青い花の色

朝吹

短篇 青い花の色 (前)

※拙作短篇「おさな妻」の番外もの。後から推奨ですがこちらが先でも読めます※



 領主の若さまは、わたしと同じ年だときいていた。

 紹介される前から、石造りの広間の端と端からお互いちらりと姿を見ていた。

 同じ年。

 だから何。

「同じ年なのだから仲良くするがよい」と若さまの父君は上機嫌だったけれど、わたしには興味がない。

 晩餐までまだ時間があった。

 わたしに城の付近を案内する役目を父親の領主さまから云いつけられた若さまは「分かった」と頷いた。内心「なんで俺が」と想っていそうな顔をしていた。

 大人の思惑で動かされるのは鬱陶しいものだけれど、もう少し隠してくれてもいいのに。

 わたしまで不機嫌になってきた。


 いずれは領主になる若さまは領内のことならば大体わかるのだろう。この時間から巡れる景色のいい処といえばあそこやあそこだと独り言を云っていた。馬に二人乗りして私たちはお城から出た。二人とも黙っていた。わたしは男のほうから機嫌を取ってくるのに馴れていたし、若さまは元からそんなにお喋りではないみたい。

「名」

 ふいに、若さまがわたしに訊いた。わたしは若さまの前に横乗りしていたからちらりと横を見るかたちになった。

「名まえなんだっけ」

「どなたの名のことでしょうか。若さま」わたしは云った。

「決まってんだろ」

 若さまは手綱を握る手を軽くわたしの方にふった。

「他に誰がいるんだ」

 無言でわたしは横を向いた。

「無視かよ」

 若さまは唖然としていた。

 わたしの名は簡単なものだし、「あれは誰だ」と男たちが訊きたがるのに、まるで憶えてないなんて失礼にもほどがある。

 そういえばわたしも若さまの名は憶えていない。まあいいか。若さまで。さまも要らないか。若でいいや。

 わたしは後ろを振り返った。お城はまだ大きく見えているしまだそんなに遠くない。馬は大人しいし、横乗りのままでもいけそう。

 わたしは若を振り仰いだ。

「若。若は帰って。ここからは自分で行きます」

 いきなり敬称略の呼び捨てか、と若が愕いていた。

「馬には乗れます。横乗りにも慣れてるの。この馬を貸して下さい。わたしは一人で散歩できますから」

「大丈夫か」

「大丈夫です」

 わたしは頷いた。こういう馬は勝手に城に戻るから迷うこともない。

 馬から降りた若は心配そうに見ていたけれど、わたしがすぐに危なげなく馬を歩ませはじめたから、振り返りながら帰って行った。

「おい」

 かなり遠くから若に呼ばれた。本当にわたしの名まえを憶えてないんだ。知らない、あんなやつ。

「城が見えなくなるような遠くには行くな」

 分かったというしるしにわたしは若のほうを見ることなく頷いた。

 若の姿が見えなくなった。馬を進めていった。農夫たちはすでに家路だ。起伏のある畠には誰もいない。所々に樫の木がある。木々は空に黒い手を伸ばすようにして影になっていた。夕暮れの色に染まった薄むらさき色の無人の大地。雲ひとつない空には金貨のような星がもう出ている。念のために辺りを見廻した。誰もいないことを確認した。ここでならいいかな。

「大っ嫌い」

 大声で叫んだ。馬がびっくりしていた。

「大っ嫌い。みんな死んじゃえ」

 涙が落ちてきた。わたしは涙が流れるにまかせた。見知らぬ土地の夕暮れの中で思い切り泣いた。

 変態じじいの嫁になるか、こちらの人質になるかの二択だったのだ。妾腹の子であるわたしには選べなかった。意地悪な親族や従妹の娘たちは「じじいの嫁になればいい」と云っていた。十代の処女しか嫁にしないことで有名なじじいで、数年経つと嫁を変えるのだ。変態じじいの次の嫁の候補としてわたしに白羽の矢があたっていた。

 実家といってもそこはわたしの家ではなかった。かなりややこしい因縁の絡んだ妾腹の子だったから、居候みたいな感じで肩身せまく暮らしていた。

 わたしの名を乱暴に呼ばれて小言や用事を云いつけられるたびに、わたしは自分のことが嫌いになった。誰かにわたしの名を呼ばれる時は嫌なことしかなかった。その名を愛情をもって呼んでくれたのは母さまだけだ。その母さまも六年前わたしが十歳の時に死んでいた。

 辛かった。

 わたしは見知らぬ土地の見知らぬ景色の中で涙を流して大泣きした。雪をいただく夕映えの山々が暮れていく中でもまだ光っていて、嫌味のようにそこだけ鮮やかだった。風景は良かったけれど眼に入らなかった。わたしはじじいに嫁ごうが人質として余所に送られようがどうでもよい娘だった。氷河と泥地のある実家の領地は荒涼と背中合わせだった。こちらのほうが景観が良いし緑もやさしい色をしていた。でもその時のわたしにはまるで眼に入っていなかった。



 いざこざがあって、死人も出るような喧嘩もあって、仲が悪くなっていた二つの領土のあいだを取り持つためにわたしは此処に送られてきた。人質といってもそんなに大層なものではなく、形式的なものだった。

 領主ご夫妻は親切だった。

「大昔からあそことはそういう関係で、諍いがあるたびに嫁を取って仲直りしてきたのだ」領主さまから説明を受けた。

 わたしは妾腹の子だけど、なんとなく領主さまの言葉の端々から、このまま此処で嫁になってもいいようなことを匂わされていた。誰に嫁ぐのかといえば、あの若だ。

 食事の席でその話が出た時に、わたしは無言で顔筋ひとつ変えなかったけれど、若の方は「え」という顔をしていた。

「メリー」

 若に呼ばれた。憶えたんだ、わたしの名。

 若はなぜかわたしを見ずに横の方を見ながら喋った。わたしは馬を引き出して散歩に行こうとしているところだった。厩舎の入り口に若がいて邪魔だった。

「ごきげんよう若」

 邪魔だぞという意を込めて冷たく云った。

「若も馬なら、どうぞ」

 片方に道をあけた。でも若は入り口から動かなかった。

「やめとけ」と若は云った。

 わたしは若を見た。

「何をでしょう」

「遠乗りだ。やめとけ」

「どうして」

「とにかく、やめとけ」と云う。

「行くつもりでもう用意がすみました」前に進んだ。若は動かない。やがて云った。

「危ないから」

「それが何か」

 いらいらしてきた。何が云いたいの。

「話が見えません」

「人質だし。女だし」

「はっきり云って下さい若」

「余計な面倒は最初から起きないに限る」

 ああ、そういうこと。

 わたしは唇をかんだ。

 誰からも庇護されず冷遇されている居候の女ほど男たちから侮られて揶揄いの的になるものはない。国許でもわたしのことを妾腹の子と低くみる輩から、同じような目に何度も遭ってきた。さすがに半分は領主の血だから乱暴狼藉には及ばなくても、未遂だけならわたしは国中で一番そういう目に遭っている女の子かもしれない。

「だんだんお前が外に遠出しているのが領民の間でも噂になっている。石くらいは飛んでくるかもしれない」

 毎日わたしは馬で長い距離を散策することで午後を潰していた。

 そっかーとわたしは小首を傾けて、馬の首を撫ぜた。

「でもせっかく馬の用意をしたのです。外に行けると思っていたこの子も可哀そう。かわりに少しだけお城の敷地の中を散歩させてもよいでしょうか」

「そうしろ」

 若はほっとしたようだ。

「若さま。ご親切にありがとうございます」

 わたしは貴婦人がそうするように少し膝を折って若にむかって微笑んだ。ガキに通用するかどうかは知らないけれど、何人もの男たちが一瞬でわたしに優しくなってきた、とっておきの笑顔だった。


 たっぷりある衣の裾を左右に流して前向きに鞍にまたがり馬を歩ませていた。いつものようにいつもの道を行くだけでいい。道行の半分ほどきた。そのうち前方に男が四人見えて来た。わたしの方を見ている。

 こいつらだ。

 わたしは馬を駈けさせた。「駈け抜けて」と馬に頼んだ。落馬したらどうしようと一瞬だけ想った。落ちてもいいや、どうなってもいい。

 何もかもが大嫌い。

 馬から落ちる代わりに反対側の茂みから馬に乗った男が出てきた。飛びついてきた男に手綱をとられた。あっという間に五人の男の手が伸びてきて鞍から引きずり降ろされた。

 何となく勝手が違う。ここが、嫌がらせや揶揄いだけで済む国許ではないことを想い出した。一昨年のいざこざでは死人が出ていた。まだわたしの実家に恨みをもっている者が大勢いる土地なのだ。

 大きな手がわたしの手首を掴み、別の手が口を塞いできた。

 メリー!

 私の名を呼んで若の馬が駈けて来た。



 お城まではまだ距離があったが、若はここで休憩をすることにしたようだ。わたしを馬から降ろした後で、小さな花が咲いている叢の中に転がるようにして若はうつ伏せに倒れ伏した。手足を投げ出してしばらく倒れたままだった。やがて下を向いたまま若が云った。

「あそこまで芝居に合わせてくるとは」

 呆れているのか怒っているのか分からない口調だった。

 駈けつけた若は片腕を上げるとわたしを掴まえている男の顔面にいきなり馬の鞭を振り下ろした。過激すぎてわたしの方が愕いた。続けて騎乗の若はわたしの腕を掴まえている男にも鞭をふるった。すごい音だった。

 男たちが農具や剣を持つ前に若は彼らに鞭を突き付けて怒鳴りつけた。

「当家がお預かりしている国王陛下ゆかりの貴き女人に何をする」と若は云ったのだ。

 今なんて。国王陛下。

「こちらの貴女に乱暴をはたらこうとしたお前たちは国王の敵だ」

 貴女ね。

 男の手の下から這い出したわたしは若の許に駈け寄った。

「この者たちの今の非道な振る舞いを国王陛下に訴えて下さい」

 お祈りの時のように手を組み、せいぜい貴女らしく馬上の若君を仰ぎ見てか弱くすがりついてみた。

「国王陛下の保護卿であられる公爵はわたくしの名親です。わたくしは陛下の姪も同然。陛下はきっと聞き届けて下さいます」

 若の眼が「え」と云っていた。かまわず続けた。

「烏が三回鳴くあいだにその者の息が絶えるという嘆きの塔。この者たちを国王陛下の名のもとあの塔に収監させて下さい。陛下の保護下にある婦女子を穢したものを国王陛下は決して御赦しになりません」

 どうせ何を云われているのか分からないのだ。適当に云った。国王陛下だけは繰り返しておいた。息ぴったりの三文芝居だった。国王の名が出てきたことで男たちは慌てて逃げ去って行った。

「公爵までとび出してたぞ。あれは一体なんなんだ」

「ごめんなさい」

 忠告を無視して迷惑をかけてしまった。先刻のことにわたしはまだ動揺して少し震えていた。本当に怖かった。わたしは叢にうつ伏せになっている若に云った。

「若のおっしゃるとおりでした」

「つんつんしてるお前でも一応、男に謝ることはできるの」

「お礼も云います」

「ではどうぞ」

「危ないところを助けて下さってありがとうございました」

「どういたしまして」

 うつ伏せに倒れたまま若はぶっきらぼうに応えた。わたしの乗っていた馬は暴漢に愕いて何処かに逃げてしまっていた。若と二人乗りでここまで帰ってきたのだ。

 わたしは傍を流れる小川に下りて行って、透明なきれいな水で手を洗った。顔も洗った。男たちが触れたところは全て洗い流したかった。若は何で分かったんだろう。

「あの笑顔は絶対にあやしかったからな」

 寝ころんだまま若はじろりとこちらを見上げた。

「お前が俺に対してあんなに愛想がよかったことはないからな。女がああいう顔をする時は必ず何かとんでもないことをやるんだ」

 あらそう。領主の息子として大勢の人間は見てきたということだろうか。

「若は何歳」

「お前と同じ。十六になったとこ」

 そうだった。

「人質とか脇腹の子とかそうことはどうでもいいから」

 やがて若は身を起こした。起き上がった若は小川で水を散らしながら顔を洗った。人質とか脇腹の子とかそういうことはどうでもいいから。その後に何か隠れている気がしたけれど、若は云わなかった。代わりに別のことを云った。

「今の男たちはうちの領民ではなかった。あちらも俺の顔を知らなかった。最近国内にあの手のが多くなってるんだ。ああいう流浪人には最初に大きく出た方がいい。こっちが若造で単騎だったしな。後で父上にも報告しておく」

 話がそうなると、もうわたしの口出しすることではなかった。

「メリー。ちょっと来い」

 呼ばれた。前から想ってたけどちょっとこの若さまは傍若無人で無遠慮だ。次代の領主だからこんなものなのかな。女の子に対してわざと雑に扱って気を惹こうとしている感じでもないから、これが彼の自然体なのだろう。悪い感じはしないけど、ちょっと来いなんて云われたの初めてだ。男の子扱いみたい。

「お前に三つ云いたいことがある」若は云った。

 三つもあるんだ。

 助けられた恩もあることだし、お世話になっている領主の息子だし、一応わたしは衣の裾を整えて若の前に横座りして手を膝においた。

「きいとけ」

「はい」

 なんで偉そうなの。

「これから遠乗りは俺と行くこと」

 まあ仕方がないか。わたしは頷いた。

「はい」

「俺と一緒なら問題はほぼ解決だ。次だ。大っ嫌いみんな死んじゃえ。畠のど真ん中で叫ぶな」

 あれ。

 わたしは首を傾けた。あれ?

「聴こえてたから。俺、後ろにいたから」

 城に帰るふりをして、隠れながらわたしの跡をつけていたのだという。

 さすがに顔があかくなった。恥ずかしい。あれを全て見られてたとか死ねる。せっかく普段、気を張りつめて淑女らしくあろうとお澄まししているのに。台無しだ。

「あんなの誰かに聴かれたら何かと想われるだろうが。大泣きしてるから出るに出ていけず、すごく困ったぞ」

 ちょっと耐えられない。今すぐそこの川に飛び込みたい。

「メリー。最後の一つだ」

 まだあるんだ。

「もういいです」

 わたしは耳に手をあてて聴こえないようにした。勘弁して。せめて明日にして。顔がまっかになっているのが分かる。確かにあれはない。あんな醜態を男の子に見られていたとは。わたしは俯いた。やめて。

「若。わたしが悪かったです」

「駄目だ。きいとけ」

 なぜか若も必死だった。あまりにも様子がおかしい。わたしは耳から手を離した。


 》後につづく

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