一角兎の捕まえ方(3)

 魔導の技量がその国の行く末を占う。

 大戦にて魔導の力によって勝利を収めた大国ゼルギオンはそのように考えた。

 それと同時にある懸念を抱いていた。もしも、他国が自国以上の魔導を有してしまったら――と。

 希望を言えば魔導を自国だけで独占したかった。その為に様々な手段を講じた。最初から国に協力的で、貴族らとも親交のある特定の魔導士は優遇し研究施設で監視した。離反や裏切りの兆しを見せた者は秘密裏に粛清したりもした。そしてそのどっちつかずのものについては保留とし、およそ力を発揮できない僻地に左遷した。

 それでも人の流出は抑えきれるものではない。地位や名誉や財産といったあらゆる誘惑を以てして、国内の魔導士が他国に引き抜かれるとも限らない。

 それに、先の大戦では一歩先を進んでいたゼルギオンの魔導も、いつまでもその地位を保証されているわけではない。いつ技術革新が起きるかは誰も分からないからだ。

 当然とも言える懸念とも言えるが、その結果としてなにが齎されるか。

 答えは過剰な兵器開発である。

 互いに相手の国に出し抜かれないよう魔導の力をより強力に効率的に活かせる兵器を開発する。その技術力を誇示することで抑止力にもなる。

 しかし少し考えれば分かることだが、仮に強大な二国の間でそのシーソーゲームが繰り広げられた場合、その開発には歯止めがかからなくなってしまう。

 際限なく無限に、より強力な、より広域に影響を及ぼす兵器の開発に準じてしまう。

 そして、やがていつか世界そのものを滅ぼしかねない規模にまで――。

 そうしてやっと人類は間違いに気づくのだろうか。人類にはとても御せない力に手を出してしまったと。

 正直なところ、国が魔導研究に乗り出した時、その危険性を思い浮かべた権力者や研究者は少なからずいた。とはいえ、敵国は否応なしに兵器開発を進める筈だと脅されれば、抑止のために力を備えることは正当性があるものだと納得できた。反対の声を叫ぶのは憚られた。

 だが、不安を抱いていた者たちは微かな希望を捨てきれなかった。今なら――魔導の力の大半をゼルギオンが保有している今ならば、無益なチキンレースを始める前に舵を切ることができるのではないのだろうか。

 そしてその希望は突如として姿を現す。

 少し空気の読めない一人の女性によって。

「――魔導技術を誇示するのに、なにも兵器である必要はないと思うんです」

 国の権力者たちが顔を揃える会議において、彼女は怯む様子もなく堂々とそう言ってのけた。

「まだ誰も成し遂げなかった――やろうとも思わなかった偉業を、我が国が最初に果たすのです。それでいて、馬鹿馬鹿しいくらいに無意味なものが好ましいです。周りの国が『なんでそんな余裕あんの?』って思って我が国の底知れなさに勝手に恐れおののくような!」

 滔々とうとうと演説を続ける女性を、周りは黙って眺めていた。静粛に耳を傾けていたわけではなく、予定になかった人間が突然突拍子の無い演説を始めたので呆気に取られたという者が殆どだった。

 そんな異様な雰囲気は一切気にも留めず、彼女は続ける。

「そこで! 私は一つのプロジェクトを提案します! 世界に蔓延はびこる厄介者、魔獣の展示展覧を目的とした娯楽施設――名付けて魔獣園の設営です!」

 しんと静まり返る室内。その大半は彼女の言葉を理解できていない様子である。次第に辺りはざわめき出す。

 その時、扉が勢いよく開かれ一人の男が乱入した。

「コラーッ! こんなことを許した覚えはないぞ、ナオミー!!」

「げぇ! お父様!」

 突如現れた男はナオミを羽交い絞めにして部屋から引き摺り出そうとする。会議室がにわかに慌ただしい空気に包まれる中、近くにいた者がこそりと手を挙げる。

「アーゼイン卿、そちらはご息女で?」

「ええ、はい。愚娘がご迷惑をお掛けしまして……」

 娘を羽交い絞めにする腕に一層力を込めながら、男は申し訳なさそうに答える。

「いや。僕は興味深いと思ったよ。もう少し話を聞きたくてね」

「えっ?」

 不意に力を弱める。その腕の間をするりとナオミが抜け出す。

「本当ですか!? レストン候!?」

「お辞めください! そんな小娘の世迷言に耳を傾ける必要はありません!」

 レストン候と呼ばれた、初老の男性は白髪交じりの頭を撫でながら朗らかに微笑む。

「とても勇気ある発言だと思う。彼女に訊きたいことがあるのだけど、いいかな?」

 そう言って彼は室内を見回す。その場で反対する者は出て来なかった。

 ナオミは爛々と目を輝かせ、その父は呆けた様子で脱力していた。

「魔獣園、と言ったかな? それはどんなものかな?」

「はい! 普通の手段では手が付けられない魔獣を、捕獲して飼育し、展覧する施設です!」

「なるほど。娯楽施設でありながら学問的な研究も兼ねられそうだ。確かに、そんなことは未だかつて誰も成し遂げようとも思わなかった。国力を誇示する方法としては一考の価値はあるかもしれない。しかしそれを実現するには、それなりに魔導に関する知識と技量を要することになるけど、君はそれらを持っているかい?」

「いえ。私は魔導はからっきしです!」

 きっぱりとした返答にレストン候は苦笑を浮かべる。

「うーん。それは困った。国内の魔導士は殆ど研究に従事してもらってるから、新しい試みに割ける人員の余裕は無いんだ」

「それなら心配ありません!」

「ほう?」

「国内にいて、重要な職務に従事しておらず、尚且つ超優秀な魔導士に心当たりがあります!」

 会議室内がにわかにざわめく。そんな人物がいるのかという懐疑心と、もしかしてという期待感を好き勝手に呟く。

 その声を代表するかのように、老人は問う。

「その、人物とは?」

 ナオミはひと呼吸を置いたあと、その名前を高らかに告げる。

「アレン・シュネイガーです!」


――――――。


「冗談じゃない!」

 一通り話を聞いた後、アレンは怒りに任せて机に拳を叩きつけた。

「なーに勝手に人の名前出してんだ、この脳天お花畑が!」

「私思ったんだよねぇ」

 怒気を露わにするアレンには一切怯むことなくナオミは続ける。

「今まで誰もできなかったことをやってみようって。そしてそれは誰かを傷つけるようなものじゃなくってむしろ、誰かを楽しませるようなものにしようって」

 それで思いついたのが魔獣園、と彼女は胸を張る。

「でもよくよく考えたら私魔獣の知識って無いじゃない? 魔獣に対してなら魔導の心得も必要じゃない? って考えたらある一人を思いついたってわけ」

 さっとナオミは親指を立てて見せる。

「アレンならイケるって!」

「イケねぇよ!?」

 再びアレンが机に鉄拳を振り下ろす。ナオミの背後でケインが腹を抱えて笑い転げているのが見えて一層彼をイラつかせた。

「ていうか、そんな無茶な企画が通るはずないだろう?」

「いや通ったよ?」

「通ったんかい!」

 思わず椅子から転げ落ちそうになる。

「レストン候が後押ししてくれてね。どうも前から『魔導の平和的利用』を推奨しようとしてたみたいなんだ」

 魔導は兵器にあらず。数いる権力者の中にはそう提唱する者も少なからずいた。破壊の為としてではなく、人々の為に魔導という叡智を有効利用することはできないか。そう考える一派の筆頭が、なにを隠そうレストン候であった。

「ただし条件付きだけどね」

「条件?」

 うん、とアレンの問いに対してナオミは頷いて、先程机の上に置いた紙面を指し示す。

「条件その一『計画の最高責任者をアレン・シュネイガーとする』。この書面はその誓約書だよ」

 誓約書、という言葉に眉間の皺を一層強めながら書面の文字を目で追う。書面の最後には、名前を書き込む空欄がある。

「……なぁるほど」

 それから苦笑いを浮かべながらアレンは頷く。

だぁ? 大層な理想なお持ちなこって。口では言いつつも、魔導を軍事利用する派閥とは正面切って争うのはご勘弁のようだ。ていのいい魔導士を責任者に祭り上げ、失敗したら失敗したで蜥蜴の尻尾切りの如く切り捨てる算段か」

「ま。レストン候からすればできるだけリスクは軽減したいわなぁ」

 ナオミの横からケインがぬっと身を乗り出し書面を覗き込む。

「その点アレンは卿からすれば面識もないいち魔導士だ。ダメもとで躍らせてみて成功すれば儲けもの。失敗しても自分の責任が問われることはなく、むしろ計画を後押ししたことは同派へのアピールになるってか」

「くだらん政治利用をされるのはまっぴら御免だ。誰がサインなどするものか」

「えー。そんなぁ……」

 不服そうにナオミが肩を落とす。

「まあまあ。そう気を落とすなよナオミ。やってくれって言ってもすぐ応じる相手じゃないさ。頼む以上はメリットを提示しなきゃだ」

「勿論、やりが――」

「遣り甲斐以外でだ」

 ナオミの言葉を先回りしてアレンが打ち消す。

「今時遣り甲斐なんぞで腹が膨れるか。あと地位と名誉もいらんからな。金だって、今の僕は一生食うに困らない生活をしているんだ。余程の額じゃなきゃ心は動かんぞ?」

「えー。じゃあ逆にアレンはなにが欲しいのさ?」

「…………」

 不意の質問にアレンは沈黙する。

 ――自分の欲しいもの?

 そういえば永らくそんなこと考えてこなかった。もともと物欲があったわけではない。高価な装飾品や宝石を欲しいと思わなかった。家や食事にしたってある程度満足できればそれ以上は望まなかった。本を蒐集する趣味はあるにはあるが、仕事の報酬としは相応しくないだろう。第一その趣味にしたって時間が余っているからやっているようなものだ。

 だとするとなんだ?

 なんであれば自分は納得できるのだろうか。

「……研究室」

 長い沈黙の後、絞り出すようにしてアレンは呟いた。

「研究室が欲しい。国営の、監視された施設じゃなくて。俺が、俺の為に没頭できる研究室が……」

「アレン、お前……」

 その胸中を聞いたケインは、言葉を失った。

 ――今や魔導の研究は特定の施設の特権だ。

 遠くを見つめながら呟いた言葉を思い出す。どれほどの気持ちでその言葉を口にしたことだろうか。仕事とすらまともに呼べない閑職に就かされ、なにも成せないまま無為に生を永らえる。それがどれほど虚しいことなのか、考えたことがあっただろうか。

 先程は、今の境遇に満足していると強がってはいたが。

 なにかに打ち込みたいと思う気持ちは消えてはいなかったのだ。

「なあんだ」

 ナオミは安心したように胸を撫でおろす。

「それならすぐ手に入るよ?」

「は?」

「だって当たり前じゃん。魔獣を飼い慣らすのに、色々と研究は必要でしょ?」

「け、計画の為に研究室を提供してくれるってことか!?」

「うん」

 ケインの質問に、ナオミはあっけらかんと答える。彼はふとアレンの方に視線を飛ばす。

「…………!」

 彼の瞳に、光が灯っているのを確かに見た。

 しかしアレンはすぐに目を閉じ首を振る。

「いや、駄目だ。こんな不確かな計画を安易に鵜呑みにすることはできん!」

「アレン……」

「第一、魔獣の研究なんて初歩の初歩からさっぱり進んでいないんだぞ? 生態はおろか食性だって判明していないものも多いんだ。それを飼育して展示? そんなことできるはずない!」

「だーかーら。それをできるように調査して研究しようよって言ってるんだって!」

「…………」

 揺れている、とケインは思った。無為だが確かな平穏と、危険だが濃密な激動と。どちらの選択が自分にとって正しいことなのか決めあぐねている。自分の目をまっすぐ見られないほどに。

 先程からアレンの視線は、机の上から天井、書棚からケインの顔と落ち着きなく動き回っている。端的に言えばそわそわしている。

「……アレン」

 静かにケインはそう呼び掛けた。

「やってみたらどうだ?」

「ケイン……」

「やっぱりお前に隠居生活は似合ってないって。頭使って、身体も動かして、あーだこーだってせわしなく暴れまわってる姿が本当お前なんだ。このバカとのやり取り見て気づいたよ。今のお前、すごく活き活きしてんぜ」

「…………」

 彼は俯く。今までとこれからと。実利と感情と。なにが大事で、なにが必要なのか。見えない秤にかけながらたっぷりと考えて。

 そして。

「うがーっ!」

 突然奇声を上げて頭を掻きむしったかと思えば、羽ペンに手を伸ばし誓約書に自分の名前を乱暴に書きなぐった。

「アレン!」

「レストン候に伝えろ」

 サインを終え、誓約書を突き出しながら彼は言う。

「成功の暁には研究所の継続使用を約束しろ。運営資金と研究員もセットでだ。あと研究内容にも口出しするな。それさえ頷いてくれりゃ――」

 アレンが不敵な笑みを浮かべる。その瞳に力強い光が籠っていた。

「天才魔導軍師の本領、見せてやる」

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