第5話

       ◆


 早朝から仕事を始めた。

 昨日の今日で敵対する勢力が押し寄せないのは、スタンドアッパーを一機、擱座させた影響だろうか。俺にはそこまでを推測するほどの情報がない。指揮官であるブブは、「早めに直してくれ」と言っていた。

 俺はやっと直すべきロックドッグの実際を把握したが、困難があった。

 まず喪失していた右足は、膝から下を手に入れたのでおおよそ形にはなりそうだ。元からの大腿部の骨格がかろうじて残っているのが幸いした。もっとも、俺としてはしっかりした機材で骨格の歪みを計測したいところだ。しかしそんな機材が樹林の中にあるわけもない。

 手元にある器具で大雑把に計測し、計算に計算を重ねてみるとわずかに歪んでいるのはわかる。わかるが、明確な数字は出ない。現代的な測定装置が是非欲しい、喉から手が出るほど欲しい。どれだけ欲しても、こればっかりはどうしようもない。

 諦めて右膝をはめ込む。これは想定通りにはまった。整形は完璧だ。あとはケーブルをつないでいくのをルザに任せ、俺は人工筋肉の同期の処理に入った。

 人工筋肉にはそれぞれに小型の記憶装置が組み込まれ、パーツごとに動きを学習する。つまりまっさらな人工筋肉は大きささえ合えばどこの部位にも使用できる。使っていくうちに経験が蓄積し、その部位に最適の動きを取るようになるのだ。

 俺が作業しているのはロックドッグにシルバーウルフの足をなじませる作業で、この二つの機体は全高も異なれば、重量も異なる。一から教育させたいところだが、そんな余裕はないだろう。仕方なくメインの制御プログラムに残っているデータから、失われる前の右足に関するバックアップデータを引用し、覚えこませる。

 作業が終わる頃には太陽は真上に来ていた。日差しが周囲を容赦なく焼き、ロックドッグの走行パネルは肉でも卵でも焼けそうだった。

 ここでさらに問題が一つ、持ち上がっていた。左足首の捻挫は、関節部品が破損している。骨格も決定的に歪んでいる。しかしそれよりも、右足との長さが釣り合わないのだ。仮に左足首が補修できたとしても、不自然な歩き方しかできないことになる。

 それなら右足の人工筋肉の学習機能に補正を加えれば少しはマシになる、だろうか。

 少し考えてみたが、答えは出ない。

 作業を続けているルザに水でも差し入れてやって、意見を聞いてみるか。この半日と昨日の夜の様子を見れば、ルザは真面目だし、意外に洞察力がある。

 そういえばなんとか軍曹はどこにいるのだろう。そいつがいれば、意見がもう一つ増える。ブブに後で確認しよう。

 この拠点では水をちゃんと沸かしてあるのがありがたい、と思って俺は水を汲みにトレーラーを降りた。

 降りたとき、それに不意に気づいた。

 頭上を振り仰ぐ。

 太陽がまぶしい。手で庇を作って、じっと頭上を見ると小さな点が見えた。かなり高い位置だが、飛んでいるのは鳥ではない。人工物。おそらくは無人機。偵察機だ。

「おい、ルザ」

 俺は頭上を見たまま声をかけた。別に頭上から爆弾が降り注ぐとは思っていないが、目を離すと見失いそうだった。

 なんですか、とルザがすぐそばにやってきた時、無人機はまだ頭上にあった。それだけ高度があるということだ。

「偵察機が飛んでいるぞ。見えるか?」

 ルザも俺にならって空を見上げて「統一戦線の連中でしょう」と言った。

「統一戦線ってのは、他の武装勢力か?」

「そうです。昨日、戦ったじゃないですか」

「名前は知らなかった。昨日の連中が偵察機を飛ばしているのか?」

 とても信じられなかった。民生品を使っているような連中が、無人機を飛ばせるわけがない。

「あれは俺の見立てが正しければ、平城国のメーカー、なんて言ったかな、えーっと、四菱航空技術、とかいうメーカーの製品だ。人工知能を搭載していて、軽量で、航続距離の長さが強みだ。空爆こそできないがな」

 不満げな返事があった。

「僕たちはここを電子的に隠蔽していますから、バレませんよ」

「電子的に隠蔽?」

 まったく聞いたことのない表現だった。俺は横目でルザを見た。

「実際には何をしている?」

「電磁波を放射して、偵察機に不具合を起こさせるそうです。僕も詳細を知りません」

 通信はそれで妨害できるだろうが、俺が知っている四菱の偵察機は、内部に情報を記録する。それが持ち帰られてしまえば、ここは即座にバレるだろう。それとも記録装置を焼き払うほどの電磁波? まさか。そんなハイパワーな電磁波はそばにいれば人間の生死に関わる。

「今までは何もありませんでしたし、大丈夫です」

 ルザが言うことを保証するように、偵察機はやがて視界から消えてしまった。

「どうも嫌な予感がする」

 正直に言葉にしてみると、嫌な予感などではなく、嫌なことが起こる確信のようなものが心に浮かんだ。いや、心に浮かぶ以上は予感のうちなのか。

 そんな自分への問いかけは無視して、「工具をまとめておけ」と俺はルザに声をかけた。ルザは、そんな大げさな、と言いたげだったが「すぐにだ」と重ねて言うと、無言で頷いてトレーラーの方へ駆けていった。

 俺はブブを探そうとしたが見つからない。何人かのゲリラ兵に声をかけると、前進基地に出かけているという。道筋を俺は知らない。案内させようにも、自分に与えられた指示を雇われ整備士のために放り出す奴もいなかった。

 柔軟性がないというべきか、統率が取れているというべきかは微妙なところだ。

 仕方なくトレーラーへ戻ろうとした時、遠くで何かが爆発する音がしたような気がした。

 記憶がつながる。何度も聞いた音だ。

 俺は反射的に身を伏せて叫んでいた。

「野戦砲だ!」

 ゲリラ兵が一斉に身を投げ出した時、至近距離で本当の爆発が起きた。樹木の枝葉、幹の破片が飛び散るが、それより早く火炎が吹き荒れ、爆風が更にそれらを飲み込む。

 爆煙と土煙の中で咳き込みながら、俺はトレーラーへ走った。ゲリラ兵たちも撤収を始めている。

 トレーラーではルザが俺の工具箱を荷台に放り込んでいるところだった。手放すなと言ったのに、無視しやがった。修理中のロックドッグはまだ足を投げ出すように荷台に座り込んでいる。

 工具箱の件は後回しだ。

「チェーンを巻いてくれ、ルザ! 固定しろ! いや、ルザ、お前が運転しろ! 俺は道がわからん!」

 荷台へ上がろうとしたルザが俺と入れ違いに運転席に飛び乗る。もう一台のトレーラーはもう動き出している。そちらには虎の子の野戦砲が載せられている。しかし、まだシートを被っている。当たり前だ。撃ち返そうにも狙いが定まらない上に、下手をすれば撃った瞬間に反動でトレーラーごと横転するだろう。規格がまるで合っていない。

 俺は荷台に上がり、スタンドアッパーに鎖を巻きつけた。ところどころが錆びていて、あるいはどこかで切れるかもしれないが、何もしないよりはいい。

 トレーラーのエンジンが音を立てて始動する。俺は荷台の上から叫んだ。

「俺に構わず走らせろ! 逃げるんだ!」

 ルザが何か叫んだが、俺の知らない言葉だった。

 いきなりバックで動き出したトレーラーの荷台で、俺は鎖に掴まって体を支えた。次にはハンドルを目一杯切りながら前に進むので、激しく体が翻弄される。ルザの奴は俺のことを本当に気にしていないようだ。

 そのままトレーラーは山道、というより木がまばらだとしか認識できない道を走っていく。それでも走れるのは、先を行くトレーラーの轍がはっきりと残っているからだ。敵に追撃されるだろうが、これなら道に迷うことも、はぐれることもない。

 他のゲリラ兵はどうなったか、と思うと、離れたところを軽トラックが三台ほど、ついてくる。激しい銃声と罵声が飛び交う。軽トラックには機関銃が据え付けてあるらしい。

 後方で爆煙がいくつも上がり、時折、炎が見える。あの拠点が徹底的に砲撃されている。

 とんでもないことだ、と俺としては苛立つしかない。

 電子的な欺瞞などないも同然だった。俺たちを襲ったのは正確に測距された、無駄のない砲撃だった。

 アムン解放軍は何を考えている?

 唐突に横向きに衝撃が加わり、俺は危うく荷台から放り出されそうになった。鎖を握りしめ、しかし完全に体が宙に浮いて、次には荷台に叩きつけられた。さらに横向きに力が加わる。ロックドッグが火花を上げて横に滑る。

 いや、トレーラー自体が横滑りしているのだ。

 いつの間にか斜面を回り込む道に入っていた。その斜面にトレーラーが落ちかかっている。

 俺は全身の痛みに耐えながら、ただ鎖を掴むしかできない。

 どれくらいを滑ったか、トレーラーは停止した。したが、車輪が空転している。身動きは取れない。

 ルザが運転席のドアを開け、地面を見ている。

 斜め上に見える道路を、軽トラックが次々と走っていく。俺たちは見捨てられるってことだ。

「ルザ」

 俺の声は怒りもあるが、それよりも強打した胸の痛みで掠れていた。

「車両を捨てて逃げろ」

「イカロスも」

 ルザが荷台の俺へ手を伸ばす。

「俺など放って逃げろ!」

 怒鳴るとルザがふるふると首を左右に振る。

 頭上で銃声が重なり、こちらに軽トラックが落ちてくるのが見えた。

 まずい。極めてまずい。

 俺は痛みを無視して荷台を降り、ルザを地面に引きずり下ろし、覆いかぶさった。

 トレーラーと軽トラックが衝突し、衝撃と重さでトレーラーがさらに横に滑る。

 俺とルザが潰されなかったのは純粋な幸運だ。目と鼻の先に斜めになったトレーラーの荷台が見えた。

 大きく息を吐いて、俺はルザとともにトレーラーから離れた。しかし足が痛む。くそったれな仕事じゃないか。俺は整備士だぞ。撃ち合いが本業じゃないんだ。それに工具箱をなくしちまった。

 どうにか二メートルほどを進んで、そのたった二メートルで俺は動けなくなった。

「一人で行け、ルザ」

 もう一度、そう言い聞かせたが目に涙を浮かべたルザは動こうとしない。

 ここで全てが終わりか。

 金に目が眩んだのが失敗だったか。

 その時、その音に俺は気付いた。同時にルザも気づいたようだ。

 聞こえてくるのは、スタンドアッパーの機関始動音だった。だいぶぐずったが、起動し、一気に出力が上がると甲高い音に変わる。もっとも、俺の耳には本来の出力の四割程度しか発揮されていないのがわかる。

 しかしどこから……。

 ルザが声をを漏らした時、俺の口からも似た声が漏れた。

 俺たちが乗っていたトレーラーの荷台で、ロックウッドが動き出していた。

 鎖が張り詰めたと思った次には、巨人はその圧倒的な力で、容易にその戒めを弾き飛ばしていた。



(続く)

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