一角兎の捕まえ方(2)

 窓の外に広がる空を、白い雲がゆっくりと流れてゆく。

 冬が過ぎ、春の訪れを感じさせる陽気に、アレンは一度大きなあくびをした。

「暇そうだな」

 声がした方を向く。

 開けっ放しにされている扉の傍に、大柄な男が立っている。

 アレンは椅子の背もたれに預けていた身体を起こす。職務中にも関わらずぼんやり窓の外を眺めてあくびをしていたのだ。咎められても仕方ない。しかしその男は怒る様子はなく、その浅黒く焼けた肌に対照的な白い歯を見せながら笑みを浮かばせる。

「かつての魔導軍師も今や見る影もなく、ってところか?」

「お前こそどうなんだ、ケイン? 憲兵がこんなところでサボりか?」

「ご心配なく。一応名目上は警邏パトロールということになってる」

 悪びれる様子もなくケインは来客用のソファに腰かけた。

「第一、このリーネ村で俺が出動しなきゃならない事件なんてそうそう起こらんさ。ここ最近の一番大きな仕事と言えば飯屋の夫婦喧嘩の仲裁だったそうだからな?」

「人より家畜の方が多い田舎だからな。だが平穏に越したことはないだろう?」

「違いない」

 言ってケインは大袈裟に肩をすくめて見せる。

「しかしお前はどうだアレン? 先の大戦ではそこそこの戦果を挙げて勝利に貢献した若き魔導軍師様が、こんな僻地で『魔導局』なんていう名ばかり閑職に就かされている」

「一応、仕事はしてるさ」

「ほう。例えば?」

「魔獣による家畜被害があってな。出没報告のあった何箇所かに魔獣除けの結界を施した。一応、被害件数は二割ほどに減った」

「それいつの話?」

「一昨年」

 無表情でアレンは答えた。ついでに言えばその一件は彼がこのリーネ村に着任してすぐのことでもある。それから度々結界が機能しているか確認はしているものの、それ以外におよそ大きな仕事と呼べるような業務を行った憶えがない。

「そんで。役場の一室に形だけの事務所構えて、日がな一日空を眺めてるって?」

「流石にそれはない。僕も暇になれば本を読む」

「それは仕事をしてるとは言わないんだって」

 呆れながらケインは部屋を見渡す。村役場の二階に設けられた部屋は、建物の中でも最も狭い部屋でもある。それもそのはず、魔導局という名ばかりの部署に所属しているのは局長アレンただ一人だからである。窓際に置かれた彼の業務用机の他は、あまり使われた様子の無い来客用のソファと机、ほとんどアレンの私物と化している書棚があるのみである。

「しかし驚いた。異動を命じられた先でかつての戦友と偶然出会うとはな」

 ケインがこの村に着任したのはつい先日のことだった。国家憲兵――若い憲兵は特に、定期的に転勤を命じられる。その理由は様々だが、一説には特定の思想や信念に傾倒しないよう、引いては結託して国家への反逆を企てないようにする狙いがあるようだ。

 着任の日、方々に挨拶に回ったケインはアレンの顔を見て驚嘆した。

「五年ぶり、だよな? お前、終戦と同時にふらっといなくなったからよ。連絡先は上官も誰も知らねぇし、俺てっきり死んだんだと思ってたくらいだぜ?」

 二度と会うはずがないと思っていた相手が目の前にいたのだ。その時は再会の喜びを分かち合う暇もなく別れたのだが、機を見て職場を抜け出してこうして会いに来たのである。

「まあ、今の様子を見るに死んでるのとそう変わらないみたいだけど、なあ?」

「余計なお世話だ」

「でもよ。お前あの時と目の色がまるで違うぜ」

 じっとアレンの目を見つめながらケインは言う。

「やめろ」

 アレンは目を伏せ、机の上で組んだ自分の手を見つめる。

「あの時は場所が……戦場が異常だったってだけだ」

「それは俺も否定しない。あそこは正真正銘の地獄だった。こうして五体満足で生還できただけでも奇跡に違いない。でもあの場所では俺もお前も、自分の役割があった。やるべきことがはっきりしていた。お前は智慧を絞って、俺は武器を振るった。過酷な環境だったが、少なくともお前の瞳には光が灯っていた。今みたいな死んだ目じゃなくってな」

「僕を戦争好きの狂人みたいに言うな。戦争は終わった。もう僕たちの出る幕は無いんだ。平穏のなにが悪い? 碌に働かずに飯を食うことのなにが悪い?」

「…………」

 答えられずケインは俯いた。

 ああ確かにこういう男だった、とアレンはかつての同僚を見て思った。自分の感情に正直で、善悪に関わらず思ったことを口にしてしまう。それ故トラブルを起こすことも度々あったが、表裏の無いあり様はアレンにとって新鮮だった。魔導士という異質な肩書を持つ自分に対しても、分け隔てなく接してくれた。

 それだけに、彼は今のアレンに対する境遇に疑問を抱いているのだろう。苛烈な戦場と、平穏な村役場ではあまりに落差があり過ぎる。

「なにも戦場である必要は無い。場所はどこだって……別に平和な田舎だっていいんだ。ただお前が、自分がやるべきことをきちんと持てるところだったらどこでも……」

 少し考えたあと彼ははっとなって顔を上げる。

「魔導の研究とかはしていないのか?」

「魔導士は魔導の研究するもの、っていうのは安直な考えだな」

「違うのか?」

「否定はしない。だが、知らないなら教えてやるが、研究にはそれなりの設備が必要だ。それを運営する資金と人材もな。時間だけ有り余っていたところで、一人の労力と財力でできることはたかが知れてる。今や魔導の研究は国からの支援が認められた特定の研究施設の特権だ」

「その施設への配属を希望したりはしなかったのか?」

「最初から無意味だと分かっていた。僕の出自を考えれば当然だろう。たまたま魔導に関して特異な才を持っていただけの得体の知れない人間を、国の威信に関わる研究施設に立ち入らせたりはしない」

「戦果を挙げても……か?」

「ある意味ではある程度戦果を挙げてしまったからと、も言えるがな」

 一度大きく溜め息を吐く。

「彼らは恐れている。魔導の力を。戦況を覆しかねない強大な力を。先の大戦の勝利によって、その懸念はより強化されたことだろう。しかし簡単に手放せるものではない。だから管理しようとする。素性の知れた特定の者であれば、国の運営する施設で監視する」

「素性の知れない者は?」

「遠くの僻地で飼い殺しにする。いくら魔導士でも、一人でできることには限度があるからな。適当な閑職に就けて最低限の生活を保証する。反抗心を持たせないように」

 それこそが今アレンが置かれている現状である。魔導の力によって勝利をおさめた国は、同時に魔導に対する畏怖を抱いた。いつその力が自らに牙を向けるとも分からない。だからその芽が育たぬよう、安寧という檻に閉じ込めることに決めたのだ。

「僕としてみれば、お役御免と処分されなかっただけでも万々歳だ。戦後、魔導士の不審死が相次いだとの噂も聞く。こうして命があるだけ、僕の待遇は良い方だ」

「それで、満足なのか?」

 じっとアレンの瞳を見つめるケイン。変わらないな、とアレンは思った。実直なこの男は手練手管を用いず相手の目を見てそれを根拠にする。その目を見ると、まるで自分の心が見透かされるかのような錯覚を覚える。

 アレンは眼を瞑る。

「……ああ」

 力なくそう頷くのを見て、ケインは「そうか」と立ち上がった。

「お前がそう言うなら、俺から言うことは無い。ま、ぼちぼち顔見に来るぜ。ここはサボるには丁度よさそうだからな」

「おい。結局サボるのか」

 アレンの言葉を軽くいなして部屋を出て行こうとするケイン。

 と、同時に。

 階段を駆け上がる、どたどたと騒々しい足音が二人の耳に届いた。顔を見合わせる二人。慌ただしい足音は真っ直ぐこの部屋に向かってくる。

 そして開け放たれた扉の向こうから一人の人物が顔を出す。

「おっ久しぶりー! アッレーン! 元気してたーっ!?」

 静粛な村役場に相応しくない騒々しい女性の声が響いた。

 部屋にいた二人は突然の来客にしばらく身体を硬直させる。

「……ナオミ?」

 しばらくの沈黙の後、思い出したようにケインがぽつりと呟いた。

「はい! ナオミ・アーゼインであります!」

 そう言って彼女は胸の国章に手を翳し敬礼のポーズを取った。その所作を見てアレンは一人の人物を思い出す。戦時中、自分と同じ時期に軍に加入した女性を。

「おお、そこにいるのは『石頭のケイン』ことケイン・ハストールじゃないか! これまた久しぶり! うん、君は元気そうだな!」

 彼女はばしばしと躊躇いなくケインの肩を叩く。

「ん? どうした二人とも驚いたような顔して」

「普通に驚いてるんだよ。お前も会うの五年ぶりじゃねーか」

「も?」

 首を傾げながら二人の顔を見比べるナオミ。それから間もなく「まいっか」と赤茶色の髪を揺らしてアレンの席へと歩き出す。

「いやぁ相変わらずだねアレン。その眉間に皺を寄せたしかめっ面をまた拝めるなんて!」

「僕がこの顔をするのは君の前だけだ、ナオミ」

「わお、それは光栄。それはそうと、アレン。ちょっと頼まれて欲しいことがあるんだけど」

「頼み事?」

「うん。あ、もしかして忙しかった? アポ無しだったもんね仕方ないか。だったらまた仕切り直して――」

「いや、いい。……で頼み事って?」

「ほんと? いや私も悪いとは思ってるんだよね。でもこっちも急ぎの用件だったわけで、できれば事情は察して欲しいな」

「うん。それで用件って?」

「先に手紙を書こうかとも考えたんだよ? けどその返事を待つより直接会いに来ちゃった方が早いと思っからさぁ」

「で、用件は?」

「にしても遠いよねぇここ。首都グレンダールから馬車で丸一日もかかったんだから。お陰でおしりが痛いのなんの――」

「だぁー! 用件はなんだって訊いてんだ!」

 痺れを切らしたアレンは立りあがり両手を机に叩きつける。五年ぶりに彼が激昂する姿を見たケインは苦笑いを浮かべる。対して悪びれる様子もなく彼女は「そうそう」と肩から提げていた鞄の中に手を伸ばす。

 そうして取り出した一枚の紙を机の上に差し出す。

 アレンがその紙に視線を落とすと同時に、彼女は言った。

「魔獣園!」

「……は?」

 聞き慣れない言葉にアレンは疑問の声を投げかける。

 対する彼女は、爛々と目を輝かせて鼻息荒く身を乗り出した。

「一緒にやろうよ! 魔獣園!」

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