第8話 死神の実力

 豪華な宮殿。こんな荒廃し、真っ赤な血のような色をしている空には相応しくないような宮殿の中に。その世界を統べる者は居た。


 そして。その統べる者に膝を着いて。若い、十代程の少女が口を開く。


「私が行きます。陛下」

「……ふむ。しかし、お前が行く程の相手だとは思えないが」

「【頭領】を殺す程の者です。早いうちに摘んでおく方が確かかと」

「……それもそうか。よし、それなら行ってこい。場所は分かるな?」

「はい。小細工が施されているようですが。私には通用しません」

「良い。それなら捕らえてこい」

「ハッ!」


 少女……いつかの時代は聖女とも呼ばれた彼女は。瞬く間にその姿を消した。



 ついに。彼女が動き始めた。


 ◆◆◆



「また随分とデケェ街だな。ここが首都か?」

「違うよ。この世界の五代都市の一つ。名前は分からないけど。一旦ここで情報収集とか食料集めとかしようかなって」


 あれから数日後。男達は大きな街へと辿り着いた。二人を連れて飛ぶ天使の姿は製作者が見れば発狂しかねないものであったが。幸い、その製作者達がここ来るのはもうしばらく後の事である。


 天使が男を見る。


「それじゃあ入るのはまた前と同じでッ――」



 天使が。そして男が。遥か彼方を見つめた。



「……来る」

「おォおォ。手厚い歓迎じゃねえか」

 男が嬉しそうに笑う。それを見て、猫がため息を吐いた。


「……鳥肌が止まらないんだけど」

「おェ、猫じゃねえか」

「そういう意味じゃないんだけど?」


 猫は冷や汗をかいている。それ程までに……本能が刺激されていたのだ。


 今すぐここから逃げろ。と。脳内で何度も警鐘が鳴らされ、足が竦む。


 だけど……逃げても無駄だと。分かっている。


「……街からも。百ぐらい?」

「あァ。強え奴も居ンな。あの……なんだ? お前ェがやられてたやつ」

「黄鬼?」

「それだそれ。そのレベルも数十体来てンな。……でも、今から来る奴に比べればハエみてェなもんだ」



 男はゴキゴキと首を鳴らした。


「さァ、来るぞ」


 男がそう言った瞬間。地面が爆ぜた。


 男は微動だにせず。天使は猫を連れて空を飛んだ。砂塵から避けるように。


 砂埃が舞うが……すぐに掻き消えた。その中心に居る人物の手によって。



 フルアーマープレート。と言えば良いだろうか。甲冑に包まれた彼女は、その手に黒い……禍々しい色をした剣を持っていた。


 彼女、と分かるのも。そのヘルムの前部分が上げられているから分かったことだ。中に入っている人物は年端も行かぬ少女。



「名乗る程の者ではありません。私は【死神】の一人。【聖女】です。罪人を捕らえに来ました。今すぐ投降するのならば手荒な真似はしません」


 その名を聞いて。空にいる猫が息を飲んだ。


「……分かってるよね!?」

「あァ? 本気か? 背中向けた瞬間ヤラれんぞ?」


 年端も行かぬ少女でありながらも、その圧は底知れない。


 男ですらも……微かな恐怖を感じる程に。


 だが……やはりと言うべきか。男は嗤っていた。


「猫ォ! 天使ィ! お前らは後ろの奴らを片付けておけ! こいつは俺一人でヤルからなァ!」

「えぇ!? ちょ、無茶ぶりやばいんだけど!」

「分かった」

「天使ちゃん!?」


 天使はそのまま街から流れ込んでくる……無数の化け物が居る所へ向かう。


 男はそれを気配で感じとり、満足そうに……舌なめずりをした。


「テメェ、強えな?」

「強さになど興味はありません。……投降はしないんですね?」

「ハッ! ンなつまんねぇ事するかよ!」

 男は手をパキパキと鳴らし。飛んだ。


 次の瞬間には。少女の背中に居た。その手には真っ黒な……一本の棒が握られている。


 それが振りかぶられ――脳天へと直撃する。




 キイイイィン、と甲高い音を立てて。男は跳ね返された。


「ハハッ。かっってェなァ! あのクソ鬼より硬ぇ!」

「……なるほど。しかし、これで頭領を殺したとは思ないですね」

「あァ? 頭領だァ?」

「なんでもありません。次は私から行きます」


 少女の可憐な声が男の耳に入ると同時に……その姿が残像を残して消えた。




 男ですらも見逃す程の速さ。決して油断していた訳では無い。


「……ッ」

 ゾワリも男の背筋が泡立つ。全神経を覚醒させ、横へ飛ぶ。次の瞬間。



 男の右腕が飛んだ。


「……今のを避けますか」

「……テメェ」


 少女の言葉に男のコメカミがひくついた。


「今手加減しやがったな? 何が避けましただァ! 避けられてねェんだよ!」


 ――そう。男の言う通り、少女は最初から男を真っ二つにするつもりは無い。


 あくまでその目的は捕縛。腕さえ無くなれば戦意は削がれるだろうと。少女は期待していた。


 それが――慢心であると気づくには、もう少し時間がかかるのだが。


「なぁ、聖女。俺がこの世でイッッチバン嫌いな事を教えてやるよ」


 男はその痛々しい傷跡を指で掻きむしり……抉り。少女を睨んだ。


「手加減だ」


 また、男は走り出した。先程より数段階速度を上げて。


「……」

 少女は目を動かし。しかし、体は動かさなかった。


「死ねやオラァ!」


 次の瞬間にその首筋に棍棒が叩きつけられる。……しかし。少女はビクともしない。


「クソがァ!」

 その勢いで弾き飛ばされた男は言葉を吐き捨てた。


「……手加減が嫌い、ですか」


 少女は冷ややかに。男を見る。


「それなら私を本気にさせてみてくださいよ。犯罪者さん」

「ぺっ」


 男は喉奥に溜まった血を吐き捨てて。ギラギラとした眼を少女へ向け。笑みを漏らした。


 ただの狂人としか思えない笑み。しかし、それを見て少女は。自分の慢心を悟った。



 甲冑の、関節部分は弱点と言えるだろう。他に比べると装甲が脆いのだから。


 そこに、何か。細いものが巻きついている。



 次の瞬間、その鎧が砕けた。


「……こう見えて俺も殺し屋なんだよ。どんだけ狂っていようが、相手を殺す事だけは忘れちゃいねえ」


 その手首には……先程までは無かったはずの指輪が五つ見えた。


【起死回生】の暗殺器具の一つ。【嫉妬の糸エンヴィ・ロール


 とある人物の髪の毛をベースに、機関が改造に改造を重ねた物。光の反射によって色が変わり、目には見えない。そして……ダイヤモンドが練り込まれている。


 衝撃には弱いものの、こうして締め上げるにはうってつけのものだ。

 更に言うと、つい先日。天使が改造を施していたりもする。


「……チッ。また助けられたな。シル」


 男はここには居ない者の名を呼び、その手を。握り潰す。


 ……しかし。それ以上手は動かない。



「……驚きました。まさか、この鎧が壊れるとは」

「なッ……」


 その首に。腕に。手首に。ありとあらゆる関節にその糸を巻き付けられたまま……少女は呟いた。






「ですが。誰が決めました? 鎧より中身が柔らかいと」




 ブチリ、と。その糸がちぎられる。



 そうして……壊れた鎧を脱ぎ捨て。少女はふう、と息を吐く。


「しかし、やはり私に鎧は向いていませんね。重いだけで役に立ちませんし」


 鎧よりも遥かに頑丈な肉体。見た目からはそう思えないほど華奢な体を大気にさらけ出した少女はそう言った。


 服装は……随分と簡素な、言うなれば昔の農民が着けていそうな布の服だ。


 見た目に反して、その体から出る圧は今や計り知れない。……まるで、あの鎧が封印の呪具でもあったかのように。


 人より遥かに格上の存在である【鬼】でも恐れる程の強さを持つ。それが【頭領】と呼ばれる鬼だ、街を統べる鬼。……そして。その【頭領】が恐れる存在が【死神】


 その【死神】を統べる者。それが【聖女】であった。


 ただの人ならば、睨まれただけでその命が潰える。その場に居る事すら許されない。



 そんな存在を目にして。


「……ぷ、くく」


 男は嗤っていた。


 ◆◆◆


 一方その頃。猫と天使は多数の鬼と戦っていた。


「ああもう……なんで自分が生きてるのか不思議だよ!」


 猫の手には肉球のようなグローブが嵌められ……そこからは肉食獣のような鉤爪がニョキニョキと生えていた。


 その鉤爪は的確に。鬼の首を抉り取る。気管支に血液が入り込み、呼吸が出来なくなるよう。猫はあの男や天使に比べると非力だ。だからこそ、こうした手段を用いる。


「……無駄口叩く暇があったら、一匹でも殺す!」


 天使は翼をはためかせて頭上に舞い上がり……あの時壊れたはずのM134を鬼の集団へと撃ち放つ。


 すぐに鬼達は肉塊へと代わる。……しかし、そんな中にも……弾を跳ね返す、異質な存在が居た。


 その鬼達は他と体の色が違う。その鬼が棍棒を振るう度に衝撃波が発生し、天使の肌へと痛々しい傷を残す。


「……そいつ、やって」

「無茶言うなぁ! 雑魚は任せたよ!」


 猫は辺りの鬼へとべーっと舌を出して特殊個体……【頭領】と呼ばれる鬼へと向かう。


 ……当然、鬼達は怒り狂い。猫へと棍棒を振るおうとするが。


「させないっ!」


 すぐに蜂の巣にされる。猫のすぐ真後ろまで来ていた鬼には……


 ガンッと。撃ちすぎて熱を持ち、真っ赤になっていた砲身を天使がぶつけ、蹴り飛ばした。


 そして、天使はまた虚空からM134を取り出す。



「ああもう、硬いなぁ!」

「……ぬ。どこへ」

「下だよ!」


 猫は鬼の股をくぐり抜けながら――そこを鉤爪で引き裂いた。


「うぬぉぁあああああ」

「やっぱ弱点は同じ、ね!」


 即座に猫が肩へと跳び移り。その目玉に鉤爪を突き刺した。


「……強い」

「相性って奴だよ。鬼は確かに速くて重い。……でも、ボクはそれ以上に速い」


 猫は鬼から鬼へと跳び移りながら、的確に急所を切り裂いた。


「……ま、あの【黄鬼】はスピードが速めの個体だったから相性が悪かったんだけど……さっ!」



 下から伸びてきた手を猫は跳んでかわした。……すると。


 猫が全身の毛を逆立てた。血管が沸騰するような緊張感に見舞われ、体が硬直する。


「……ッ。猫、避けて!」


 天使の言葉にどうにか反応し。高く……高く飛んだ。それを天使が受け止める。



 それと同時に。先程まで猫が居た地面が抉り取られた。


「ッ……」

「……今のを避けるか」


 そこに居たのは……真っ黒な。炭のような色をした……鬼であった。


 その風格は他の鬼とは違う。一目で天使も、猫も理解した。


 ――勝てない、と。


 ◆◆◆


「……どうして、まだ動けるんですか」

「あァ! ンなの楽しィからに決まッてんだろうがよォ!」


 片腕を無くし……片脚まで無くし。また、体に無数の傷を付けながらも男は。笑っていた。


 口の端から血が流れ、目は限界まで見開かれて真っ赤に充血している。その姿で笑うと……到底人には見えなくなる。


「何故……まだスピードが上がるんですか! 狙いにくい!」

「ハハッ! そりゃあ体も軽くなってるしなァ」


 四肢の半分を無くして尚、男はそう返す。……四肢の半分を無くしてそう言える人間が本当に居るのだろうか。


「……生きていた頃の職業は何をしていたんですか?」

「殺し屋だよ。御託は良いからさっさとヤろうぜ」


 傷口の開いた肩口を無理やりもう片方の手で捻じ止め。男は棍棒でバランスを取った。次の瞬間。


 少女は上へと剣を振るった。


 それと同時に……天が割れる。真っ赤な空が。そこから覗いたのは……太陽のように神々しい。光であった。


「……これ、後で上に怒られるんですが」

「……ッ」



 一拍置いて。男が弾き飛ばされる。



 何十、何百メートルも上空に。





 一瞬。男の意識が飛んだ。これは男が殺し屋になってから……初めての事だった。


「……く、そが」


 自分の肋骨が。胸骨が粉々になった事が分かる。内蔵も腹の内で裂け、バラバラになっている。


 死が目前に迫っていた。


 ◆◆◆


「……やっと死にましたか」


 少女は地面に衝突した男を見て。息を吐いた。


 恐ろしい男だった、と少女は思う。自分の傷を恐れない。それだけでは無く、傷が増える毎に動きのキレが増す。しかも、致命傷はギリギリで避けられる。


 戦闘のセンスと……その驚く程に冷たい思考は時代が時代ならば……英雄か、それか魔王とでも呼ばれていたのかもしれない。



 何にせよ、男は死んだ。砂塵が舞う中、少女が様子を見に行くと。



「……あ゛ぁ、クソ痛かッた」


 そんな声が……聞こえた。


「ッ……」


 少女が剣を一薙ぎすると。砂埃が消えた。


 そこには……地面に埋もれながらも。確かに息をしている、男の姿があった。


「なぜ……どうして生きているんですか!?」

「腹ァ立つけどなァ。猫のお陰だよ」


 そう言って男が捨てたのは一つの小瓶。


 鬼だけに支給されるはずの、回復薬であった。


「まッ、死にかけたのはァ事実だ。実際、あと一秒でもこいつを塗るのが遅けりゃ死んでた」


 男はそう言って……立ち上がる。


「二回戦、と行く前に一つ聞いちゃくれないか」


 男の言葉に……少女は頷かないが、攻撃を仕掛けてくる様子も無かった。


 男は話を続けた。

「殺し屋ってのはァ確実に依頼をこなさいといけねェ。例え命に替えても。その為に支給される特別な『薬』もあンだよ」


 その言葉に少女が危機感を覚えるには……少しだけ遅かった。


 カリ、と。錠剤の噛み砕かれる音が響いた。


 ◆◆◆


「ああもう! 硬い! また爪折れちゃったよ!」

「……銃弾も通らない」


 黒鬼との戦いは長期化していた。しかも、周りの鬼の対処もしながらなのだ。


「……ちょこまかと」


 黒鬼からの攻撃はどうにか避け続けている。……時折、天使に危ない場面はあったが。猫がその度に攻撃をしかけていた。


 このままではジリ貧だ。猫は考える。



 ……しかし。猫の持っている技はその場をやり過ごすものが多く……対人では殺傷能力が高くとも、人外を想定した物は少ない。


 その事実に歯噛みしていると、天使が声を張り上げた。


「猫! 三分時間稼いで!」

「……また無茶を。ほんっっとうにキミ達は猫使いが荒いんだから!」

 猫はそう叫びながらも。辺りを見渡した。


 この黒鬼だけでは無い。他の鬼まで対処しなければいけないのだ。……それは、ほぼ不可能と言えるだろう。



 ――猫が気紛れでも見せない限り。

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