第7話 【聖女】

「おはよ、シル。ご飯出来てるから食べちゃって」

「……おはようございます」


 シルヴィはゆっくりと席に着く。その動きは酷く緩慢で、ふらふらと頭が動いていて危うさを感じさせる。


「シル? 大丈夫?」

 シルヴィはその言葉に返事をしない。顔を動かしすらしない。


 その瞳の光はとっくに失われていた。




『男』が死んでから、シルの身には様々な出来事があった。


 まずは、『組織』にて彼が死んだことを伝えた。ボスは酷く悲しんだ。しかし、すぐに『天使』の対策をせねばなるまいと意気込んだ。

 そして、彼の残した『財産』その全てはシルの元へと入った。人生を数十回遊んで暮らしても尚余るほどのお金。それと一緒に手紙も入っていた。


 その手紙は『日本語』で書かれていた。


『シル。お前がこれを読んでいるのならば、俺はもうこの世には居ないのだろう。俺も遺書なんざ書いたことがない。その辺は許してくれ。まず最初に、その金庫の中身は全てシルに譲渡する。ボスにもそう話は着いている。次に――』


 そんな風に、これからやるべき事がつらつらと書かれていた。そして、最後の方を読んでシルは崩れ落ちた。


『お前と出会って俺は人生に価値を見出す事が出来た。お前は美人だから、すぐに良い男を捕まえるだろう。だが。これだけは言わせて欲しい。すまなかった。お前の人生を壊して。残りの人生は普通の幸せを掴んで欲しい』


 そんな、普段なら彼が絶対に言わないであろう言葉。


「ばか……以上の男がいる訳無いじゃない……ばか、本当にばかなんだから」


 シルヴィの瞳から涙は枯れていた。あの時、流し尽くしてしまった。



 ◆◆◆



「シル? ご飯冷めちゃうよ」

「……すみません。いただきます」


 シルヴィはハッとしたようにトーストを口に運んだ。


 もぐもぐと、機械のように口に運ぶ。その対面に座った女性――優は静かにその様子を見つめた。




 シルヴィは壊れてしまった。二度目の大切な家族を失ったことによって。


 優だってそうだ。しかし、彼女にはシルヴィの面倒を見ないといけないという役目があった。


「……ご馳走様でした」

「はい、お粗末さま。後片付けは私がやっとくから」

「……はい」


 優は決して急かさない。だって、シルヴィにはまだまだ時間がある。立ち直るための時間は必要だ。



 趣味でも何でも、生きる希望さえ見つけることが出来たら人は生きることが出来る。今のシルヴィには、『彼が残してくれたから』という理由で財産の管理をしているに過ぎない。


 そんな理由は、本当にちょっとした事で瓦解してしまう。いつ自殺をしてもおかしくない。


「他に何か力になれる事があったら言ってね。買いたいものがあるとか」

「……はい、分かりました。ありがとうございます」


 静かに、シルヴィは与えられた自室へと歩いていった。


 ◆◆◆



「どうしたものかな」

 優は皿を洗いながらそう呟いた。その顔には心配の色が濃く出ている。


「明日あの子に連絡してみるとして、今日は語り合ってみようかな」


 優は手をぱっぱと水分を払い飛ばし、棚を開けた。


「……あの子未成年だっけ? まあ、療養のためだから」

 そこにある年代物のワインを取り出し、微笑んだ。


 ――彼に。弟に頼まれたから。優はその痛ましい笑顔を取り繕って。その瞳は静かに下を向いたのだった。


 ◆◆◆


「……なんで? どうして?」

 シルヴィは愛用のPCを使い、とある人物に連絡を取ろうとしていた。



「……どうしちゃったのよ、あの子」

 シルヴィの脳裏に過ぎったのは、自分より一つか二つ年下の少女。


「……仕方ないか」


 シルヴィはスマートフォンを取り出し、番号を打ち込んだ。


 五コールの後に、シルヴィはキャンセルを押す。そして、また別の番号にかける。今度は一コールの後に切った。


 そんな事を何度か続けた後に、電話は取られた。


『何の用だ? 君はもう組織を抜けたはずだ』


 低く、腹の底から冷え切るような声。電話を撮ったのは、シルヴィ達が所属していた組織のボスであった。


「……申し訳ありません。一つ、どうしてもお聞きしたい事があったんです」

「まあいい。君と『ナイン』はかなり活躍してくれていたからな。用件を言え」

 ボスの圧に耐えながら、シルヴィは口を開いた。


「【気まぐれな猫】の居場所と新しい連絡先を知りたいです」


「…………」


 ボスは押し黙った。普段見せない様子にシルヴィは戸惑った。


「……奴は死んだ。【天使】の手によって」

「え?」


 まるで時が止まったかのように。シルヴィは固まった。


『これ以上連絡は取ってくるな。彼に顔を向けられなくなる』

 そう言って。ボスは電話を切った。


「嘘……だ」


 シルヴィは。ぺたりと座り込んだ。その顔は……次第に濡れていく。


「嘘、だぁ……」


【気まぐれな猫】とシルヴィは仲が良かった。歳も近かったから。親友と呼んでも差支えが無い程に。


 同じ人を好きになった、仲間でもあったから。


 シルヴィは泣いた。幼子のように泣きじゃくって。枯れたはずの涙を流す。


 彼女は……無二の親友と、恩人であり……大好きな彼を失ったのだった。


 ◆◆◆


「【盗聴インターセプション】成功。逆探知を開始します。…………成功。標的【知の花:シルヴィ】は現在日本に居ます。どうされますか?」


 水色の髪を伸ばした、酷く透明感のある少女。……【天使】と呼ばれるそれは、虚空へとそう話しかける。


『今すぐ向かって殺せ。人類の悪となる者は全て抹殺しろ。後で他の天使も送り込む』

「承知しました」


 少女はそう言って飛び上がる。その背中には……一対の翼が生えていた。



 ……しかし。その数時間後。また天使の下に連絡が入ってきた。


αアルファ。予定変更だ。捕獲は後にしろ』

「……どうしてでしょうか」

『なに、面白い事を言われてな? プロトタイプが死んだのは確かに惜しかった。……だが、あの条件は死んでも変わらないらしいんだ』

「……なるほど」


 空髪の天使αはマスターの言葉に頷いた。


『ああ。だから、プロトタイプが戻ってきてから作戦を開始しよう。……【熾天使】様の話では……そう遠くないうちに来るそうだ』

「承知しました。それでは準備だけしておきます」


 γはそう言って、通信機の電源を切った。


 その瞳には一切の光を感じさせないまま。彼女は翼をはためかせ、帰って行ったのだった。

 ◆◆◆


「ンで? 次はどこ向かうんだ? あァ?」


 男はボリボリと。――自らちぎったはずの腕を掻きながらそう言った。


 猫の持っていたあの薬。それのお陰で、男の無くなった腕と足は生えてきたのだ。


「……そうだね。どこか行きたい所はあるかな? 天使ちゃん」

「分かりません」

「ま、そうだよね。天使ちゃんは鬼にボコられてただけだもんね」

「む……否定は出来ませんが」


 猫の言葉に天使は眉を顰めたが、言い返す事はしなかった。そんな天使を見て、男は呆れたようにため息を吐いた。


「オイオイ、他人をいじめる暇なんざァあんならよォ。持ってる情報キリキリ吐けや。ア?」

「キミって昔からチンピラみたいな所あるよね。……まあ、契約したからね。話すさ」


 猫の言葉をまとめるとこうだ。


 ここは――地獄。悪人が落ちる世界である、と。


 この世界に落ちてきた罪人は鬼に連れられ。首都へと向かわれる。そこで【閻魔大王】によって罪が裁かれる。と。


 もし抵抗するのならば【鬼】と呼ばれる化け物に体を何度も打ち砕かれる。……何でも、この世界では『死』という概念が無く、体を消滅させられても魂は消えず。肉体もいずれ再生されるとの事だ。


「ああ、それと――どうやらこの地獄、ボク達の居た世界と違う世界の住民も居るらしい」

「あ? 分かるように話せ」

「うーん。……ああ。なんだっけ。日本で流行っていた異世界アニメ? っていう奴あるじゃん。ああいう世界からの住民も居るんだって」


 猫の言葉に男の眉がぴくりと動く。……そして。その口の橋が歪んだ。


「……へェ。あの『魔法』とかいう超常染みた奴を使うのか」

「あれ? 案外キミってオタクだったりする?」

「暇だった時に読んだだけだ。ライトノベルっつう奴をな。……シルヴィが好きだった、ッてのもあるが」

「ああ……そういう」


 猫が不機嫌そうにしながらも納得して……また、口を開く。


「……それと。そういう人間離れした人を大人しくさせるために。【死神】って言うのも居るらしい」

「へェ……あのクソ鬼が言ってたやつか。面白そうじゃねえか」

「やめてよ。絶対死ぬから。……特に。死神の中でも最強って呼ばれるのが一人居るんだけど。どうやらとんでもない人がなってるらしいんだよね」

「……誰だ?」


 猫の言葉に初めて。天使が興味深そうな表情を見せた。


「うん。彼女はね。【聖女】って呼ばれてる」


 そうして。猫は説明を始めた。


 【聖女】



 彼女は生まれは平民ながらも長い戦争に参加し。天使に先導され。自国を救ったとされる。――しかし。その最期は。国に見捨てられ、火あぶりの刑に処されていた。


 そんな彼女が……この地獄で死神となり。暴れる罪人を捕まえているらしい。



「……いい? 絶ッ対に戦わない事。というか見つかりもしないで。分かった?」

「……チッ。しゃあねえな」

「分かりました」


 猫の言葉に男は渋々。天使は素直に頷いた。


「で? 結局どこに行くんだ? このクソみてェな世界を練り歩くのか?」

「……ま、これでも情報が足りないのは確かだからさ。まずは首都、行ってみない? 第一目標は【生き返る方法を探る】でさ」


 猫の言葉に男がふん、とつまらなさそうな顔をする。


「……わざわざンなこたァしなくても。ここなら強ェ奴がたくさん居るんだろ?」

「シルヴィちゃんが心配じゃないの?」


 男の目が細められる。……どこか、怒っているように。


「……気に食わねェな。俺はボスの下にしか付かねえって決めてンだが」

「まさか。ボクこそ君を扱いこなせるなんて思ってないよ。これも契約の範疇だよ。可能不可能かは別として。どうせなら生き返りたいんじゃない? ボクが情報は集めるから。それと天使ちゃん」


 今度は猫が天使を見る。


「キミの存在は不思議だ。他な天使とは違う何かがある。どうかな。生き返って……【起死回生】と一緒に居たら、その感情も理解出来るようになると思うけど」

「あァ? なンで俺がこいつと一緒に居なきゃ「はいはい。黙って黙って」」


 猫はパンと手を鳴らし。改めて天使を見た。


「それで、どうかな?」

 天使は少し考え込んだような表情をした後に……頷いた。


「……行く。私も一緒に」

「分かった。それじゃあ首都にレッツゴー!」


 猫はテンションを上げながら。そう言ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る