくて、なにか問題が生じた際の責任を押しつけるための名ばかりの役職だと認識してもらいたい。とは言え、計画成功のために尽力するつもりではあるので、是非ともみんな協力して欲しい」
頷いたり、腕を掲げたり、各々で同意する態度を見せる。寄せ集めではあるが、少なくとも協力的ではあるようだ。
「それで、計画について大事な点が一つ。……完成までの期限が一年だ」
言って、アレンはナオミを睨みつける。それは抗議の意思表示だった。
「これについては変更できない。ナオミ、説明をどうぞ」
「ええーっと……」
彼女は眼を逸らしながら頭を掻く。
「もともと魔獣園の目的は周辺諸国に『ゼルギオン』の国力を誇示するものでありましてぇ。丁度一年後、各国の要人を招いた国際会議が開かれる予定なので、せっかくだからそれに合わせて園をお披露目したいなーっていう魂胆が……」
国際会議は魔獣園計画よりも先に決まっていた。日程の変更はできない。よって、魔獣園計画はそれよりも先に完遂させる必要があるのだ。逆に言えば期限内に完成する見込みがないと判断されればその時点で組織は解体される。
「工期が足りなくなるのは避けねぇとな」
太い腕を組みながらダストン氏が言う。
「屋敷だろうが檻だろうが技術的に可能なものなら仕上げる自信はある。ただし時間があることが前提だ。だが事前に聞いた話じゃ、現時点でどんな設備が必要か分かってないみたいじゃないか」
「……仰る通りです」
静かに首肯する。
「現時点では魔獣に関する研究が不足しています。どのようにして魔獣を飼育し、観覧者の安全を確保した上で展示するにはどうすればいいか、今後の研究に掛かっています」
「牛や羊みたいに柵だけ打ち付けて囲うだけじゃだめなのか?」
「勿論、その方法で飼育可能な魔獣もいます。ただ魔獣の種類は多岐に渡ります。それぞれの特性にあった環境が必要なのです」
少し考えた後、ダストン氏は「そりゃそうだ」と頷いた。
「できる限りの協力はする。『こんなものが欲しい』と言ってくれれば考えてやる。だが無理なものは無理だとはっきり言う。絶対に壊れない檻なんてものは存在しないからな」
「ありがとうございます。設備に関しては魔導の方でもフォローできるでしょう。セトくん、よろしく頼む」
「は、はい」
急に話を振られて青年はびくりと身体を硬直させる。
「クレイマンさんもです。そもそも魔獣が飼育可能なのか、あなたの知識をお借りしたい」
「あの……」
髭を撫でる老人の脇からすっと少女の手が伸びる。
「そもそもの話なんですが。『魔獣』ってどんなものを指すんでしょうか?」
「…………」
一瞬、部屋中を沈黙が包み込む。
マジかこいつ。いや、考えれば不思議なことでもないのかもしれない。祖父は国内政治に顔が利くレストン候だ。何人いる孫の一人かは分からないが、彼女とてこれまで何不自由なく暮らしてきた身分に違いない。それならば、都会から碌に出ずに野生生物を目の当たりにしなかったとしてもおかしくはないのかもしれない。少なくとも普通の動物と魔獣の区別がつくほどの関わりは無かったのだろう。
とはいえ、自分が関わろうとしているプロジェクトの根幹が分かっていないというのはどうなんだという思いは無いでは無いが。出資者の身内を怒鳴りつけて臍を曲げられても敵わない。
アレンは一度息を吐き心を落ち着かせる。
「あー。じゃあセトくん解説よろしく」
「自分ですか!?」
面倒になって若輩者に話を投げる。年若い魔導士は自分の名前が呼ばれる度に身体を硬直させた。それはそれで不安になる。彼は少し左右を窺った後、意を決したように一度咳払いする。
「端的に言えば『魔獣』は魔力を有した動物のことです。魔力を生態活動に行使し魔導に似た能力を持ちます。例を挙げるなら火を吹いたり、空を飛んだりなどですね。魔力含有量の多寡にはかかわらず魔力を有しているなら全て魔獣と分類されるため、人間への影響が小さいものから大きなものまで多岐に渡ります」
「この辺だと
ああ、と思いついたようにサラはあんぐり口を開ける。
「見たことあります。あれも魔獣なんですか?」
「人間に危害を加えることは殆ど無いから注目されないけどな。あの角は外敵から身を護る為のものではあるがそれだけじゃない。別の個体と角を擦り合わせることで記憶や感情など情報を伝達することできると言われている。五感を用いない情報伝達は、立派な魔導の一種だ」
「はえー」
「……で、あってますか? 翁?」
念のためにアレンは老人の方を向いて確認する。老人は「うむ」とだけ頷いた。
魔獣を扱うことになって、できる限りの知識は事前に叩きこんでいたのだ。だが魔獣に関する文献は数少なく、誤った記述も多い。細かな間違いはその都度修正していくに越したことはないだろう。この老人が常に正しいという保証はどこにも無いのだが。
「一角兎を捕まえるのはそれほど難しくない。ニンジンなど餌でおびき寄せれば割かし簡単に仕掛けに嵌ってくれる。魔獣に慣れる為にも何匹か捕まえてみてもいいかもしれないな」
そういえば、つい先日まで赴任していた村ではニンジン農家もあったことをアレンは思い出した。飼料として手配するのもありかもしれない。
「なんだかそうやって聞くとなんだか身近に感じますね」
サラは無邪気な表情で言う。
「まあ奴らも自然の一部であることに違いはないからな」
「それもそうですが。だって、魔力があるかどうかが違いって言うのなら、普通の人と魔導士との違いとそう変わらないですもんね!」
「…………」
どきりとした。何故かは分からなかったが、一瞬背筋が凍るような気分がした。
「いえ、それは違いますよ」
冷静な口調でセトが口をはさむ。
「魔獣と動物の差は歴然です。例えば一角兎とノウサギは全く別の種です。起源を辿れば同じだったこともあるかもしれませんが、現在では交雑することはないと言われています。それに対して、我々は魔導士であろうとなかろうと同じ人類です。あと、勘違いされてると思うんですが、例え魔導士でなくとも人類はみんな魔力を有しています。
やや怒りを露わにしているようだった。無理もない。サラは悪気があったわけではないだろうが、あの言い回しでは魔導士が魔獣と同類だと言っているようなものだ。
「す、すみません……」
「い、いえ。謝って頂くほどのことでは……」
あからさまにしゅんとした様子の少女の姿を見て、セトは慌てて取り繕う。やや配慮に欠ける発言だったにせよ、口厳しく応対した自分自身に罪悪感を抱いたのだろう。
しかし、アレンはこの若い魔導士を責めるつもりにもならなかった。おそらく彼は自分に近い境遇にあると思ったからだ。大戦を経て、今でこそ魔導の重要性を誰もが知る時代になったが、それまでは魔導士に対する偏見を持つ者は多かった。人とは違う力を持つことは、たびたび謂れのない迫害の原因となった。そして依然として、その意識は完全に途絶えたわけではない。些細な発言に機敏に反応しても仕方ないのだ。
そしてそれこそが先程アレンが感じた悪寒の正体だった。
魔導士と魔獣は似たようなもの――彼女は決してそう言いたかったわけではないだろうが、他でもない自分自身がそのことを如実に証明してしまっている。
アレンは天井を仰ぎ静かに息を吐きだす。
少なくとも、レストン候にとって自分は魔獣と大差ない。
餌を目の前にした一角兎が如く、いとも容易く捕まってしまったのだから。
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