第6話 美と芸術
この事件は電話から始まった。
ある日灰崎邸に電話がかかってきた。家にいた灰崎は当然電話に出る。
「はい、どちら様でしょうか」
「ゆえあって名前は伏せさせていただきます。この度灰崎様をある集まりにお招き致したくお電話差し上げました」
「どのような集まりでしょうか。それを聞きませんと行くも行かないも決められません」
「申し訳ございません。それは言えぬ決まりでございます。もしお越しになるのでしたら明日の夜10時にお待ちしています」
電話の相手は詳しい住所を告げるとさっさと電話を切ってしまった。
「イタズラか。しかしなにか話のタネになるかもしれない」
灰崎は奇妙な集まりに行くことにした。
電話のあった翌日の夜10時に灰崎は電話の主との待ち合わせ場所についた。ここは帝都の外れであり、人家の明かりもなく暗闇しかない。
約束の時間を過ぎようかというとき暗闇から黒一色の礼服に身を包んだ壮年に男があらわれた。
「お待たせいたしました。ご案内させていただきます」
「どうぞよろしくお願いします。ところで本日はなんの集まりなのかはまだ教えていただけませんか」
「ここまでお越しいただきましたならお教えできます。今回は4日間にわたって美と芸術がテーマとなっております。まず本日はサーカスをご覧になっていただきます」
「4日間もですか。泊まりの支度はしてないのですが」
「いえ、ご宿泊の必要はありません。この催しは夜にありますので夜だけお越し願います」
「そうですか」
「それとこの催しではお名前とお顔を隠すきまりになっております。同意いただけますか」
「ここまで来て断るなんてしませんよ」
「ありがとうございます。こちらが灰崎にお使いいただく仮面でございます」
黒服の男はどこからか海外の仮面舞踏会に使われるような白い仮面を差し出した。
「それでは会場までご案内させていただきます」
黒服の男はそういうと暗闇の中を歩き出した。明かりも持たないのにまるで前が見えているかのように進んでいく。灰崎も置いてかれないように慌ててついていった。不思議なことにまわりは暗闇だというのに黒づくめの男の姿を見失うことはなかった。
男のいう会場とは窓から光が溢れる洋館であった。
「こちらが今回の催しの会場でございます。まもなく始まりますのでどうぞ中へ。くれぐれもお名前とお顔はあらわになさいませんように」
いわれるまま玄関をくぐればそこはもう円形劇場だった。
仮面をつけた何十人もの人々がすでに席につきサーカスが始まるのをいまかいまかと待っている。そして案内の男とは正反対の白づくめの男がステージに立った。
長らくお待たせいたしました。
「本日はこの催しにお集まりいただきまことにありがとうございます。今回のテーマは美と芸術。本日はサーカスをご覧いただきます。サーカスと芸術、一見馴染まないように思われますがそれは演目が全て終了してからご判断ください。それでは美と芸術のサーカス、開演でございます」
それはまさに芸術と呼ぶにふさわしいサーカスだった。
鍛え抜かれた肉体と技術、一見単純に見える動きが芸術の高みへと昇華されている。
そしてサーカスは全ての演目を終えた。
「皆様ありがとうございました。これにて本日は終わらせていただきます。次は明日、古今東西の美術品をお目にかけます。お楽しみに」
次の日の夜も灰崎は美と芸術と題された催しに来ていた。昨日と同じ建物のはずだが玄関をくぐれば、出入り口を除く三方の壁をカーテンで覆われた部屋へとでた。
「皆様昨日に続いて本日もお越しいただきまことにありがとうございます。本日皆様にご覧いただきますのは古今東西の美術品」
白づくめの男が手を振ると壁のカーテンが溶けるように消えていった。
「まずは一つ目、我が国の縄文時代の遺品の土器でございます。見た目は燃え盛る焔をかたどっており力強さを感じさせます」
「続きましてあの絵をご覧ください」
男の指す先には奇妙な絵があった。背景の砂漠の真ん中に石畳がひかれその上に馬とも獅子とも人間の女性ともいえない生き物が描かれている。
「皆様、この絵が何を描いたものかお分かりですか」
いつのまにか絵の横に男が移動していた。
「しかし、これがなにを描いたなどさしたる問題ではないのです。あなたがこの絵をどう解釈するか。全てはそこにあります。皆様はこのことをゆめゆめお忘れになりませぬよう」
それからも美術品の鑑賞会は続いた。男の言葉どおり洋の東西を問わず、時代を問わず、火薬によって爆発し、姿を消したはずの茶器まで見ることができた。
「さぁさ、これにて本日は終わらせていただきます。明日と明後日は今回の催しのメインとなります。内容はこの場では申し上げません。どうぞ明日をお楽しみに」
次の日も灰崎は催しに来ていた。メインといわれた今日を逃すわけにはいかない。
今日の屋敷の中は正面にだけカーテンがかけられていた。
「皆様お待たせいたしました」
白づくめの男の今までとは違う落ち着いた仕草で今日の催しは始る。
「まことに残念ながら本日の催しは短いものとなります。しかし、評価なさるのは明日を終えてからにお願いします。必ずご満足いただけるものと信じております。それでは」
男が指を鳴らすと正面のカーテンが消えて中身があらわになる。
なんの変哲もないボロボロの肖像画だった。ところどころ色が禿げておりどうみても価値のあるものには見えない。黒い背景にヒゲを生やした長髪の男性を描いたものだ。
みたところ作者のサインすらない。観客はざわめく。出す絵をまちがえたのか、という反応が多い。
「皆様お静かに。本日は趣向を変えまして皆様にこの絵を鑑定していただきます」
ざわめきは大きくなる。
「期限は明日の夜。お分かりになった方はまたこの場に来ていただき1人ずつ発表していただきます。この絵の作者の名前までは問いません。誰を描いたものか。この1つだけを当てていただきます。見事的中された方にはこの絵をお譲りいたします。ひとつ付け加えますと、この絵は大変価値のあるものです。わたくし、どなたが正解なさるのか楽しみでなりません」
白づくめの男のうってかわった喜びにあふれた声で3日目に催しは終わった。
4日目の朝から灰崎は自宅の書庫や帝立図書館で文献を漁り、絵画に詳しい人間に話を聞いたが例の絵がどういったものかは分からなかった。サインがない理由も、作者が駄作だからと入れなかったんじゃないかとありえない考えに至るほどくたびれた。
夜、灰崎が屋敷につくと今までと同じくらいの人がいた。自分では答えは分からずとも答えだけでも知りたいのだろう。
「皆様、最後の夜にお集まりいただきありがとうございます。本日は余計な話は無しとさせていただきましょう。この絵が誰を描いたものか。答えはこちらに書いてあります」
白づくめの男は懐から二つ折りにされた紙を取り出す。
「さぁ、お分かりになった方はいらっしゃいますか」
パラパラと手が挙がり1人ずつ答えを言っていく。しかし正解するものはいなかった。
他に分かった方はいらっしゃいませんか
ついには手を挙げるものは誰もいなくなった。
「もういらっしゃらないようですね。では正解を発表させていただきます。
なぜこの絵には作者のサインがないのか、まずはこのことから説明させていただきます。古来より西洋では宗教画を描く際に作者は陰に徹してきました。自分を出さず、ただ聖書の世界を忠実に再現することに注力しました。そうです。この絵にサインがないのはこの絵が宗教画だからです。では誰を描いたものか。実はこの絵を描いたのは1900年前、ある宗教の最初の信徒が描きました。つまりこの絵が描かれてから約1900年が経過しています。察しのいい方ならお分かりでしょう。この絵は1900年前にかの神の子を、生きているその時に描いたものです」
そんなバカな。灰崎は信じられない思いでいっぱいだ。1900年前の絵画、神の子の当時の姿を描いた、そんなものが残っているならもっと騒ぎになるはずだ。とても信じられない。
しかし観衆は熱気に包まれている。立ち上がるもの、絵をもっと見ようと近付くもの、あれが偽物とは誰も思っていないようだ。
「皆様お静かにお願いします。続きまして本日、いえ、今回の催しのメインイベント。この聖画のオークションを開催いたします。スタートの価格は皆様にお任せします。さあどうぞ」
白づくめの男の一言で最初から価格は跳ね上がっていく。とんでもない価格が叫ばれ、さらにその価格がさらなる高値に上書きされる。最後には宮殿が買えるのではないかという金額があの絵につけられ、美と芸術をテーマとした催しは終わった。
四日間の狂気的な催しが終わり灰崎は自宅でくつろいでいた。
冷静になってみると明らかにおかしな催しだった。まだ発見されていない縄文時代の土器、聞いたことのない技法の絵。トドメに件の聖画。あれらは一体なんだったのだ。偽物、と断言できない雰囲気を美術品は纏っていた。それにあの屋敷も1日で床や柱まで含めた内装が変わっていた。先ほどあの屋敷のある辺りを地図で調べてみたがあそこは民家すらない。
「不思議なことばかりだ」
灰崎はそうこぼすと和藤が主催のパーティの支度を始めた。
「今日は何やら人が少なくて寂しいですね」
「そうなんだ。今朝になって体調が悪いから欠席すると連絡が来たんだ。それが何人もいるからこんなに人が少ないんだよ。悪い風邪でも流行っているのかな。独り者の灰崎君も気をつけるんだぞ」
「お気遣いいただきありがとうございます」
人が少なく盛り上がりに欠けたままパーティは終わった。帰宅した灰崎に電話がかかってきた。
「はいどちら様ですか」
「お久しぶりでございます。灰崎様」
電話の相手は例の屋敷まで案内した男だった。
「お久しぶりです。また何か催しに招いてくださるのですか」
「いえ逆でございます。もう私どもと関わるのはやめたほうがいいと忠告させていただこうと思いまして」
「おや、何かご迷惑をおかけししましたか」
いいえ。あの催しにいらした方の中で貴方様だけが異様でした。あなた様にはこれでお分かりになるでしょう」
「異様なのはお互い様だと思うのですがね」
「わたくしどもなどたかが知れた存在でございます」
「分かりました。もうあなた方を探るのはやめましょう」
「賢明なご判断です。それではさようなら」
「失礼致します」
灰崎は電話を切ると震えながらソファに腰掛ける。
「あれはまずい。電話越しとはいえ、あれにかかれば簡単に鏡ごと私は殺されていた」
灰崎は自分より高位な存在と間近に触れ合ったことで精神に強い衝撃を受けた。そんな神話的恐怖は灰崎を長く苦しめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます