Ⅴ
■五.
召使たちは首をすくめた。広間から怒鳴り声が聴こえてくる。ウィトルウィウス卿が治める巣環国の城は年月の重みを感じさせる部分と新風を吹き込んだ箇所がうまく組み合わさって、感じのいい統一感のある造りになっていた。古色にも華美にも偏らず、素朴ながらも剛健で、それはそのまま、巣環国の国風と現領主の性格を表していた。
「姫を奪って来いと云ったではないか」
帝国軍と目下交戦中のウィトルウィウス卿はその所領の居城でご立腹だった。
「先陣を切った後は、あの姫はいつもやることは終わったとばかりに戦見物に徹するのだ。そこを襲えば捕らえる隙はあったはずだ」
「それが殿、新しい護衛が姫君のお傍に増えておりました」
帝国軍に捕まることなく引き上げてきた隊長は領主のご機嫌を直そうと頑張っていた。
「白と黒が邪魔だったと、どうせ申すのであろう」
「その白銀隊と黒鉄隊がまさしく強固で、突破することもかいくぐることも出来ぬ有様で」
領主の気を逸らそうと隊長は新しい護衛の方に話をはこんだ。
「姫君の新しい護衛は、元剣闘士とのことです。帝都の闘技場で名を売った剛の者です」
「それは護衛のふりをした刺客だ」
ウィトルウィウスは断言した。
「毎回のことだ。皇帝が寄こしたのだ。皇帝は従妹のアフロディテ姫を疎んじているからな」
「フラミニウスさまと従者ミュラが皇軍の捕虜となり、吸収された由」
「どうでもよいわ突然現れたあんなやつら。俺の親父の胤というのも嘘だ。証拠の品や証人まで御大層に連れてきたが、最初から疑っていたし、怪しいことは分かっていた。あやつらも姫の護衛同様、皇帝の仕込みだ。大方、姫が攫われたら攫い返して帝国に戻って来いと命令されていたのだ。雇われた皇帝の許に戻って行っただけのことだ」
ずかずか歩き回った後で広間の奥の壇上に据えた革張りの大きな椅子にウィトルウィウスは座った。
「俺は姫が欲しい。皇帝の従妹が欲しい」
「どういうことですの」
女の声が入り込んできた。広間に現れたのは皇女と皇女の娘婿を連れた帝国の先帝の第三皇妃だった。皇女はまだ少女で、皇女の婿はさらに幼かった。第三皇妃は二人の子供を連れているようにしか見えなかった。
ウィトルウィウスは精悍な顔をそちらに傾けた。
「お揃いでどうされたのか」
「またとぼけて。どういうおつもりかとお訊ねしておりますの。卿はアフロディテ姫との結婚をご希望なのですか。それでは話が違いますわ」
「なにか違いますか」
ウィトルウィウスは無精ひげの残る顎に手をおいた。
「わたしもいい歳だ。嫁が欲しいと想ってはいけませんか」
「アフロディテ姫を嫁にご所望とはどういうことですの。わたくしたちを匿って下さっているくせに」
「また別の問題です」
「一緒のことだわ」
先帝の第三皇妃は色をなした。
「わたくしの祖母の実家は東国の王朝だわ。東の王家の血をひく皇妃であるわたくしをないがしろにしているから此度の戦になっているのよ。東の王は協力するならウィトルウィウスさまを太守にしてもよいと仰せです。わたくしの娘である皇女の夫は帝国の皇族よ。娘夫婦を皇帝の座につける為にわたくしは貴方を頼ってきたのよ」
「わたしに何が出来ますか」
ウィトルウィウスは身を乗り出した。革張りの椅子がきしんだ。
「ご覧のとおり、わたしは東西南北の列強の狭間にある古くからの独立国の小領主に過ぎない。帝国とはこれからも時には友好的に、時には敵対して、他国と調整しながらお付き合いをしていく所存です」
「今のあなたは東の国と協力して皇帝軍と戦っているくせによくもまあ」
「巣環国の名のとおり、列強に囲まれているのだ。要衝に位置しているために各国が欲しがり、またどの国も何処かの国に取られまいとして絶妙な勢力均衡を保っているのがこの国です。たまたま、今は東の国に与したほうが良いと判断しただけのこと」
「では、アフロディテ姫のことは」
「領地の安堵の為には帝国の姫も欲しいところだ」
「あなたの優先順位はどうなっているの」
「もちろん領土と領民の安泰です。それがなにか」
「よく分かったわ。やはり邪魔なのはアフロディテよ」
今の会話の流れからどこがどう分かったのかはまったく不明だったが、女らしく突飛な方向に思考をとばして、第三皇妃は独りで合点していた。
「皇帝の従妹。あの血が邪魔なのだわ」
「皇妃。それ以上云わぬほうがよい」
女の相手が少々面倒になってきたウィトルウィウスは横を向いた。
「出ていかれるなら護衛を御貸ししよう。お好きな処までお送りいたそう。皇帝に頭を下げるもよし、ご実家に帰られるのもよいと想うぞ」
「わたくし、第二皇妃と手を結ぶわ」
「なんで俺に暴露するんだ」
呆れてウィトルウィウスは皇妃に眼を向けた。
「聴いちまったじゃねえか」
「どこに問題があるのかよく分かりました」
第三皇妃はさっと背中を向けると皇女と娘婿を連れてウィトルウィウスから去って行った。第三皇妃は最後に捨て台詞を残した。
「あの姫の腰では多産は無理ですわよ」
「きいたか」
ウィトルウィウスは笑い出した。
「ご立派な血脈が自慢の帝国とは違い、俺がそんな小さなことを気にするものか」
帝都に一時帰国してからしばらくは姫さまとまったく会わなかった。戦が終わったわけではないので第七軍は郊外にとどめ置かれ、休暇というかたちでしか壁に囲まれた都には入れなかった。
タキトゥスは都の中に縁故がないので傭兵たちと同様、壁の外に出されたままだった。ストラボやマイウリが気の毒がって邸宅に招待してくれたが断った。中途半端に都の中に戻るよりは暇な傭兵を掴まえて鍛錬したり、軍馬で近郊を散策しているほうが彼としてはよかった。乞われるままに腕に覚えのある者と闘拳の練習をやったり、馬が苦手な新兵を手伝って乗馬のこつを教えたりしながら、しばらく過ごした。
やがて姫さまの宮から迎えが来た。馬を借りてタキトゥスは使いの者と帝都に入り、帝都の中でも特に皇都と呼ばれる宮殿まわりの姫さまの宮に向かった。
いつもはうるさくて煩わしかった都の雑踏が平和的にみえて長閑だった。
「あなたが、姫さまの新しい護衛のタキトゥスですね」
アフロディテの宮に到着すると若い女が二人待っていて、タキトゥスに寄って来た。髪を結いあげ、揃いの侍女の衣を着ており、胸があり、腰があり、つるっとした肌をして唇が紅い。
「わたくしたちが姫さまの侍女です」
薔薇ちゃんと百合ちゃんだった。
タキトゥスは深く息を吸った。でれつかないようにするのが大変だ。久々に姫さま以外の若い女を近くで見た。血の巡りが一気によくなって生き返った気がする。やっぱり女はこうだろう。可愛い。
「何をされているのですか」
「君たちは甘い匂いがする」お世辞抜きで云った。
「いやらしいわね」
「変質者だわ」
「これを着て」
薔薇ちゃんと百合ちゃんは宮廷侍女らしく気位が高そうにつんとしているが、こと姫さまのことになると顔色を変えて熱心だった。どうやらこの二人にとっての姫さまは姫が貧相くさいだけに庇護欲をそそる対象らしく、わたくしたちの手で姫さまを何とかしなければという使命感に燃えていた。
「本日は皇帝陛下にお目通りされる姫さまの護衛です。姿勢を正しなさい」
「姫さまは何度もお命を狙われているのです。姫さまに何かあったら許さないから」
云うことは厳しいが、悪い子たちではなさそうだった。
姫さまの馬を引き出してきてタキトゥスが待っていると、宮の表階段を姫さまが降りて来た。皇族が住まうにしては小さな宮だったが、軍に所属している姫はほとんど帝都にいなかったし、家族もいなければ来客も殆どないのでそれで不自由はないとのことだった。
現われた姫さまはいつものように男装をしていた。金の刺繍を裾にまわした薄青い衣をつけ、さらにその上から一枚の布をひらめかせた姫さまは薔薇ちゃん百合ちゃんの苦心の作だけあって欠点を美点に変えていた。無理に女らしさを打ち出さずに少年のなりに寄せることでかえって女の華奢な感じがよく出ていて悪くなかった。凝った編み方にしてまとめた髪はともかくも、女の年齢的に脚を出すのはどうなのかと想ったが、肉付のほとんどない姫さまの脚には少年のまとう短い裾がよく似合っていた。下手に女装させると棒きれに布を巻きつけたようになるのでこの方がいいのだろう。
「お疲れはとれましたか」
タキトゥスが訊ねると、アフロディテは頷いた。その横顔がなんとなくうざったそうに冷えている。
アフロディテも従兄のあの皇帝に逢うのは気がすすまないのだろう。タキトゥスは一度だけ逢ったことのある若い皇帝の顔を想い浮かべた。陰にこもって執念深そうな男なら他にもいるが、皇帝のばあいはその上にさらに焔のような熱いものが見受けられた。
「なにか」アフロディテがタキトゥスを見上げた。
「いえ」
埃でも取るふりをして、タキトゥスは手の甲をアフロディテの頬にあてていた。手を引いた。常に顔色が悪いが触れてみるとやはり冷たい。
アフロディテが大儀そうにしている理由は宮廷に着いた途端にすぐに分かった。
「久しぶりアフロディテ。またすっきりした装いをして」
「第二皇子」
「軍務お疲れさまだったねアフロディテ」
皇帝の他にもアフロディテには皇帝と年齢の近い八歳年長の従兄がいた。第二皇子がそれだった。先帝には三人の妃がいたが、第二皇子は第二皇妃の子だった。
従兄どの、とアフロディテは第二皇子を呼んだ。
彼らを見る宮廷人の視線が粘っこくなるのがタキトゥスにも分かった。もしこの第二皇子とアフロディテが結婚したら、次代の皇帝の座をめぐる宮廷の勢力関係がまた変わるからだろう。
「皇帝に逢いに行くのか」
アフロディテから最近のことを聞き出しながら、
「わたしも今から御前に伺候するところなのだ。一緒に行こう」
第二皇子はアフロディテを誘って並んで歩いた。宮廷の者たちの視線がそれを追った。巨大な柱の建ち並んだ列柱回廊に出ると、第二皇子は肩をすくめた。
「姫を前に下々の言葉で失礼するよ。下種のかんぐりとはあれのこと。勝手にさせとくさ」
タキトゥスは第二皇子を眺めた。どこか狂気を秘めた病的な皇帝とは違い、平均的な感覚を持った普通の青年のようだった。
「権謀術数の限りを尽くしたところであっけなく全てが徒労に終わるようなことによくもあれほど血道をあげられるものだ。ちょっとお待ち、アフロディテ」
第二皇子はアフロディテを引き止めると、近くにあった花台の花瓶から白い花を一輪取ってきて、皇帝の前に出る従妹の髪に挿してやった。
「男装が似合いすぎる」
第二皇子は真顔だった。
「こんなものは所詮小細工だが、皇帝の前ではなるべく挑戦的に見えぬほうがよい。ところで姫、そこにいる男は誰なんだい」
「護衛のタキトゥスです」タキトゥスを見ずにアフロディテが応えた。
「皇帝陛下から我にと下された護衛です。元剣闘士です」
「ああ成程。評判は聴いている」
ここまでで良いタキトゥスとやら。第二皇子は片手のふりでタキトゥスをさがらせた。
「わたしがいる限り姫は大丈夫だ」
続けて、含みのあることを第二皇子は云った。
「皇帝の御前でも、わたしがいる限り、アフロディテは大丈夫だ」
第二皇子は女友達にそうするように従妹姫の肩を軽く抱くと、重量感のある扉の前でタキトゥスを下がらせた。
第二皇子がそう云う理由は後で分かった。皇帝の母である第一皇妃が亡くなった今、第二皇子の母である第二皇妃が宮廷ではもっとも序列が上の妃なのだ。その第二皇妃が息子の皇子の妃にアフロディテを切望している限り、第二皇子といる時の姫の身は護られているとみてよいのだろう。
第二皇子は偶然を装っていたが、最初からアフロディテが到着するのを待っていたようだった。
控えの間から広い庭を観ていると、見知った姿を見つけた。フラミニウスと従者のミュラだ。新参者が宮廷に入り込めるのかと訝ったが、そういえばフラミニウスと従者のミュラは元々皇帝所有の剣闘士だった。彼らも第六軍の将の御付きで来ているらしかった。
「女官がざわついてると想えば、姫さまの新しい護衛ではないか」
声が掛かった。
「見違えたぞ。立派にみえる」
その男は、最初に剣闘士の宿舎にタキトゥスを迎えに来て、皇帝の許に連れて行った三人の男たちのうちの一人だった。確か臣メナンドロスと名乗っていた。
「どうしたのだ、その衣裳は」
タキトゥスの周囲を一周回って、ご丁寧にも反対回りでもう一度眺めまわして、臣メナンドロスは満足そうに眼を細めた。
「姫さまの宮の侍女に世話をしてもらったのだろう。見立てが実によい」
臣メナンドロスは嬉しそうだった。
「良い護衛が見つかったものだ。良かった良かった」
メナンドロスはタキトゥスに訊いた。
「軍務の方はどうだ。何か困ってはいないか」
まあやれている、とタキトゥスは応えた。
「お仕えしやすい方だろう、アフロディテさまは」
「そうかもしれない」
良くも悪くも女の面倒くさいところが姫には微塵もない。そこはタキトゥスも気に入っていた。
「実はな、皇帝はアフロディテ姫を皇妃にと望まれていたのだ。愕くことはない。いとこ同士の婚姻など王族はざらだ。しかしその前に姫さまは第七軍の将軍になってしまわれた。お前も知っただろうが第七軍は家柄の良い者たちの集まりなのだ。
それを率いる将は王族から選ばれる。最初は誰もが名ばかりのお飾りのつもりでいたのだが、アフロディテさまは予想外に務まっておられるからな」
「第二皇子は戦場に行かないのか」
「第二皇子は次の皇帝だ」
壁際にタキトゥスを連れて行ってメナンドロスは声を低めた。
「皇帝に御子が生まれるまでの話だが、今のところはそうだ。あまり大きな声では云えぬが陛下があのようにご病弱であられるのだ。いざとなれば皇帝の座に就かなくてはならない尊い御身体をうかつに戦場には出せぬ」
「俺には分からない。興味もない」
「あそこにいるのが第六軍の将ユリウス殿だ」
臣メナンドロスは視線で教えた。剣も持てないと噂の将ユリウスの現物だ。タキトゥスが眼を向けると、庭の片隅で手持無沙汰に立っているのがそれだった。蛙を引き延ばしたような若い男だった。
姫と歳が近いそうだが老けてみえる。ユリウスは確かに剣を揮うには鈍そうだが、一方でなぜか内に強い自負や自信もあるように見えるのが印象として残った。
「どう見える」
「さあ」
「弱そうだろう。実際、剣がまるで使えぬ方なのだ。落としてしまう。そんなユリウス殿も遠征先で新しい護衛を手に入れられたようだな。名はなんだったか」
「フラミニウス。従者はミュラ」
「そうそれだ。皇帝の命でアフロディテさまをお護りするはずが、第七軍ではなく第六軍のユリウス殿の旗下に組み込まれたとか。残念だろうな」
臣メナンドロスは、貴族の家系に連なるユリウスに対してまるで遠慮がなかった。
「フラミニウスとやらもあてが外れたのではないか。ユリウス殿の世話係になるなど本意ではなかろう。フラミニウスもその従者も二人とも強者であろうに」
「従者のミュラはあそこです」
「あれも体格がよい。剣を持った男に生まれながら、剣が扱えぬ粗忽者のユリウス殿に仕えるなど不運」
しつこかった。
「みなが云っておるわ。すべての軍の中で第六軍だけは嫌だと。あれならば第七軍のほうが良いと。女が将軍だからどうした。金線の旗を掲げて男を率い、アフロディテさまは立派にやっておられるではないか」
姫と仲がこじれている皇帝に重用されている寵臣のわりには意外にも臣メナンドロスはアフロディテに好意的だった。
「こう申してはなんだが、全く女らしくないのがかえってよいのだ」
「若い女が将に向いているとは俺にはとても想えないが」
タキトゥスが云うとメナンドロスは頷いた。
「だからおぬしのような護衛を附けているのだ。一説には、予の皇妃にならぬのならば軍隊に行ってしまえと皇帝が激昂されたのを真に受けて、姫は第七軍に立ち去られたということだ」
まああの陰険そうな皇帝の嫁になれと云われたら、考え込む女の方が多いだろうことは分かる。皇帝は整った顔をしてはいたが、若い女の眼に映る皇帝は薄気味悪くて怖いとしか想えぬだろう。
皇帝拝謁が終わったアフロディテが庭にいた。禁衛軍を率いる第一軍の司令官と皇都防衛の任にあたっている第二軍の将たちと何やら話し込んでいた。
宮廷には姫さまと年齢の近い若い女たちの集まりがあちこちにあったが、仮にアフロディテをその中に据えてみたと想像しても違和感しかなかった。混ぜてしまうとアフロディテは小姓にしか見えぬはずだ。さらに若い女たちのもつ花咲くような笑顔や笑い声が姫にはない。
「タキトゥスとおっしゃるの」
「貴方の試合を観たことがありますわ。夫が大の贔屓でしたわ」
「宮廷の感想はいかが」
先ほどから女たちがタキトゥスの周囲をうろついては関心を惹こうと話しかけてきていたが、姫さまにこの媚態はまず無理だ。
いちばん異なるのは手だろうか。剣や馬の手綱を握る姫の荒れて汚れた掌と異なり、労働とも無縁な宮廷の女たちの手はすべらかだ。生まれてこの方、重たい物を持ったこともないだろう。
女たちの雑談を捌きながら姫の姿を追っていると、たまには女の方から声を掛けられて立ち話をしていた。しかしアフロディテの無味乾燥な返答ではお喋り好きな女たちに何の満足も与えられぬとみえて、女たちはすぐにアフロディテを解放していた。第二皇子だけでなく、アフロディテを呼び止める独身の男でも居ようものなら、さっそく女たちはこそこそと陰で何やら囁き合っていた。
王の間に入る前に第二皇子がせっかく髪に挿してやった花はとっくに外されており、姫の髪は元通りになっていた。
将軍たちと何を話しているのだろう。タキトゥスはさり気なく姫さまの声が届くところに寄ってみた。初めてみる第二軍の将は痩身できびきびしており、一軍にあたる皇帝直属の禁衛軍の将はこれまた貴族らしい面差しの威風のある男だった。その間に挟まれたアフロディテは彼らの娘のようにみえた。
タキトゥスは耳を澄ました。
「東国および西国はここしばらくはウィトルウィウス卿の領土の外れを緩衝地帯にしてわが国に示威行為を重ねてくると想われます」
将の質問に答える姫の言葉は無駄がなくすっきりとしていた。
噂話に華を咲かせている女たちより、実務的なことを簡潔明瞭に語る軍人と話している方が性に合っているとみえて、アフロディテは朝みた時よりも声も強く、少し元気になっていた。
仕事がえりの男たちが通りにはみ出して立ち呑みしている。素焼きの壺に入った何かの煮込みや肉を焼く旨そうな匂いが漂っている。表通りに面した居酒屋も一本裏筋に店を構えた飲み屋も、どこも大勢の客で賑わっていた。
宮に姫さまを送り届けた帰り道、借り受けた馬の手綱を引いてタキトゥスが久しぶりの帝都の街を歩いていると、路の中央に巨大な彫像が建っている広場の近くで薔薇ちゃんと百合ちゃんに逢った。
薔薇ちゃんと百合ちゃんは姫さまの従者の少年エトナを連れてそぞろ歩きをしながら買い物をしていた。皇都の高台にある姫さまの宮の辺りはちょうど夕陽の斜光に隠れてしまい、街中からは逆光になって見えなかった。今ごろ宮に帰った姫さまは何をしているのだろう。何となく窓の向こうに薄暮の色が広がる寝所で寝台に転がって、疲れた心身を休めて眼を閉じているような気がした。
タキトゥスと眼が合うと薔薇ちゃん百合ちゃんはつんとして「今晩は」「ごきげんよう」と挨拶してきた。それから薔薇ちゃん百合ちゃんはひそひそと二人で何かを話していたが、やがて剣闘士を追いかけてきて左右からタキトゥスの腕をとってきた。柔らかい女の腕。やっぱり可愛い。
「にやにやしないで」
「それは無理」
「これからも姫さまをお護りするならば私たちには懇親会が必要だわ」薔薇ちゃんが云った。
「この先のお店が美味しいのよ」百合ちゃんが云った。
「お二人に手は出さないで下さい」
少年エトナがタキトゥスの馬を代わりに引きながら後ろから怖い声を出して釘を刺してきた。
「侍女とはいえお二人とも家柄が高いのです。問題になりますよ」
聴こえない明日もあさっても聴こえない。まじないを唱えながらタキトゥスは両腕に女を抱えて帝都の夕方の路を歩いた。
》続く
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