天才魔導軍師に学ぶ魔獣の飼育方法

汐谷九太郎

一角兎の捕まえ方(1)

「ああっ! 待ってください!」

 少女の情けない声が響く。

 国章が胸に刻まれたネイビーブルーの制服はまさしくゼルギオン国軍を示すものなのだが、その少女の様子はとても軍人とは思えないものだった。輝く金色の髪を揺らしながら長い廊下を一所懸命に走る姿は、まるで追いかけっこに興じる子供そのものだった。

 追いかけっこ、という表現はそれほど間違ってはいない。

 彼女の目の前には一匹の小動物がいる。それは角の生えたウサギだった。少女を嘲るかのように軽快な動きで逃げ回っている。

 必死で追いかける少女。しかし懸命に足を動かすもウサギとの距離は縮まらず、むしろ差は広がっていく一方である。

 これが人類と野生に生きるものとの違いか。

 自然の残酷さを嘆きそうになる少女であったが、そんな彼女に一筋の光明が差す。逃げ惑うウサギが進む廊下の先に、一人の人物が立っているのが目に入ったからだ。

「室長ー! その子、捕まえてくださーい!」

 息も絶え絶えになりながら力を振り絞って少女は叫ぶ。

「は?」

 声を掛けられた本人はよそ見をしていたのか、ようやく自分の方に角ウサギが向かってきていることに気づいたようだった。普通の人間ならば呆気に取られていたところだろう。だが、瞬時に状況を察した彼はすかさず上着の内ポケットに手を伸ばす。

「これでも喰らえ!」

 そうして取り出した赤い獲物をウサギに向かって投擲する。ウサギは突然足を止め、獲物がその目前に落下する。

 次の瞬間、ウサギは目の前に落ちたニンジンを一心不乱に貪り出した。

「ふぅ。やはり効果覿面てきめんだな。リーネ村特産のアカニンジンは」

 そう言いながらニンジンに齧り付くウサギをひょいと持ち上げる。

「あ、ありがとうございます。局長……」

 ふらふらした足取りで、少女が申し訳なさそうに歩み寄る。

「なにをしている、サラ・レストン君。大事な展示物が危うく逃げるところだったぞ?」

 注意を受けて少女――サラの肩がびくりと震える。

「ぁう。ケージの掃除をしようとした時に不意をつかれちゃいまして……」

「いつも言ってるだろう。一角兎アルミラージのケージを開ける時は、奴らの好物のアカニンジンを携帯しておくようにと」

 言いながら彼はウサギをサラに手渡す。それを受け取り大事そうに胸に抱える少女。しかしじたばたと腕の中で暴れるウサギの角が鼻先を掠め「あぶなっ」と顔を引っ込める。

「す、すみません。持って行ったつもりが気付かないうちに落としてしまっていたみたいで……あぶなっ!」

 角を躱すサラ。

 室長――アレン・シュネイガーは呆れたように息を吐く。

「それでは困るぞ。そいつは今うちが管理している魔獣の中でもまだ扱いやすい部類だ。この先もっと厄介な奴らを相手してもらうことになるんだからな」

「は、はい……。――あぶなっ!」

 それにしても、とサラは顔を上げ廊下の窓から外を眺める。

 小高い丘の上に位置するその建物からは、広大な平原が一望できる。そこでは多くの人々や荷車が所狭しと動き回り建造作業が行われている。一つの大きな建造物を造るのではなく、広い敷地に幾つかの建造物を造っているようである。

「できるんでしょうか……?」

 ぽつりと呟く。少女の瞳は、作業風景を映しているようで、もっと遠くの場所を見ているようだった。

「できるできないじゃなくて、やるしかないんだよ」

 齧り掛けのニンジンを拾い上げたアレンは、それを内ポケットに仕舞いながら気怠そうに答える。

「流石、最年少魔導軍師様は言うことが違いますね!」

「五年前の肩書をここぞとばかりに強調するな! やめろ! その悪意の無い輝く視線を向けるのをやめろ!」

 憧憬の眼差しを向ける少女。対するアレンは眩しいものでも見るかのように顔に腕を翳す。

「でも、未だかつて誰も……世界中の誰もやろうとも思わなかったことですよね……?」

 腕の中のウサギに視線を落とす。

「魔獣の展覧施設を造ろうだなんて」

 魔獣園、とその施設は仮の名前をつけられた。彼女も、最初に聞いた時はそれが趣味の悪い冗談だと思っていた。しかし今こうして、その荒唐無稽な計画の準備が勧められているのを目の当たりにすると、それが紛れもない現実なのだということを思い知らされる。

「まあな」

 アレンは頷く。発せられた言葉には少なからず溜め息も含まれていた。

「ただの動物ならいざ知らず。相手は魔獣だ。大抵のものは人に仇成す脅威でしかない。僕自身、それらは駆除する対象であって、飼育して展示する方法なんて考えたこともなかった」

 だがやるしかない、とアレンは自分に言い聞かせるように口の中だけで呟いた。

 そしてゆっくり瞼を閉じる。

 最初はそうだ――。

 あの日から全ては始まったのだ。

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