第2話 ゆるキャラと変化した体

 着ぐるみが脱げない事実に気がついて早一時間、俺は放心し続けていた。


 いや、着ぐるみが脱げないという言葉には語弊がある。

 この体の首や手袋は脱げたりするような作り物ではない。


 俺はご当地ゆるキャラ〈コラン君〉そのものになっていたのだ。

 そのことを意識した瞬間、五感の変化が始まった。


 先ほど頬に感じたと思った風は鼻先から伸びている髭が感じ取っていたものだし、草木がカサカサと揺れる音は頭頂部にピンと伸びた耳が立体的に拾っている。

 視界は首を巡らせなくても三百六十度が見渡せるようになっていて、嗅覚は人間の時よりも土や草の匂いを強く感じていた。


 どの特徴もご当地ゆるキャラ〈コラン君〉のモチーフになっているエゾモモンガのものなのだろう。

 〈コラン君〉はエゾモモンガの他にオジロワシもモチーフにしている。

 肩口から生えている大きな翼を使えば空を飛べるのかもしれない。


 自分が人ならざるものに変身していく事に恐怖を覚えた。

 気分は海外文学の毒虫に変身した男と同じだ。

 最期は家族からも人間と認識されず、疎まれて死んでいくに違いない。


「まぁ今は家族どころか異世界で孤独だけどな」


 エゾモモンガの口から益子藤治(三十歳フリーター:独身)であるおっさんの低い声が零れた。

 俺は一体何者になったのだろうか。


 てかトラックに轢かれて転生とか何番煎じだよ。


 改めて状況を整理する。

 あの猫曰く、俺は地球で死んでこのアトルランと呼ばれる世界にゆるキャラ〈コラン君〉の姿で転生した。


 そして〈コラン君〉由来のチート能力を授かっているらしい。

 チートと言うくらいだからこの変貌した五感能力程度のことじゃないよな?


 そもそもこのアトルランという異世界の情報が何もない。

 いわゆる剣と魔法のファンタジーなのか、地球とそっくりなのか、もしくはSFなのか。


 スローライフを満喫しろみたいなことを言っていたが、このゆるキャラの身一つでどうしろというのだ。

 辺りは森しかないしこのままではスローライフではなく野生に返ってしまう。


 あの猫は詫びで転生させたと言っていたが、全然詫びになっていないし説明も足りな過ぎる。

 これなら死んでいたほうがましだった。

 ふつふつとあの猫に怒りが湧いてくる。


「いずれまた会いに来ると言っていたから、少なくともそれまでは生き延びてしばいてやる。よし、うじうじするの終わり!」


 俺は怒りを原動力にして活動を開始する。

 とりあえず人 (じゃなくてゆるキャラだけど)として必要なものは何だろうか。


 衣食住と健康で文化的な生活か。

 衣は自前の毛皮があるからいらないだろう。

 住と健康で文化的な生活も保留。


 まずは食をどうにかしなければ死んでしまう。

 試しにエゾモモンガの鼻をすんすんさせてみると、水の匂いを嗅ぎつけた。

 雨が降るときのあの匂いだ。


 匂いを頼りに森の中に二足歩行で入っていく。

 暫く歩くと匂いは強くなり、頭頂部に並んだふさふさの耳が流水の音を捉えて、あっさりと川を発見した。


「うーむ、なかなか優秀な鼻と耳だな」


 ついさっきまで絶望していたくせに、人間の時では認識できない感覚の鋭さに思わず感心してしまう。

 まあ切り替えの早さは俺の取り柄なので良しとしておこう。


 エゾモモンガの爪が生えた両手で器用に川の水を掬って喉の渇きを潤す。

 ちなみにエゾモモンガの指は本来四本だが、そこは着ぐるみというか人間仕様で五本ちゃんとある。


 落ち着いたところで川の端の水たまりで自身の姿を確認した。

 二から三頭身ぐらいのずんぐりむっくりなフォルムで、頭部ほぼエゾモモンガをデフォルメしたデザインだ。


 つぶらな黒い目にふさふさな耳が頭頂部から生えている。

 胴体は腹の部分が白い毛に覆われていてその外側は灰褐色だ。


 肩の付け根から手首まではオジロワシの羽が綺麗に生え揃っていた。

 足は黄色い鳥脚で、鋭そうな黒い爪は攻撃にも使えるか。

 尻尾の形は毛が大きく広がっているエゾモモンガのものだが、色はオジロワシのように白い。


 当たり前だが着ぐるみの時のような作り物ではなく、全ての部位が本物の生物と同じようにリアルである。

 そして〈コラン君〉のチャームポイントである首に巻いた赤いマフラーが風になびいていた。


「さて、水源は確保したし次は食い物だけど……」


 現代人でひきこもり気質の益子藤治にサバイバル知識は皆無だし、知識があったとして異世界で通用するだろうか。

 というか食事はエゾモモンガやオジロワシ基準になるのか?

 だとしたら木の実や昆虫、生肉が主食のはずだが元人間にはハードルが高すぎる。


 再び気分が落ちてきたところで、耳が異音を捕捉した。


「これは……人の声?」

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