第6話
◆
とても味方が出現したようには見えなかった。
動くはずのないスタンドアッパーが無理やりにチェーンによる拘束を破り、上体を起こした。
「おい、誰が乗っている?」
答えはないだろうと思って質問したが、案の定、返事はない。
ロックドッグの整備はまだ不完全だ。ついでに言えば、俺が手をつけていない部分が多い。これは好都合なのか、それとも最悪な展開なのか、トレーラーの荷台にはスタンドアッパー用の銃器はない。下手に調整せずに銃器を使うと、悲惨な事故が起こる。スタンドアッパー用の銃器は砲と呼ばれる光景だ。
長く稼働していなかった人工筋肉が力を取り戻し、装甲パネルが剥落しているところでは、薄汚れた古すぎる人工筋肉が命を散らすように火花を飛ばしている。
正体不明の操縦士は機体を立ち上がらせようとして、失敗した。
当たり前だ、両足の長さが違う。ついでに交換したばかりの右膝はまだ調整が完全じゃない。未調整と言ってもいい。オイルも馴染んじゃいない。
見ている前で大きくスタンドアッパーがこちらに倒れこんできたので、俺とルザは転がって距離をとった。衝撃を伴って激しく吹き上がる泥濘の中を転げ回るのは、揚げ物が衣をつけられる過程そのものだ。あとは誰かが火炎放射器で直火であぶるだけで、上手く仕上がるだろう。
ともかく、スタンドアッパーは地面に倒れ伏し、俺たちには舞い上がった土砂が平等に降りかかった。この山奥でシャワーとランドリーがあれば、ちょっとねじの緩んだ幼い子供のいる家族がワイルドな泥遊びを楽しみに来れるところだ。
冗談はどうでもいい。
「あいつの外部スピーカーとマイクは生きているか?」
これにルザは何度もうなずいた。
まさか声で指示を出すとは。俺はサッカーチームの監督か何かか。
「誰が乗っているかは知らんが、両足を初期状態にしろ! 長さが違うんだ、左足首は歪んでる!」
パイロットからの返事はない。
立ち上がろうとしているスタンドアッパーの操縦士は、常識的らしい。マニュアル通りの動きで、両足を慎重に確かめながら立とうとしていた。しかしマニュアルは通用しない。足の長さが違うなど、マニュアルが想定するわけもない。
ロックドッグはかろうじて立つが、不安定によろめいている。それでも一歩ずつ右へ行ったり左へ行ったりするのは俺も何度か見た、クリーンな人工筋肉の教育手法の一つだ。
しかしここで、この場面でやることじゃない。
謎のパイロットは、この混乱の最中で余裕だった。
斜面の上には機関銃をこちらに向ける軽トラが二台あり、ついでに大きな落ち着いた足音でスタンドアッパーがやってきた。シルバーウルフではなく、軍用機だ。ファントムⅢ型だった。五十口径の機関砲がこちらに向けられている。
次にはトレーラーの燃料タンクを撃たれて、俺たちはバラバラ死体になるのもしれないと想像できた。
しかし、その時、何かが宙を走った。
甲高い音を立てて、ファントムⅢ型の持つ機関砲に鎖が巻きついていた。鎖を飛ばしたのはロックドッグだ。
恐ろしく器用な動作である。
ひっぱり合いになった時、ロックドッグは幾つかの点が有利だった。
ロックドッグは斜面の下におり、全力で引きずるのに機体の重量を利用できた。
ファントムⅢ型はたまらず所持して武器を放り出した。銃器は鎖に引っ張られた勢いのまま、俺たちのすぐそばまで転がってくる。
しかしロックドッグはそれを無視した。
もっと効果的なものがあったのだ。
よろよろ進みながら、ロックウッドは鎖を握り直した。この時の俺は両手のマニュピレーターが破損していないことを、天に祈っていた。
甲高い音が鳴り始め、振り回された鎖が銃器を引きずり、そのまますぐそばのファントムⅢ型に銃器が鈍器に変わって直撃する。しかし性能に差がありすぎたせいで、ファントムⅢ型は姿勢を取り戻し、距離をとって仕切り直そうとする。転倒しないのは立派だ。
装甲パネルが何枚か吹っ飛んだ程度の影響しかなかったようだ。
ただ、これは完全な見誤り、失策だった。
ロックドッグがさらに大きく鎖を振り回す、それだけで鎖の間合いが伸びた。
加速のついた銃器が再び一直線に宙を走りファントムⅢ型の胸部に先ほどより激しく叩き込まれた。足が泥濘に滑り、機体が背中から仰向けに転倒してそれきり動かなくなった。
胸部に銃器の先端が突き刺さっているのには、さすがに背筋が冷える。
本来はその程度の損傷で動けなくなるスタンドアッパーではないが、パイロットには重大な影響があったのだ。
これから攻めてくると思われるアヌン統一戦線は、今も偵察機でこの戦いをはるか頭上から見ているだろう。追撃を防ぐには追っ手を跳ね返すしかない。
俺がそう期待した時には、まだ不安定な動きしかしないロックドッグも容赦しなかった。鎖を振り回し、敵を撃破した銃器を引っこ抜くと、素早くマニュピレーターでそれを掴み、周囲を銃撃し始めた。
大口径弾の雨がまず斜面の上の敵の軽トラックを襲い、次には遮蔽を取りながら近づいていた歩兵たちを追いちらしていく。
どれくらいが過ぎたのか、気づいたときには周囲は煙の焦げ臭い匂いに包み込まれ、残っているは俺とルザと、数人の負傷者だけだった。大半の敵は撤収したようだ。
そして、ロックドッグはまだ立っていた。
でたらめなことをした操縦士の顔を、俺は是非見たかった。
ロックドッグへ近づくと、片膝を折って、準駐機姿勢になる。もう足のアンバラスンは問題ないらしい。
装甲が開放され、中から出てきたのは作業着の誰かだった。
すぐにはわからないが、女性だ。
しかし、女性か。てっきり男を想像していた。
いやいや、それよりもどうやってここへ来たんだ。
女性は操縦席から出てきて、完全に姿をさらした。小柄で、ヘルメットもかぶっていない。それどころか操縦服でもない。作業着のようなつなぎだった。
顔つきは、密林、ゲリラ兵、そういうものとは縁がなさそうな風貌をしている。
短い金髪が風に揺れる。汗だろう、キラキラと輝いて見えた。
彼女はロックドッグから離れると俺たちの前まで来て、首を傾げた。
「あなたたちが操縦士、には見えないわね。整備士?」
「そういうもんだ」
俺が答えると、女性操縦士はベラベラとまくし立てた。
「あそこに倒れているファントムⅢ型を鹵獲したい。ロックドッグは粘りがある機種だけど、あの子は破損が酷いし、改造は間に合わせだし、戦えない」
その戦えない機体で鎖で自在に戦っただろうに。
しかし、ファントムⅢが手に入れば、戦力は一気に上がる。
オーケー、と俺は答えていた。
「トレーラーを泥濘から出してくれ。そしてファントムⅢ型を乗せてくれ」
「注文の多い整備士ね」
「整備のテクニックも豊富だとすぐにわかる」
楽しみにしているわ、と女操縦士はロックドッグに戻り、すぐに立ち上がらせた。
巨大なトレーラーをスタンドアッパーが押し上げ、じわじわと地面が安定している場所へ戻していく。スタンドアッパーとは、こういう重機の役目の方が本来的なのだ。
それは彼女に任せ、ファントムⅢ型の様子を見に行った。死んでいるかと思ったが、機体の胸部に強烈な衝撃があり、それで操縦士は気を失っているらしい。非常のためのレバーを引く時には血の匂いを覚悟したが、それはなかった。
ひっくり返って泡を吹いている操縦士を引きずりし出し、地面に投げ出す。汗臭いし、垢じみていて、あまり近寄りたくはない。念のために手錠をかけて木に結びつけておいた。
トレーラーは程なくまとも道へ押しやられ、エンジンもかかった。そして戦利品のファントムⅢ型が荷台に駐機姿勢で固定された。実に手早く作業をした女操縦士は、空いているスペースにロックドッグを乗せ、器用に自力で鎖でやはり固定した。
最悪な展開の後に、ちょっとはいいことが起こるものだ。
しかし許せるものでもないな。
ルザが運転席に戻り、一層、不調になったエンジンをかける。
足場は不安だったが、トレーラーは元の道にちゃんと戻り、先へ走り始めた。激しく揺れるが、それよりも女操縦士のことが気になっていた。
あの操縦技術は並ではない。
俺が整備士として雇われたように、操縦士として雇われたのだろうか。
どうやら、開口一番、命を救ってくれた礼を言わないといけないな。
激しく揺れながらもトレーラーは何事もなくさらに先へ進んだ。
(続く)
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