■十.



 敵の第二戦列を叩くだけ叩いて駈け抜けた第七軍は姫が攫われたと知ると時間を無駄にしなかった。

「我が軍の失態。戦列を離れることをお許しありたい」

 四軍の髭将軍に断りを入れると近衛隊はすぐに姫を攫った青鎧を追いかけた。

「青い鎧だった。あれは九度軍だ」

「九度軍だと」

「絶対にそうだ。最初からアフロディテさまを攫うことを目的として東の国の軍の背後に隠れ潜んでいたのだ」

「追うぞ」

 第四軍から出ていた救助隊がアフロディテを攫った青鎧を途中まで必死で追いかけていたので後は追えた。

「詫びる言葉もない」

 眼の前で姫を奪われた四軍は恥じ入っていたが、姫の近衛隊の比ではなかった。四軍と入れ替わると近衛隊はひた走った。彼らは帝国領から出てしまっていたが誰ひとりそこに注意を払う者はいなかった。

 それらしき馬影が前方にようやく見えた。敵の後方が分離した。近衛隊の前に進路を妨害する青い鎧が立ち塞がってきた。

「通せ。姫を返せ」

 近衛隊は剣を抜いて蹴散らしにかかった。将である姫を奪われたことで激怒している近衛隊は強烈だった。何人か斃されたが力づくで突破した。近衛隊は再び姫を追いかけた。彼らは次第に一本道が先に延びるだけの直線を走っていることに気が付いた。前方には鮮やかな青。みるみる迫ってくる。

「海だ」

「あそこに」

 一艘の船が沖に向かっていた。崖の上にいる彼らの処からは点のようにしか見ええなかったが、見慣れた緋色の軍套と鎧姿があった。姫は船に乗せられて沖合に運ばれていた。

「アフロディテさま」

 大声で叫んだが船にいる姫には届かなかった。姫はもう抵抗を止めているようにみえた。

 近衛隊が見ているなか、青鎧たちの漕ぐ船は沖の孤島に吸い込まれていった。

「島に」

 勇猛を誇る陸の騎馬隊も海には勝てぬ。追いかけていた彼らは馬の脚を停め、崖の上から成すすべもなく海を見遣った。大海原を前に男たちは立ち尽くした。姫が孤島に連れ去られたのは今見た通りだが、海に遮られては打つ手がない。

「船だ。船で行くしかない」

「貸してくれぬだろう。この半島はあの青鎧を傭兵として雇っている南の国の飛び地だ。このあたりの漁民には船を貸さぬように通達されているだろう」

「四軍と帝都に救援を求めよう」

 急ぎ、道を引き返して緊急事態を告げる遣いを出したのだが、ほどなくして急使は馬ともども落胆して戻ってきてしまった。

「こういうことだ。時遅しだ。俺たちは半島にいるのだが、このように腕を突き出したかたちの拳のところに我らがいて、海辺の森林を挟んだ肘のところに、青鎧が柵を並べて待ち構えている。既に出ようにも出れない。外と連絡が取れない」

「一人だけ矢を浴びながら脱出したが、それも追われていた。あれでは捕まってしまっただろう」

「徒歩なら抜けるか」

 相談の上、夜になってから数名が歩いて突破を試みることになった。

「何ということだ」

 近衛兵は暗澹たる顔をして自虐を洩らした。

「砦の橋を取られた六軍のユリウスのことをもう嗤えぬぞ。我らがこのざまだ」

 船を持たぬ彼らには打つ手がない。引き返そうにも半島の出口に封鎖線を張られている。彼らは南国の領土の外れで海を前に孤立してしまっていた。



 窓が四つあった。海鳥の鳴く声がしていた。

 四つの窓のうち、二つの窓から見えるのは青い海ばかりだった。もう片側の二つの窓をアフロディテは交互に確かめた。

 海の孤島に連れて来られた。いつの時代のものなのか、島には海風に表面が削られた四階建ての古い塔が建っていた。塔の上階の一室にアフロディテは閉じ込められた。

 残りの二つの窓からは陸地が見えていた。泳いで渡れる距離ではなかった。対岸の地形と山脈の稜線から、孤島はウィトルウィウスの巣環国領に近いのだと知れた。あの細長く張り出した半島は、巣環国と隣り合っている南の国の飛び地だ。

 南国が雇い入れているお抱え傭兵の鎧は青い。此処まで攫ってきたのは青い鎧だ。この孤島もあの細長い半島と同じく、南国の支配下ということだ。

 分かったところで何もできない。此処からでは誰にも助けを求められない。

「我をどうするつもりだ」

 訊いてみたが、アフロディテの世話をする老婆は耳が聴こえなかった。剣と鎧は取り上げられていた。

 アフロディテは窓に手をついて孤島の塔から青い海を眺めた。窓に影を残して翼を広げた海鳥が横切っていった。



 第六軍のユリウスと約百名の兵が立て籠っている砦は、フラミニウスの云うとおり、唯一の橋を南の国の軍に抑えられてしまっていた。南軍は砦を人質として丘陵地に残っていた第六軍を威嚇した。

 ところが降伏を勧告された第六軍は猛反撃を喰らわして南軍を撃退し、両軍は距離を空けて睨み合っていた。

「ユリウス殿のことなど、べつに惜しくはないからな」

 非情にも主君に対する第六軍の将兵の意見は一致していた。弓が達人であっても剣が使えぬというのは、それほどまでに重い欠損のようだった。

「人質にならぬものを人質にされたところで、こちらは痛くもないわ」

 しかしユリウスに付き従って砦の中に入ったままの、不運な兵たちもいる。フラミニウスに導かれて一泊の野宿の後に丘陵地を通過したタキトゥスたちは、橋を取り戻すための兵を補充した。野焼きに遭ったというとおり、辺り一面が広く焼け焦げており、まだ煙が燻っているところもあった。

 第六軍の末端の兵士たちも、ユリウスに対しては「そのまま南の国に連行されてもよいのに」と容赦なかった。

 騎馬民族にとっては弓は決して剣より劣るものではなく、むしろユリウスほどの弓の遣い手ならば崇められて尊敬されるといってもいいのだが、帝国ではなぜか地位が低く、弓が遣えても剣が持てぬのであれば武人にあらずとまで見下げられているのが不可解なほどだ。

 その砦の内部では姫の傅役が白髪頭を抱えて呻いていた。

「傅役どの」

「もう引退した身ではあるが、この老体、戦場で死ぬ機会がある時にはアフロディテさまのお傍でと想っていたものを。なぜ此処なのだ」

 此処というのは軟弱なユリウスの傍ということだ。そのユリウスといえば傅役の背後で剣を振ってみては、剣の重さに引っ張られてよろめいていた。

「かくなる上は、せめて敵兵を一人でも二人でも道連れにして、傅役生涯最後のはたらきを姫さまに伝え残してもらうしかない」

 傅役は無念にのたうち回っていたが、砦の者たちは傅役を抱えると「ご覧下さい」と砦の外壁の切れ込みから救いの手が届いたことを示してみせた。

「救援が届いたようです。あれは第七軍です。姫さまの軍ですよ」

 いそいで傅役たちは塔の階段を駈け上がり、円塔の屋上に並んで視界のひらけた眼下を見た。

「タキトゥスではないか」

 橋の上では戦闘の火蓋がきられており、南の軍と第七軍の派遣部隊が激しくぶつかり合っていた。その中に見知った剣闘士の姿を見つけて傅役は声を上げた。

「あれはタキトゥスだ」

「アフロディテさまの新任の護衛だ」

 傅役だけでなく、第六軍の兵士も次々と砦の狭間に並んで歓声を上げた。まるでそこが帝都の円形闘技場であるかのように、彼らは剣闘士の動きに眼を奪われていた。

 タキトゥスは近衛隊とは異なる装束だったのでよく目立った。「護衛だからこんなものだろう」と傅役が見立ててくれた、まさにその軍束を身に着けてタキトゥスは大いに活躍していた。

 以前、帝都で襲われた時もそうだったが橋があると動きやすいのだ。タキトゥスは二剣を使っていた。

 敵の胸部を思い切り叩いて橋に押し付け喉を刺し、逆手に持った剣で次の敵兵の腹を割り、抜き切った剣で次の兵の首を斬り、斃した敵の肩を踏み台にして橋の欄干に蹴り上がると後ろ向きに跳んで宙がえりして着地するまでの間に交差させた剣を開き、二人斃した。

 うるさい。

 上を仰いだ。砦にいる六軍が足を踏み鳴らし、狂喜しながら腕を振り回し、タキトゥスに向けて口笛を吹き鳴らしていた。

「見栄えがするぞ剣闘士」

 大歓声だった。すっかり観客と化している。

 タキトゥスは橋の欄干を走った。砦の門をめぐる前方の乱闘の中に欄干から降り立つと、前方後方、ついでに左右の敵兵を続けて斬った。回し蹴りの後にシュッと剣の音を立てて敵の首を連続で跳ね飛ばした。

「いいぞ、いいぞ」

 タキトゥスを見ている砦の兵士たちの熱狂は最高潮になった。

 強豪剣闘士の中でもタキトゥスのような身体能力の高い花形剣闘士は見世物の要素が強かった。動きがどうしても派手になる。機敏で美しい動作を仕込まれている。一撃で終わるところであっても、手甲で顎を叩き足首を蹴り、しかるのちに胸を蹴り飛ばしておいて宙に投げておいた剣を背中側で受けとめて、観客の注意を引きつけながら身体を回転させて持ち直した剣を振り下ろし、倒れる敵に合わせるようにして地にいちど深く沈んでみせてから立つのだ。

 これ要るか? と首を傾げたくなるような決め技がいちいち入る。

 またやってしまったと想うのだが最も俊敏に動ける美しい流れが身体に染みついてしまっていて、長年の習性はなかなか抜けなかった。

「最初に剣を真横にして顔の前に構えるのと、着地の時に片膝を一瞬だけついて、すぐに立つのが恰好いいよな」

「惚れ惚れする」

 こちらをちら見しているストラボとマイウリもやたらと喜んでいる。よそ見しておらず闘え。

 砦からもお褒めの歓声と口笛が鳴り止まなかった。闘技場ではここで片手を挙げて観衆に応えるがもちろんしない。円形闘技場では勝ち上がるたびに衣裳も派手になっていった。騎馬民族の王族の末裔という触れ込みに合わせて防具の上から美麗な帯まで締めており、帯の端をひらめかせながら力強く跳んで闘うタキトゥスの姿は剣の舞のようだと云われたものだ。それもこれもタキトゥスに云わせれば、見栄え重視なだけだ。

 橋を取り戻した第七軍は砦の第六軍から大歓迎を受けた。

「よく来てくれた」

 傅役は泣かんばかりにタキトゥスを出迎えた。

「こんなに得意だったことはないぞタキトゥス。さすがは次席剣闘士だ。そちを姫さまの護衛に選んだ皇帝陛下の眼は確かだ。ほれあの、こう、縦にも横にもくるくると回って見る間に敵を斃すのが特に素晴らしかったぞ」

 だから無駄なのだ。エトナに剣術を教える時には気をつけなければ。

「ところで、第七軍は我らがここで苦境にあることをどうして知ったのだ」

「六軍のフラミニウス殿から援軍の要請がありました」

「フラミニウスが。はて。フラミニウスは姿を消しておる」

「彼は砦の外で哨戒に出ていたということでしたが」

 哨戒など誰も彼に頼んでいないという返答だった。

 近衛隊は不審がった。おかしいということになり、「フラミニウスは」と呼ぼうとすると、フラミニウスの姿がない。

「いないぞ」

 一堂が探すと、フラミニウスは砦から馬で出て行くところだった。従者ミュラまでいる。

「見ろ。あの二人、撤退する南の軍の許に駈け込もうとしているぞ」

「よもや最初から、奴らが仕組んでいたことなのではあるまいな」

「この砦を避難所として提案したのもあの二人だった。もしや宿営予定地に火を放ったのもあいつらか。あやつらは南の国と通じていたのか」

「逃げたぞ」

 砦の屋上に並んで将兵は叫んだ。そこへ、第六軍の将ユリウスが剛弓を持ってふらりと現れた。

「ユリウスさま」

「何処だ」胸壁からユリウスは身を乗り出した。

「あれあれ、あれです」

 兵士はフラミニウスの馬影をユリウスに指し示した。

 第六軍の将ユリウスの前歯は本物の弓遣いにあるように弦を歯でしごくために削れていた。眼を細めてユリウスは弓を構えた。引き延ばされた蛙のようなその顔が引き締まっていた。剛弓から矢が飛ぶ音がした。

 フラミニウスの背にユリウスの放った矢が突き刺さった。その姿が馬から落ちた。

 引き上げていく南の国の兵士がどよめいているのが砦からも見てとれた。砦にいる味方の軍も今みた魔手の一矢に愕きを隠せなかった。タキトゥスも愕いた。

「ここから、あそこまでの距離をみろ」

 近衛隊も眼を丸くしていた。

「動く的を相手に、まさに神技だ」

 ユリウスは満更ではなさそうに弓を片手に満足げだった。その間に従者ミュラは倒れたフラミニウスを何とか抱えて、南国の軍の中に逃げ切ってしまった。

 砦に急報が飛び込んできたのはその直後だった。


 青鎧。九度軍。

 二つの単語がせわしく飛び交った。

「九度も襲ってくるからその名なのだ。別名、青鎧。第二皇妃の母方の実家である南国のお抱え傭兵集団だ」

 タキトゥスも九度軍の名は聴いたことがあった。

「まずいぞ。ひじょうにまずい」

 近衛隊の顔色は蒼白だった。

 九度軍。それは青銅色の鎧に身を固めた謎の行動を取る傭兵集団だった。今朝までの雇い主であろうと酒を酌み交わした長年の友であろうと平気で殺傷するのだが、その際に彼ら以外の者には納得できる理由もないとされていた。

「古くは、西国寄りの山岳地帯で独自の宗教文化を築いていた小民族なのだ」

 彼らの気分一つで狙われた土地は焦土と化した。目的を遂げるまでは決して諦めず、九度襲ってくるため異名が九度軍。恐れ知らずで残忍で、略奪をゆるした国には草木も生えぬと云われていた。青鎧は殺傷集団の代名詞として全土で怖れられていた。

 三十年ほど前、時の帝国皇帝が帝国領土を荒らしに来た九度軍のあまりの蛮行に怒髪天を突いて大軍勢を差し向け、相当に蹴散らして抑えたが、殲滅には至らなかった。

 九度軍の残党は南国に逃げた。南の国は彼らを傭兵として雇い領内に保護した。保護したといっても風向き一つで青鎧はいつ南の国を焼き払うか分からない。それほどまでにどんな理由でどこにどう牙を向けるかまるで分からない、謎めいた危険な武装集団だった。その九度軍が、アフロディテを戦闘中に攫ったという。

「なんということだ」

 傅役は卒倒しそうになったが、すぐに立ち直り、「わしから直接、皇帝陛下に皇軍を差し向けて頂けるように陳情する」と帝都に向けて出立しかけて、慌てて止められていた。

「傅役殿。今出たら、途中で南の国の軍のしんがりに見つかって捕まります」

「六軍ごと帝都に戻ればよい。いや、このまま六軍を姫さまの探索隊として押し進めればよい」

「落ち着かれてご老体」

「老体とはなんだ」 

 傅役は室に連れて行かれた。

「姫さまを追跡する我らの近衛隊を案じて、第四軍の髭将軍が後続を出して下さっていた。彼らが向かったのはどうやらこの先細りの半島だ。南国の飛び地だ。半島の先は海だ」

 マイウリは地図に顔を寄せた。

「他国の領土なので第四軍はそこで引き返した。近衛隊は南の国との境界を犯して先に進んだそうだ。海まで行った近衛隊のうち、一人だけ負傷しながらも封鎖線を突破して戻って来たが、その者の話によると姫さまはこの地図のこの島に連行されているそうだ」

 地図の中の孤島は針で刺した点のようだった。

「俺たちも追うか。それとも一度七軍本隊と合流するか」

 相談しようとストラボとマイウリが振り返ると、タキトゥスの姿はすでに消えていた。

 青鎧の騎馬がこちらに攻め寄って来た。青銅色の鎧装束が夕陽を浴びて黒い鎧に見えた。タキトゥスは彼らの真正面に馬を駈けさせた。タキトゥスが投げつけた剣が青鎧の投げた半月刀に当たって高い音を立てた。回転して飛んできた半月刀をタキトゥスは空中で掴み取り、握り直してすれ違う青鎧を斬った。

 落馬する騎手を避けて二人目の騎馬と半円を描くように入れ替わったが、その時には既に二人目の胴にタキトゥスの刃が入っていた。

 道の前方に青鎧の兵がぎっしりと固まって居並んでいるのが見えた。半島の付け根に広げられた防衛線だった。青鎧が防護柵から出てこようとしていた。長剣を拾い上げるとタキトゥスは馬首を巡らせて道の脇の林の中に飛び込んだ。騎馬民族にしか出来ぬ手綱さばきで起伏のある崖道を駈け抜け、半島の先の海を目指して奥まで馬を走らせた。

 「タキトゥス」

 近衛隊が下の浜辺から呼んでいた。



 漁をする小舟が眼の前を行き過ぎていった。穏やかな海だった。腰巻ひとつの漁師が網を広げて魚を獲っている。

 半島の森からは青と白の布を広げたように海と砂浜が見えていた。日中は暑さを避けて近衛隊は森の中の日蔭に居るようにしていた。

 太陽が空を明るくする頃になると、海岸には何処からともなく頭巾つきの外套を羽織ったご婦人が現れた。ご婦人は籠を持って浜辺に立ち、舟を陸にあげた漁師から直接魚を買っていた。

 それは毎日繰り返された。

 見るとはなしにタキトゥスたちは、その様子のよい貴婦人が毎日魚を買うのを森の木蔭から見ていた。どこの御屋敷に仕えているものか、品のある良い姿で、侍女も連れずに独りで魚を買いに来ているのが奇妙に想われた。

 魚を籠に入れると、貴婦人は頭巾を深くかぶったままタキトゥスたちのいる森とは反対方向の崖を回って姿を消していく。この近くに人知れず隠遁して暮らしている方なのだろうかと男たちは毎朝見かける貴婦人について囁き合った。

 九度軍は彼らを捕まえには来なかった。あえて討伐しなくとも陸の袋小路に追い込んでいるので、こちらが日干しになるのを待っているのだろうと想われた。

「もし皇軍が来たらそれを止めるための防衛線なのだ。飛び地にいるあちらも手許は不如意だ。損害が出るかも知れぬのに、あえてこちらには来ないだろう」

 浅瀬に石で囲った池を掘り、天然の生簀にして魚を集めた。木を削って矢を作った。兜を犠牲にして海水を煮詰めて塩をとった。やることは沢山あった。

「獲れるものだな」

 罠を仕掛けると幾らでも鳥や小獣が獲れた。海辺の森の中で寝起きし、火を熾して調理した。野営には慣れていた。

 徒歩で半島の外に向かった者たちは結局、帰っては来なかった。もう一度、徒歩で使者を出したがやはり音沙汰なしで、これも九度軍に捕まったのか半島を抜け出せたのか、皆目分からなかった。

「ウィトルウィウスの巣環国には行けるようだ」

 砂の上に陸図を書いて、彼らは悩んだ。

 巣環国とは現在のところ敵対している。ウィトルウィウスに助けを求めるということは、アフロディテ姫をウィトルウィウスに差し出すことを意味していた。

「どうする。ここは一度あいつに下って、奴の力を借りるしかないか」

「莫迦な。それだけは駄目だ。今の巣環国は東の国と癒着しているのだ。姫さまの身が危なくなる」

「やはり皇軍が到着するのを待つほうがいいか」

「それとても、姫さまが皇帝に借りを作ることになる。皇帝陛下が見返りなく姫を助けると想うか。同じことだ」

 彼らはまったく行き詰っていた。

 海の方に眼を向ければ、今日も孤島は水平線に突き出た角のようにそこにあった。

 樹のあいだにたむろって、その日も近衛隊は木や貝を削って矢や釣り針を作っていた。森の中には栗鼠も兎もいたし、食べられる木の実も菌類も豊富だった。馬は勝手に何処かで草を食べて、タキトゥスの口笛でいつでも戻って来た。怪我をした一頭が立ち上がれなくなったので、捌いて食べた。

「浜辺から島までの間には見張りがいないようだな」

 何日か観察してそういう結論になった。

「船がないと我らが動けぬことを分かっているのだ」

「半島の向こう側から孤島まで往復している船がある。沖に停泊している。海上の見張りらしきものはその船だけのようだ」

「あれは食料を島に運んでいる船」

 背後から不意に声がかかった。

 毎朝、漁師から魚を買っている上品な風情のご婦人だった。いつの間にか音もなく森の中に来て近くに立っていた。やんごとなき女人は今日も外套で全身を包み、深くかぶった頭巾で顔を隠していた。

「貴兄らはそれでも帝国皇軍の将校なのか。貴兄らは此処で寝ているだけなのか」

 ご婦人用の外套から男の声がしていた。相手がご婦人だと想いこんで腰をあげ、礼儀正しくその場に立っていた男たちは顔を見合わせた。奥まった樹の根本に座って弓を磨いていたタキトゥスもそちらを見た。

「禄と栄誉は無駄な飾りにしか過ぎぬのか。帝国皇帝の従妹姫をお助けしようとはしないのか」

 貴婦人のなりをした男は貴人だけがもつ高貴な声音のままに強い口調で云った。

「わたしがアフロディテを救おう」

 謎の貴人は顔を隠していた頭巾を後ろに降ろした。タキトゥスは立ち上がった。

「貴兄らがここで海を眺めているだけだというのなら、空が割れて地形が変わる終末の日までそうしているがいい」

 忘れられない美しい顔が現れた。アフロディテの元夫のアイストスだった。



》続く

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