中編

5

 次の日、私は普段通りに出席した。昨日、倒れたことについて担任が心配してきたが、「大丈夫」の一点張りでどうにか通すことに成功した。

 フラッシュバックについて担任に言った方が良いかなと思ったが、面倒だし、宮地は研究員だ。精神科医じゃない。不確かなことを言うのも気が引けた。

 クラスの人間たちの反応も思ったより薄かったし、6時限目になる頃には私を気にするような目線はなくなっていた。現状はクラスの腫物が帰りのホームルームをサボろうとしたら倒れただけだ。よくよく考えればそこまで大げさなことでもない。せいぜい数週間ほど話の種に馬鹿にされるくらいだろう。

 耳に入ってくるのでイラつきはするが所詮そこまでだ。それくらいのことならば、気にするほどのことでもない。

 しかし問題もあった。深羽田テルンが今日も登校していたのだ。いつもなら一度来たら最低でも一週間は来ないのに、連日登校してくるのはかなり珍しい。少なくとも私は見たことがない。と言っても嫌われ者のことなのでクラスがざわつくほどの出来事ではなかった。なんならクラスの雰囲気は盛り下がっていた。

 クラスにとっては盛り下がる程度のことでも、今の私にとっては大問題だ。私は昨日辺りから深羽田テルンに目を付けられている。理由は検討がついている。この目のことだろう。というかそれ以外考えられない。

 嫌われ者同士だから仲良くしたいのかもしれない……と甘い考えが浮かんだが、中学生なのに学校サボって事件解決に勤しむような異常者が今更馴れ合いに興じる姿は想像しづらい。

 だから、深羽田は私の眼帯に隠された右目の謎を知りたいのだろう。最悪だ。絶対にバレたくない。よりによって声量のデカい深羽田なんかに。

 深羽田一人にバレるなら構わない。あいつは基本学校に来ないし、右目の異形を知った所で面白がっていやがらせなどはしてこないだろう。

 問題は言いふらす可能性があることだ。巷で有名な探偵がクラスやネットに私のことを発信したらどうなるだろうか?3つの瞳が極彩色を放ちながら動き回るなどと荒唐無稽なことはいくらなんでも信じないかもしれない。だが、万が一、最悪の展開として彼女の言うことを全員が信じたとしたら……そしたら私は……考えたくもない。

 そもそも右目については医者と母親以外には誰にも知られたくないのだ。だから今までたとえ相手が友好的であっても誰かと関わることは避けてきた。こんな所でバレる訳にはいかない。


 6時限目の終了を知らせるチャイムと共に私は席を立つ。昨日と同じく帰りのホームルームはパスする。怪訝な視線を感じるが全て無視して教室から脱出。早足で学校を後にした。

 昨日のようにふらつくこともない。しっかりとした足取りで帰路に就く。

 下校している生徒はちらほらいる程度。数分もすればホームルームが終わり、ここら一帯は中学生で溢れるだろう。深羽田が追ってくるかどうかわからないが、早めに帰ることに越したことはない。

 細い路地に入って数メートルほど歩いた後、振り返る。誰もいない。薄暗く、時間が経って薄汚れた塀が並んでいるだけだ。この道は家からは大分遠回りになるが、その代わり人通りが少ない。

 この道は私が学校をサボって学校の周辺を散策していた際に偶然見つけた道だ。何度か通ったが未だにこの道で人とすれ違った覚えがない。おそらく、学生でこの道を知っている者はいないだろう。

 住宅に挟まれた細い道であるため太陽の光は当たらず、天気は晴れであるにも関わらず薄暗い。住宅から放たれる下水や料理などの臭いが混ざり合って気分が悪い。やっぱりここには行かない方が良かったかもしれない。

 だが、これで深羽田は撒けたはず。いくら探偵でも帰りのホームルームを受けてからこの道を見つけ出して私の跡は追えないだろう。もし尾行してきているのであれば、この人気のなさから気付けるはず。

 念のためまた振り返って後方を確認する。細く長い路地は静寂に包まれており、不気味なほどに人の気配がない。もちろん、深羽田らしき人影は見当たらない。

 安堵と共にため息が出る。良かった。


「ふぅ……」

「あ、いたいた。よくこんな汚らしい迂回ルートを通ろうと思ったね白谷君」

 振り返るといたずらっぽい笑みを浮かべた少女がその場に佇んでいた。肩くらいまで伸びた髪の毛、可愛げのある顔立ち、身長は女子中学生にしては低いが、纏う雰囲気はどの中学生よりも老成している。

 深羽田てる子。嫌われ者の名探偵が興味深そうに辺りを見回していた。特に息を切らした様子もなく、なんとなく歩いていたら偶然私を見つけた、といった様子だ。


「うっ……!」


 予想外の出来事に驚いて声が漏れ出てしまった。


「ははは。そんなに驚かなくても良いじゃないか。別に君に危害を加えようってわけじゃないんだよ?君、昨日倒れただろう?今日もホームルームと掃除を欠席したからさ。また倒れてないか心配だなーと思ってね。だから君のことを探していたわけさ。体調は大丈夫かい?見たところ悪そうだけど昨日ほどではなさそうだね。いや、良かった良かった」


 跡を付けられていた?深羽田は私の進行方向からやって来た。態度からして本当に偶然ということはないだろう。

 もしかして、私の考えや行動を予測してあえて反対側からやってきたのではないだろうか。深羽田は大人顔負けの天才探偵だ。頭はよく回るし、尾行能力にも長けている。ありえないことはない。

 心臓が早鐘を打ち、胃が収縮し、呼吸が荒くなる。気づけば私は右目の眼帯を手で押さえていた。バレたくない、という気持ちが起こした無意識的な行動だが、それがかえって深羽田の関心を買うような気がして背筋に冷たい汗が伝った。

 怖い。私の真実を暴こうとするこの女が、ただただ怖い。


「右目のことで警戒してるのかな?それは心配しなくて良いよ。君の右目が見るに絶えないことになっているのも、そのせいでいじめられた過去があるのも知っている。心配しなくていいよ。これでもボクは探偵だからね。秘密は守る方なんだ。確かにボクは謎解きが大好きだけど相手の尊厳を傷つける気はないからね。ボクが君に近づいたのは単純にお友達になりたいと思ったからさ」


 深羽田はさらりと隠したかった真実を述べた。


「は……?なんで?」

「知っているのかって?こちとら探偵だよ?ボクの情報網を舐めないでもらいたいなぁ」


 緊張と動揺が頂点に達し、崩れ落ちそうになるのを必死でこらえる。

 深羽田は気にした様子もなく、平然と追撃を始めた。


「君の右目。今までに症例のない、世界に1人しかいない奇病なんだって?しかも、日本中の眼科医がお手上げときた。そんなおもしろい話、隠し通せると思ってたのかい?まあ、世間一般までは広らなかったみたいだけど。口止めでもしたのかな?」


 こいつは何をどこまで知っている?私がネットで検索したときには何もでなかったし、眼科医たちには口外しないようにと頼んだはずだ。学校にだって奇病であることは隠している。

 なのに深羽田は右目のことも、いじめられたことも知っている。一体どこから?探偵の情報網?訳がわからない。

 何が目的で私に近づいた?まさか本当に友達になりたいと思ってるのか?いやいや、深羽田が人を思いやるような行動する訳ないし、秘密は守るだなんて言ってるが委員長や他の人たちの秘密を公然と暴露した前科がある。信用なんてできる訳がない。

 読めない。こいつの言動、行動、目的がとことん読めない。今のところ右目について暴露はしていないらしいが、今後、何かの拍子に暴露しないとは限らない。

 もし、学校のみんなにバレたらどうなるだろう?またいじめられてしまうのだろうか。今でさえ周囲からの印象は良くないのに。そうなったらもう耐えられる自信がない。終わりだ。

 ふと、母の疲れ切った顔が目に浮かんだ。日本中の病院を転々とした時も、いじめられていることを相談した時も私を見捨てなかった強くて優しい母。でも、そんな母でも父が蒸発し、私が狂いそうになった時には死にそうなくらいにやつれていた。睡眠薬を服用していたのも覚えている。

 現在はかなりマシになったけど、昔のような快活さは見せなくなった。私がまたいじめられて、家に引きこもったらいよいよ母は死ぬんじゃないだろうか。いや、きっと死ぬ。あの時の母だって参って死ぬ直前だったはずだ。

 だから、これ以上バレる訳にはいかない。自分のためにも、母のためにも。

 でもどうしよう?相手は天才だ。勉強も運動もできない。おまけに愛嬌もない私にどうこうできる人間じゃない。

 でも、だから、どうすれば、どうやって……。考えが錯綜してまとまらない。焦りと動揺が収まっていないからだろう。

 時間はあまりない。わかっている。ならば、まず——


「……あ、ぁあ、あのぅ。」

「ん?何かな?」

「右目のこと……他の人には言わないでくだ……さい。お願いします」


 そう言って頭を下げた。頬に流れた汗が顎を伝い、地面に落ちる。先ほどから汗で体中びっしょりだ。

 もともと持ってるカードが少ない私にとりあえずできること、懇願。今の私ができる最善の行動。深羽田が応じたとしても、上辺だけの了承で後から普通に暴露する可能性があるが……邪険に扱うよりかは印象が良くなる、と思う。

 人との関わりを避けるようになってから不愛想に生きてきたし、今言った台詞もまごついてるから逆に不快に思わせたかもしれない。

 深羽田は変わらずいたずらっぽく笑ったままだ。楽しんでいるのか怒っているのか、それとも何も感じていないのか、感情がうかがい知れない。


「安心してよ。秘密は守るからさ。まあ、確かにボクを信用できないキミの気持ちもわかるよ。ボクはおしゃべりでね、調べたことがつい口から出てしまうことがあるんだ。でも当人が本当にバレたくないことは言わないよ。約束しよう」


 深羽田は一歩、前に進んだ。

 後退したかったけど、足が震えて動かない。


「は、はぁ」

「ボクは本当にキミと友達になりたいだけなんだ。どうかな?」


 そう言って、彼女は手を差し出した。

 全く信用ができない。まず、依頼もないのに興味本位で調べるのは論外だ。仮に知ったとして、本当にバレたくないかどうか関わらずに他人の秘密は言いふらすべきじゃない。

 モラルが欠如しているのか?でも、本人の口から秘密を守ると言ったのであれば信じるしかないだろう。

 そして、目の前に差し出された手は……取る以外の選択肢はない。逃げても位置を特定してくるし、何より秘密を握られている。首輪を付けられたようなものだ。


「……よ、よろしくおねがいします」


 私は差し出された手を握った。瞬間、勢いよくぶんぶんと手が上下に揺さぶられる。意外と力が強い。


「じゃあ、今からボクとキミは友達だね。改めまして。ボクは深羽田てる子。テルンって呼んでくれるとうれしい。あと、敬語じゃなくていいよ。友達だからね」

「は……うん。」

「キミのことは、夏美くんって呼んだ方がいいかな?いや、響きが気に入らないな。今はまだ夏じゃないし。引き続き白谷くんと呼ぼう」



 握った手がぱっと離される。手は自分自身の手汗でびちょびちょになっていた。多分、深羽田の手も同じように濡れているだろう。拭いとけばよかった。


「じゃあ、早速、一緒に帰ろう。今日は研究所に行く日じゃないんだろう?」


 研究所のことまで知っていたのか。あそこは私も知らないことが多いし、逆に詳しく探って欲しいまである。でもやっぱり身辺調査されるのは不快だ。

 深羽田が歩き出したので斜め後ろをついて行く。進行方向は……多分、自分の家だ。この感じだといつも通っている通学路に戻っているようだ。このまま路地裏の道を行く気はないらしい。

 歩く最中、深羽田はほとんど話さなかった。いつもみたいに長ったらしくベラベラと話したり、右目について問い詰められると思っていた。

 私が真横に立っていないからだろうか?それとも何かを探られている?天才の思考なんて理解できないし、考えるだけ無駄かもしれない。

 話さない代わりに、深羽田は時々振り返って目を合わせてくる。自分の内側を覗かれている気がして反射的に目を逸らしてしまう。

 深羽田の目は綺麗だ。くりくりしていて大きく愛らしい。深羽田自体が美形なのも相まって見る分にはずっと見ていたいと思う。

 だが、その目が私を見つめる時、目に映った自分が酷く歪んでいるような気がして、見つめられる度に、右目で異界を見た時とも、秘密がバレそうになった時とも違う恐怖が背筋を走る。

 これまで深羽田と目を合わせることなんてなかったから気づかなかった。つくづく、この天才探偵に対しては不安要素しかない。仲良くなれる気が一切しない。

 顔を伏せて足元を見る。転ぶ可能性があるが、これで深羽田の目を見なくて済む。


「うん。人がいっぱいいるねぇ」


 深羽田の一声に顔を上げるといつもの通学路だった。

 通学路には学生が列を成すほど……ではないが、そこそこの人数が歩いている。

 しまった。今日は学校全体の部活が休みの日だった。いつもより人通りが多い。中にはクラスで見た顔もちらほらいる。

 深羽田と一緒にいるところを見られたら、色々と噂される気がする。何せクラスの腫物と嫌われ者だ。良く思われてない者同士がコンビを組んだとなればクラス中に笑いものに……そこまで私たちには興味ないか。

 深羽田は学生の群れの中を躊躇なく進んでいった。私も斜め後ろを付いていく。変化はない。深羽田がチラチラとこちらを見てくるくらいだ。

 それから数10分後、問題なく私の家に到着した。


「それじゃあ、白谷くん。また明日」


 深羽田は手を元気よく振って、来た道を戻っていった。もしかして深羽田の家、逆方向にあったんだろうか。わざわざ私と一緒に帰るために遠回りしてたのか。やっぱり胡散臭い。

 「また明日」ってことは……明日も一緒に帰るんだろうか。これから学校で話しかけてくるかもしれないし、毎日一緒に帰るかもしれない。そのことを考えると気が滅入る。

 ため息をついて空を見上げると、やけに太陽が眩しかった。


6

 次の日、予告通り深羽田は学校に来た。話しかけてくることも、こちらから話すこともなく、これといって変化はない。いつも通りの学校生活が進んでいく。

 昨日一緒に帰ったことについてクラスメイトたちの反応は……こちらも特に変化はない。自意識過剰だったかもしれないけど、ひとまず安心だ。不安が溜まると余計なことまで心配してしまう。クラスメイトたちは私たちを見下しているか嫌っているだけなので、いちいち動向を気にする必要はないんだ。

 今日はサボらずに帰りのホームルームと掃除に参加した。そろそろ担任教師からの説教も多くなってきたし、サボればサボるほど目立つ。特に掃除。場所によって班が決まっているので人数が抜けると抜けた分だけ負担が多くなる。私が所属している掃除班はいちいち小言を言うような人たちではないのでそこまで気は重くならないが、申し訳ないので今日は人一倍頑張った。

 そして、その他諸々が終わり放課後。下駄箱に向かうと深羽田がいた。相も変わらずこちらの心を見透かしたような笑みを浮かべている。


「やあ、白谷くん。今日はサボらずに掃除に参加したんだね。帰ろう」

「……うん」


 昨日と同じく、深羽田の斜め後ろを歩く。横に行くと話しかけられそうだし、後ろにいると話したくないのかと思われそうで嫌だ。けど、深羽田は多分そんなことを気にするような人間じゃないし、思い切って後ろに行ってもいいのかもしれない。

 足音が通学路に響く。相変わらず話しかけてくることはない。昨日と違って今日は大体の部活は活動日なので、人は少ない。ちなみに私は部活動には所属していない。無所属だ。

 恐らく深羽田も無所属。部活動が活発なこの学校で毎日サボるのは難しいだろうし、深羽田が団体活動をしている光景がいまいち想像できない。


「白谷くんさ」


 来た。ついに来たか。さて何を聞く?何を話す?

 私はどんな質問が来てもいいように心の中で身構えた。


「横をあるいても大丈夫かな?斜め後ろにずっといて何も話さないっていうのもいいんだけどさぁ。ここは友達らしく、ねぇ?」


 言葉を返す間もなく、深羽田は私の横にずいっと移動した。


「あと、やっぱり無言っていうのも良くないね。話をしようじゃないか。流行?ファッション?テレビ番組?ああ、そうだ。確かキミは漫画が好みだったね。そっちの趣向は興味も知識も全くないけど、話くらいなら付き合えるよ?」

「……………」 


 困った。まさか純粋に会話を求めてくるとは。

 こちらに合わせようという意志は伝わってくるが、雑だし興味ないって言っちゃってるし、こっちもどう返せばいいのかわからない。より会話下手な私が言えたことではないが。

 あとわかったことが一つある。深羽田が人と話す時の表情はいた例のずらっぽい笑みで固定されている。表情そのものは張り付いた笑顔の宮地よりは愛嬌があって人間らしいが、表情の変化がない点は宮地に似ている。彼女と面と向かってじっくり話せば大抵の人間は気付くだろう。

 深羽田がこっちを見る度に目を逸らしていたし、宮地と違って常に笑顔という訳ではなく、話す時以外は無表情になるので気づけなかった。探偵としての仮面(ペルソナ)だろうか?実際に可愛いし、人から情報を引き出す時には便利なのかもしれない。


「えー、だんまりか。堪えちゃうねぇ。頑張って友達っぽく話そうと思ってたのにさ」


 顔を一瞬だけ無表情に変えてうーんと唸る。

 なんか言った方がいいかな?でも怖いなぁ。早口だし。


「うーん。やっぱり、会話って難しいなぁ。話すのは好きなんだけど、話に興が乗るとついつい相手を怒らせちゃうんだよね。キミは僕を警戒しているみたいだから、色々考えたんだけど、キミは会話どころか人間関係全てが苦手みたいだからあんまり意味はなかったね」

「……ええ」

「まあ、いいや。本当は取り入るつもりだったけど、無理っぽいから担当直入に言おう。キミの右目と研究所周辺について知りたい。できれば協力して欲しい」


 友達になりたいとか言っておきながらやっぱり目的は右目だったか。昨日、黙ってたのは距離感を計っていたからかもしれない。どうやら深羽田も会話下手らしいし、下手に話しかければ私の地雷を踏んで更に警戒される。

 でもこれ以上何を知るつもりなんだろう?私の情報は大体知られてるみたいだし、研究所だって探偵の情報網を使えばわかるのではないだろうか。


「キミはさ、ボクが情報を持っていることに怯えているみたいだけど、ボクだってキミの全部を調べつくしたわけじゃないんだよ?」

「…………?」

「ボクの情報網でも調べきれなかったことがいくつかある。特にキミが通い詰めている宮地研究所。あそこが正式な手順を踏んでない非合法な施設っていうのはキミも薄々わかってるんじゃない?土地の所有者だったり、財源元に問い合わせたらみんなだんまりでさ。怪しいどころじゃない。変だよアソコ。絶対に裏に何かある」


 そうだったんだ。前々から怪しいとは思ってたんだけど、まさか非合法とは。確かにあの広さの施設で研究員が1人というのはやっぱりおかしい。割と最新の研究機材が揃っていたり、毎月お金が支給されるのだって十分怪しい。さすがに個人で稼げる量じゃないし、バックに組織があるのはなんとなく予想してたけど。

 怪しいことは十分承知だったから今更気づいた所で驚かないし、今更通うのをやめるつもりはない。


「あとキミの奇病周りもそうだ。昨日はブラフをかけるために知ってる風を装ったけど。実は知らないことだらけなんだ。病院を転々とした割には情報が乏しい。奇病に関するカルテがなぜか削除されてる。君が行った病院の1つにたまたま知り合いが勤務しててね。かろうじて復元できたけど。他の病院も全部消されてるらしいね。どうしてだろうねぇ?」

「え?それは……まさか」

「キミが口止めしたこととは無関係だよ。カルテの削除は法律で禁止されてる。というか、いくら医者に口止めしたところでキミの病は不治の難病だから医者同士で情報は拡散されるはずなんだ。まあ、どこかで一般人にも伝わって話題になっちゃうんだけどね。だから、逆にここまで情報がないのはおかしいんだよ」

「……私、知らない」

「そっか。ならもう少し身の回りに気を付けた方がいいよ。ともかく、ボクはこの件も裏に何かあると予想している。宮地研究所みたいにね」


 脳裏に過去に訪れた病院の医者たちが浮かぶ。誰もが私の右目を見て驚愕していた。検査の後に平静だった医者はいなかったと思う。誰もが動揺して閉口していた。中には吐いてしまう人もいたらしい。右目で見える視界同様に、右目自体が長く見ていると精神に異常をきたすモノなのかもしれない。

 そこで右目の検査を断るのはまだわかる。私だって関わりたくない。でも、犯罪の危険を冒してまでカルテを消す理由はわからない。


「……口止め、そんなに強く言ってない……広めないでほしいって言ったくらい」


 他の医者、研究者に広めてないってことにも違和感がある。特別扱いされるのが嫌だった私は、口止めというかあまり世間に広めてほしくないとは言った。だが、強く止めた覚えはない。研究が進むのであれば仕方ない、くらい思ったかもしれないのに。


「恐らくだけど、医者たちはキミの言葉で黙ってはいない。違う理由で黙ってる。なんでかはわからない。ボクもね何件か当たって来たんだ、白谷くんが行った病院に」

「…………」


 比較的近い病院に行ったと思われるが、だとしてもすさまじい行動力だ。きっとストーカーに向いている。隠された真実を探るためとはいえ、そこまでされると気持ち悪い。


「キミを担当したと思われる先生方たちに話を聞いたんだけど、みんな青い顔してだんまりさ。2件目の先生なんかには怒鳴られて追い出されてしまったよ。『やめてくれ!』ってね。」

「……私の右目、見た人はみんなそんな反応だった」

「いいや。あれは超常に対する恐怖じゃない。もっとわかりやすい、脅された人間の怯え方だった」

「……脅された?」


 深羽田の顔から笑みが消える。手を顎に当て、無表情、いや、思慮深い表情で見極めるように虚空を見つめている。そこには真剣に考察する探偵の姿があった。きっとこれが深羽田てる子の本来の姿なのかもしれない。


「ああ、『裏』で動く大きな圧力に口止めされているんだろう、とボクは予想している。問題はその『裏』だね。仮説はいくつか立ててるけど、全然証拠が足りない。調べようにも完全に隠匿されていて証拠が手に入らない。あれは1人じゃない、組織的な圧力だ。到底、個人の力で敵う相手じゃない。ほぼ詰みかけだったんだ」


 私は深羽田の考察を聞けば聞く程、話が大きくなっていくのを感じた。


「そこで、突破口として渦中の当事者である白谷夏美くん、キミに声をかけたんだ」


 自分の周囲に謎の圧力が絡んでいる。にわかには信じがたい話だが、陰謀論と一蹴して無視することもできない。確かに、不自然なほど静かではあった。瞳が3つに分裂して、眼球の表面に紋様が浮かぶなんて症状は目立つし話の種になる。家に記者の1人や2人来てもおかしくなかった。これまで右目を目当てに近づいてきた人は深羽田を除いて誰一人としていないのだ。どこかで口止めがされていたと考えてもおかしくはない。

 怖いが、目立ちたくない私にとっては好都合のようにも感じられる。でも、口止めの目的が不明だ。深羽田の言う裏の組織が何を考えているのかわからない。なのに私は渦中の中心にいる。


「……私のことはだいたい調べたんでしょ?なら……直接研究所いけばいいんじゃ?」

「そうだね。その通りだ。というか一度行ったんだ研究所には。門前払いされてしまってね。高身長で不愛想な女性に、力で無理矢理」

「もしかして……ゆいさん?」


 脳裏にゆいさんの顔が浮かぶ。ゆいさんはあの研究所のボディーガードも務めているのだろうか?カウンセラーよりしっくり来るけど。


「ゆいさんねぇ……ボクも護身術を嗜んではいたけど、受け身できただけ奇跡だよ。いやあ、あれはすごい怪力だったね。久々に身の危険を感じたよ」

「……どういうこと?」

「ボクさ。しつこく粘ってどうにか情報を引き出そうとしたんだよね。色々質問したり、こっちが持ってる情報ちらつかせたりして、そしたら何も言わずに頭にパンチさ。さすがのボクもびっくりしたよ。法治国家で中学生相手にパンチだよ?」


 ゆいさんの鋭いパンチが深羽田の頭に刺さる光景……想像できなくはない。

 私の中でゆいさんの危険度指数がかなり上がった。元々低くはなかったけど、無言パンチはさすがに怖い。本当にカウンセラーなんだろうか。


「それで?」

「吹っ飛んで気絶しちゃった。受け身が取れたから大きな外傷はなかったよ。気づいたら公園のベンチで寝かされてた」

「……は?気絶?」


 よくアニメや漫画なんかでは殴って気絶という表現は使われるが、実際に現実でやるとしたら相当難しいのではないだろうか。

 下手したら死ぬことだってある。


「綺麗な脳震盪だったね。近いうちに同じのを食らったら死ぬかも。でも君の言うゆいさん……かなり殴り慣れてるんじゃないかな?一発殴って中学生相手に後遺症なしで脳震盪起こせる人なんて中々いないよ。それくらいの技量の人は……ボクの知り合いに1人いるくらいかな?」

「……いるんだ」

「探偵だからね。荒事関係に詳しいと便利なんだ」


 今度、ゆいさんと話す時は気を付けておこう。せめて気分を害さないくらいには。

 ゆいさんが危険な人であることはわかったが、元々接点がないし、深羽田には手加減しているようだから、怖いとまでは思わない。

 怪しいのも承知の上だ。さすがに宮地が人体実験とかで人殺してたらビビるけど。


「おっと、今日はここまでかな」


 私の家の近くまで来ていた。まわり道をしてないので昨日よりも到着が早い。


「それじゃ、話の続きはまた明日だね」

「……また」


 踵を返した後ろ姿はまだ信用できないけど。目的が判明した分、少しだけ安心できる。



 深羽田とは次の日も、またその次の日も一緒に帰った。学校に来ない時もあったが、その時は私が下校する時に玄関で待っていた。学校で会ったら挨拶くらいはするようになったが、会話はない。

 深羽田の話は私の右目を取り巻く陰謀の話ばかりだ。裏社会の金の動きだの、人の動きだの。

 正直、今まで私が知らなかった自身を取り巻く環境の考察を聞いていると不安になるので出来れば聞きたくない。かといって全部嘘だと決めつけられるほど豪胆にもなれない。だから、そこそこ気合いを入れて話を聞いている。

 しかし、調査の進展は芳しくないようで2日くらいで話のタネは尽きてしまった。深羽田曰く、話していない仮説はまだまだあるが根拠が足りてないので話す気になれないらしい。

 私としては話が複雑になりすぎてパンクしそうだったから、話さないなら話さないでもういいと思っていた。深羽田の話し方はわかりやすい、質問すれば返してくれるし、教え方も丁寧だ。問題は話の内容だ。彼女はその人脈から各地の専門家の意見を聞き、時には自分で足を運び、検証しているようだ。それらの深い知識から繰り出される考察はただの中学生である私の理解力の範疇をゆうに超えていた。

 だから、少し気は楽だ。が、私たちの間に再び沈黙が訪れてしまった。今までそこそこ話していた分、余計に気まずい。


「……」


 いつもは深羽田から一方的に話していたが……俯いて顎に手を置いて考え込んでいるようだ。私から話しかけたことはない。

 気まずい。話すのは得意じゃない。苦手だ。相手を不快にさせるのは怖いし、何を話していいかわからなくなる。だからといって沈黙に耐えられるほど図太くない。


「み、深羽田さんはさ……疲れないの?」


 思い切って前から気になってたことを聞いてみる。


「ん?疲れる?それはどういうことかな?」

「あ、えーっと……深羽田さんって色んなとこに行って調査してるんでしょ?……毎日やってて疲れないのかなーって……」

「あーなるほど」


 深羽田は顎から手を放し、顔を上げた。慌てて私は視線が合わないように顔を逸らす。数日経っても深羽田の目は苦手だ。目が合うとなぜか背筋に寒気がする。


「疲れるよ」

「……そうなんだ」

「でもやめる気にはならないね。ボクはね、隠された真実を暴くのが好きなんだ。好きっていうのもおかしいかな。衝動的に体が動くというか、謎があるといても立ってもいられなくなるんだよね。だから今回もボクが納得いくまで調査を続ける気だよ」


 どうして周りから疎まれても精力的に動けるのか、壁に当たっても諦めずに行動できるのか前から気になっていたが、あんまり理解のできない答えだった。周りに理解されない孤高の存在、だから天才なんだろう。

 でも、周りを気にせずに好きなことができる彼女がちょっと羨ましい。

 私はいつも人の目が気になってしまうから。周りの目が気になることが悪いとは思っていないけど、気疲れしちゃうし、いつも自意識過剰になってしまう。

 衝動的に体が動くほど熱中できるもの……もし見つけることができたら私でも少しくらいは周りの目を気にせずに生きれるだろうか?

 やっぱり想像ができない。天才限定の事柄かもしれないから参考程度に考えておこう。


「それでね。君にもそろそろ働いてもらおうと思ってるんだ」

「……うん………………え?」

「やっぱりあの研究所はネットワーク的にも物理的にもセキュリティが固すぎるんだ。宮地研究員もゆいさんも普段の生活からして隙がない。素晴らしいね。でも、セキュリティ的に緩む日がある。わかるかな?」

「えっと……私の検査がある日?」

「その通り。研究対象であるキミをゆいさんは追い出さない。つまり」

「……つまり?」


 ビシッ!と勢いよく指が向けられる。

 珍しいことに深羽田は自信ありげなキメ顔だ。


「キミには、潜入調査をしてもらいたい」


 いつか来ると思っていた。深羽田はゆいさんにノックアウトを決められてからも色々な手段を用いて研究所の情報を得ようとして、その悉くが失敗に終わっているらしい。

 屈強な用心棒を連れて侵入、ハッキング、ドローン、などなど。多彩な手段を持ち合わせている深羽田はすごいが、対応できる研究所も底が見えない。

 倍は体重がありそうな男を投げ飛ばすゆいさんに、全く情報が出てこない宮地。その裏側に一体何が隠されているのだろうか?


「…………うーん」


 確かめたい気持ちは私にもあるが、いかんせんリスクがありすぎる。私はあの研究所に研究をさせてもらっている上に、資金援助までさせてもらっている。妙な行動をして、これまでの研究は白紙、資金援助も打ち切りなんてことは避けたい。

 

「悩んでいるようだね。安心してくれ。キミはいつもどおりに研究所で検査を受ければいいんだ。ただし、コレを付けてもらう」


 深羽田は懐から黒いヘアピンを取り出した。外見はいたって普通のヘアピンだが、裏面には赤いLEDライトや液晶がついていてメカメカしい。


「これはヘアピン型盗聴器だ。目立たない場所につけておけばバレることはないよ」


 次に取り出されたのは制服のボタン。こちらも外見は学校指定の制服のボタンだ。しかし、近くでよく見てみると中央にカメラのレンズがある。


「こっちはボタン型盗撮カメラ。今キミが着ている制服のボタンと入れ替えておいてね」

「……これで何かわかるの?」

「ボクはこれまで研究施設内にすら入れてないからね。間取りがどうなってるか知れるだけでもかなり進展するよ」


 心配だ。バレない確証はない。セキュリティが徹底しているあの研究所ならば盗聴器発見器くらいは用意してそうだ。

 それはそれとして、こっそり侵入してデータを盗み取れなんて言われなくて良かった。そういえばあの研究所にはエントランスと宮地の部屋までしか入ったことがない。あまり居心地のよい場所じゃなかったし、見る必要はなかったから。

 もしかしたら、私が見ていない場所に深羽田の求める『証拠』とやらがあるのかもしれない。

 それを見つけるのは私じゃなくて深羽田だ。話くらいは聞いてあげても、これ以上の協力はしない方が良いだろう。渦中にいるとはいえ、被害もないのに危ない橋を渡る気にはなれない。


「……今回だけね」

「そこは安心していいよ。この先キミの出番はないからさ」


 はっきりとお役御免と言われるとそれはそれでイラっとくるが、文句はないので黙っておく。

 私はヘアピンとボタンを受け取った。次の火曜日はこのヘアピンとボタンを付けて研究所に行かなければならない。怪しいとはいえ私のために色々してくれた宮地とゆいさんを裏切るようで心苦しいが、深羽田の協力を断るわけにもいかない。

 腹を括ろう。盗聴器と盗撮カメラを付けていつも通り検査を受けるだけだが、ここが私の正念場だ。

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