第3話
◆
「直せるかな」
そういったのは武装勢力であるアムン解放軍の将校という、ブブという男だった。上背があるが痩せていて、頬には影が落ちている。
彼が言っているのは、トレーラーに乗せられているスタンドアッパーのことだ。
「こいつがどういう機体か知っているのか?」
こちらからそう言い返すと、ブブは少し不服そうに「シュバリエ社のロックドッグだ」と答えた。
そんなメーカーの名前と製品名ならマニアの中学生でも答えられる。カタログを見れば一発だ。
仕方なく俺は言葉を付け足した。
「確かにシュバリエ社のロックドッグだ。シュバリエ社というのは、ルールド公国の国営企業だよ。ルールド公国は小さな国で、主産業は観光だ。結構、風光明媚でいい土地だ。大勢の人が行くのもわかる。どこぞの紛争地帯とはまるで違う。飯は美味いし、部屋には空調が効き、女は美しく、空気が澄んでいる」
「何が言いたい?」
さすがにゲリラ兵の将校も頭に来たようだ。しかしそれはこちらも同じである。
「言いたいことははっきりしている。ロックドッグは軍用スタンドアッパーじゃない。民生品だ。用いられているパーツの数は平均より少なく、整備しやすい上に、頑丈。だが、こんな環境は想定していない」
「しかし実際に、一ヶ月前までは動いていたんだ」
「明らかに下半身不随だぞ」
俺の指摘は事実だった。トレーラーの上でロックドッグは片足が膝から下を喪失している。もう一方の足も足首が見てわかるほど歪んでいる。
反論できないだろうと思われたブブだが、しかし彼は平然としていた。
「すぐに交換部品は手に入る」
「手に入る? こんな僻地に、補給があるとも思えない。仲間内で融通するのか?」
話しているうちに、嫌な予感がした。極めて不吉な予感だ。
この話は武器商人にして俺をここに紹介したツツとも話した。奴も言っていたじゃないか。補給線はなく、現地調達だと。
「まさか、敵の機体を鹵獲するのか?」
「その通りだ」
マイゴッド。現地調達とはこのことだ。
俺が確認しようとする前に、唐突に周囲にいる男たちの端末が音を発する。ノイズが酷いが、俺にも聞き取れた。聞き取れたが、単語の組み合わせで理解はできない。暗号なのだろう。
「何があった?」
ブブに確認すると、彼は嬉しそうに、しかしそれよりもはっきりと凶暴に笑った。
「敵襲だ」
どこか遠くで低い音が聞こえた気がした。
拠点にいた男たちが一斉に動き出す。それぞれに自動小銃や対戦車ロケット弾の発射装置を手に駆け出していく。おいおい、スタンドアッパーに白兵戦とは、聞いていない。
「ついてくるか? いや、ついてこい。パーツを掠め取るんだ」
立場が逆転してしまったので、一方的なブブの言葉に俺は黙るしかない。次には自動小銃を押し付けられ、防弾ベストも押し付けられた。防弾ベストなど、スタンドアッパーが扱う五十口径弾の前では気休めにもならない。
この場に残っても仕方ないので、俺は最低限の工具を持って駆け出そうとして、ふと思い立ってトレーラに座るしかないスタンドアッパーのそばにいた少年兵を呼んだ。名前を知らないので「きみ」などと呼ぶしかない。しかし素直なのか、恐怖という感情が麻痺しているのか、軽い歩調で駆け寄ってくる。
「あのスタンドアッパーに一番詳しいのは誰だ?」
「整備をしているのは、ガヌ軍曹です」
軍曹ね。
「軍曹殿はどこにいる? 呼んできてくれるかな」
「前進基地にいます」
「なんだって? ここにはいないのか?」
いません、と少年がはっきり答える。今から運任せで部品を調達しようにも、何が足りないのか、俺はさっぱりわかっていない。まさにロックドッグの損傷をチェックしようとしていたところなのだ。
「じゃあ、誰が一番、あの機体について知っている?」
少年が言い淀んだ。あまりのんびりしてはいられない、すでに周囲に人がいなくなりつつある。俺を呼ぶ声がして、遠くでブブが手を振っている。
「知っている奴が必要だ」
俺が少年兵に催促すると「僕です」と返事があった。
十三歳程度に見える少年が相棒とは、泣かせるじゃないか。
しかしもう、迷っている時間もなければ、確認している暇もない。
「オーケー。なら、きみが来い。必要な部品を教えてくれ」
カクカクと少年が頷くのに、押し付けられたばかりのベストを押し付け、俺はブブの方へ走った。少年が後ろについてくる。これにはブブも困惑したようだ。
「子どもは連れていけない!」
「彼がいないと必要な部品がわからない!」
怒鳴り合って、ただの一往復で決着はついた。ブブは倫理的には問題があるが、合理的ではあった。幼い子どもの危険より、作戦を選ぶとは、なかなかに非情な男である。評価できるが、評価できないな。俺自身も、似たようなものだが。
俺は少年に工具箱を渡し、「捨てて逃げるなよ、死んでも放すなよ」と念を押した。少年は頷いているが言葉はない。恐怖が完全にすっ飛んでいるわけでもないか。俺は手元の自動小銃の様子を確認。簡素な構造で頑丈なのが売りの、ヴァルバロッサ十字教国製の自動小銃、のコピー銃だった。
初弾を装填し、安全装置も確認。ちゃんと動く。
木々の間を抜けていくブブの後を追う。人の声がほとんど聞こえない代わりに、まるで風が吹き寄せているように木々がざわめく。
その向こうから足音が聞こえてきた。人の足音ではない。音と同時に地面が揺れ、周囲の木々が軋む。
銃声が聞こえ始めた。小銃弾の音が連続したが、それを塗りつぶす轟音が響き渡った。その音も木立の中を吹き抜け、遅れて爆風が吹き抜ける。
悲鳴が聞こえるのは無視するしかない。
こっちだ、とブブが方向を変える。しかし、息が上がる。平地を走っているわけではない。地面はぬかるみ、激しい起伏があり、ついでに木の根が張り出したり、折れた大小の枝なども転がっていれば岩が転がっていることもある。
しかし疲れは不思議と感じない。戦場が俺を昂らせているらしい。
すぐそばで重低音が響く。もう駆動音さえもはっきりと聞こえている。他に何も聞こえなくなってきた。
スタンドアッパーの関節部の発する軋みは甲高い。エネジェルで駆動する機関部が脈動する轟音は低い。
目の前で激しい音を立てて木々が押し倒され、引き倒される音がした。
至近だ。
銃声が無数に聞こえるはずが、俺はスタンドアッパーの発する音にだけ集中していた。
ブブが足を止め、銃を構える。
俺にもそれが見えた。
見上げるほど高い。
スタンドアッパー。装甲は一部が省略されて内部構造が露出している。
機種は、シルバーウルフ。旧型の機体だ。メーカーは、オーディン社。シルバーウルフは民生品で、原型となった軍用モデルはフェンリルという名称だったはず。
そんなことを考えても仕方がない。
ブブが指笛を吹き、いつの間に集まっていたのか、数人のゲリラ兵が木々の間から出現し、シルバーウルフに銃撃を加える。しかし小銃弾で倒せるわけもない。
頭部が周囲を睥睨する間に、ブブがまた指笛を吹き、男たちが撤退を始める。
「なんだ、逃げるのか!」
俺は一足先にブブに続いた少年の後について走りながら、叫んでいた。ブブは何も言わない。ただ走っている。背後では駆動音が高くなり、今にも砲声が轟きそうだった。シルバーウルフが片腕に保持していたのは、どう見ても五十口径を超える機関砲だった。人間相手ではなく、対スタンドアッパー用の装備だ。
しかし人間に使っちゃいけない、などとは言えない。
さすがに俺もひき肉なるか、と思った時だった。
何かが破れる音がした。これは、木材だろうか。
続いて鈍い音、地響きが聞こえ、そこでブブが足を止めた。木々の間から複雑な指笛が聞こえてきて、ブブがそれにやはり指笛で応じている。一通りの音を吹くと、今度はブブは引き返し始める。
何だ? 何が起こった。
行くぞ、とブブが俺の肩を叩く。嬉しそうな顔をしていた。
そのまま俺たちは元来た方へ戻ったが、そこには片足が膝から折れたスタンドアッパーが擱座していた。もちろん、戦闘は続行している。歩兵同士で銃弾が行き交っている中で、ブブは平然としていた。すぐそばを弾丸が甲高い音を立てて飛んでいても、堂々としている。
指示も簡潔で、動揺など少しもない。
「急いで部品を回収してくれ、整備士殿」
なんて場所だ……。
少年を見ると、ずっと抱えていた工具箱が差し出された。
俺は覚悟を決めて、倒れこんでいるスタンドアッパー近づいた。
すでに緊急ハンドルが引かれ、操縦スペースが強制的に開放され、操縦士が引き出されていた。
しかしそれでも、機械の巨体が少しでも動けば即座に俺も少年もひき肉になる、という恐怖は如何ともし難かった。
この時の俺が平然としているように見えるとすれば、痩せ我慢が功を奏しただけだ。
(続く)
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