第49話 本当の名前

食事を終えると、リアはずっと気になっていたことを切り出した。


「ノア、ステラは大丈夫なのか?私を庇って怪我をさせてしまったから謝りたいんだ」

苦痛に耐えるステラの姿を思い出せば胸が痛んだ。リアが嘘を吐いていたことにも関わらず、あの場で身を挺して守ってくれたのはステラだけだった。


「それが仕事だ。……ヨルンが気にかけていたから、恐らく問題ないだろう」

どことなく歯切れの悪い物言いが気になったが、安心させるようにぎゅっと抱きしめられる。


「そろそろお城に戻らなくていいの?ヨルンが心配してないか?」

ノアベルトはその問いに答えず、リアに口づけを落とす。


「リアは戻りたいか?」

思いがけないことを言われてリアは目を大きく瞠った。


(いや、だって帰らないとまずいだろう)


ノアベルトがどれだけ多忙なのか分かっているつもりだ。どんなにリアを甘やかしていても、執務室では休憩の時以外はずっと机に向かっていたし、夜通し働いていた時はヨルンから苦言を呈されていたこともある。それなのにノアベルトはリアを探して助けに来てくれたのだ。


「リアが望むならここや別の場所で共に暮らしてもいい。そうすれば面倒なしがらみや責務などに煩わされずに済む」

平坦な口調とは裏腹にリアを抱きしめる両腕に力がこもる。婚約式で攫われたことがきっかけなのか、以前から葛藤を抱えていたのかリアには分からない。だから素直に浮かんだ言葉を口にした。


「ノアはどうしたいの?」

その質問にノアベルトは驚いたように目を瞬かせた。


「私は……リアが欲しい」

「いや、そういうことじゃなくて!」

「私にはリアさえいればいい。……リアだけは私の気持ちを考えてくれる」


うっとりとした笑みは妖しい色気も含んでいて、逃げる間もなくソファーに押し倒される。そのせいで後半部分の小さな呟きはリアの耳には届かなかった。



「真剣に訊いているのに誤魔化すならもう知らないからな!」

「誤魔化してなどいない。本心だ」

クッションを投げつけてどうにか逃げ出したリアは本気で腹を立てていた。


「私が魔王であるがゆえに、嫌な思いをさせたし危険な目に遭わせてしまった。リアが望むなら魔王の地位など捨ててしまっても構わない」

嫌悪や好奇の視線にさらされ、一方的に非難されたこと、厳重な警備の中攫われてしまったことをノアベルトは気にしているらしい。望まなくとも自分は聖女と呼ばれる存在で、人間であるのだから仕方がないと思っていたのだ。


(まったく、いつまでたっても過保護だし甘やかしすぎだよな)

呆れながらも大事にされていることが嬉しくて心がそわそわする。そんな風に言われればいつまでも怒ってはいられなかった。


「ノアのせいじゃないし、攫われたのは私が聖女だとあの人達が信じていたからだよ。ノアが辞めたいなら止めるつもりはないけど、ずっと頑張っていたことを私が原因で放棄するなら嬉しくない。それに――」


躊躇ってしまったのは、罪悪感と恐れのせいだった。けれどノアベルトには話さなければならないことだと覚悟を決める。


「辺境伯に不信感を持たれたのは、私が名前を偽っていたせいだから。――ずっと言わなくてごめんなさい!」

頭を下げたせいで、ノアベルトがどんな表情を浮かべているのか分からない。

実際に言葉にすると重みが増し、非難や失望の言葉が聞こえるのではないかと思うと怖くてたまらない。


「言いたくないことなら無理をしなくていい。リアが別の名前を持っていたとしても、私がリアを想う気持ちは変わらない」

ノアベルトはいつもと同じように優しくリアの頭を撫でてくれて、気持ちがふっと軽くなった。楽しい話ではなかったが、ノアベルトには知って欲しいという気持ちのほうが強い。


「私の本当の名前はマリアというの」

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