第48話 二人の朝食
遠くで鳥の囀りが聞こえる。
(朝か……起きなきゃ……)
微睡みの中でそう思うのに、気持ちよくてなかなか瞼が開かない。午前中はどんなレッスンが入っていただろうか、と記憶を掘り起こしながらようやく目を開けるとすぐ近くにノアベルトの顔があった。
「えっ?!……あっ!」
昨晩の出来事を思い出して、顔から火が出そうなほど恥ずかしくなったリアは思わず飛び起きる。だがその拍子にシーツが肩から落ちて余計に恥ずかしい思いをすることになった。
「可愛いな。昨晩も目にしているのだから今更そんなに照れなくても良いだろう?」
「だって、暗くてはっきりと見えなかっただろう……」
「…………ああ、人の子は夜目が利きにくかったか」
ノアベルトの呟きにリアの思考は一瞬停止した。
『人の子は夜目が利きにくい』
ということはもしかして——ノアベルトには暗闇の中でも普通に見えていたということではないだろうか。
(うわっ、嘘だろ?!)
動揺したリアはノアベルトの顔を見ることができず、ベッドから逃げ出そうとしたが、立ち上がろうとした途端に力が抜ける。
「ひゃっ?!」
「こら、危ないな」
ぎゅっと力強い腕に抱き留められた。ノアベルトに支えてもらわなければベッドから転がり落ちていただろう。自損事故であるため素直に礼を口にするリアだったが――。
「あ、ありがとう………って、待て!こら、どこ触って——んっ」
「これは不可抗力だ。煽ったのはリアのほうだぞ?」
シーツ越しに胸の辺りに手を滑らせながら、ノアベルトは悪びれる風もなく淡々と告げる。リアの抗議にもかかわらず、結局そのまま昨晩と変わらないぐらいリアはしっかりと愛されたのだった。
ひやりとした感触と水が喉を伝う感覚で、喉の渇きを自覚した。
(はぁ、美味しい……何かすごく沁みる)
疲れ切った身体に沁み渡るような感覚に、もっとと望めば図ったようなタイミングで水を与えられる。ぼんやりとした思考の中で何か変だと感じて、目を開ければ目と鼻の先に紫水晶の瞳があった。
本日2度目の光景と柔らかい感触にデジャヴを覚えた数秒後、リアは思い切り噎せた。
「げほっ……ノアっ!」
おまけに声まで掠れているのは絶対に目の前の男のせいである。昨晩から声を酷使し体力を大幅に消耗させられたのだ。
(こっちは初心者だっていうのに、ちょっとは手加減しろ!!)
非難の気持ちを込めて睨みつけるが、ノアベルトは何故か嬉しそうに微笑んでいる。
「リアのそういう顔も甘えているようで愛らしいな」
そんな風に言われては毒気を抜かれてしまって、リアは枕に顔を埋めた。
「リア、お腹が空いただろう?食事にしよう」
ふわりと漂う美味しそうな香りにお腹が鳴った。そのままふて寝するつもりだったが、思えば昨日の昼食以降何も食べていないのだ。意地を張るのも馬鹿馬鹿しいと素直に起きることにした。
小さなダイニングテーブルの上には、いつの間にか朝食メニューが並べられている。太陽の位置からすればもう昼に近い時刻だったが、目が覚めたばかりなので重すぎないメニューは有難かった。
「リア」
とろりとしたポタージュスープを差し出すノアベルトを見て、リアは少しだけ我儘に振舞うことにした。口を開けずに、そっぽを向いて食べることを拒否する。
「これは気に入らないか」
スプーンを置き別の食事に目を向けた隙に、リアは近くにあったブドウを房ごと手に取った。皮が薄く、甘い果汁が口中に広がって自然と笑みが広がる。
不満そうな表情のノアベルトにも1粒口元に差し出せば、首を僅かにひねったあと大人しく口にした。
「甘くて美味しいよね」
「――ああ。リア、他にはどれが食べたい?」
ノアベルトは当然のように食べさせようとするが、リアはそれが少し嫌だった。
「ノアと一緒に食事がしたい。美味しいねって言い合ったり、話をしながら食事するほうが楽しいよ。私はこっちのほうが好きだな」
リアの言葉にノアベルトは考える素振りを見せる。食事を与えることが愛情表現の一つなのだと分かっていても、一緒に食事を楽しみたいし、自分のペースで食事をするほうが正直気楽なのだ。
「……善処しよう。だが今日は我慢してくれ」
いつも通りの食卓はカトラリーが1セットしかない。ノアベルトがそういうのは当然だったが、朝食のメニューを見たリアはこれならいけると踏んでいた。
「ノア、ちょっとフォークとナイフ貸して」
ふわふわの丸パンを手に取り、横にナイフを入れる。それからオムレツと鶏ハム、ドレッシングがかかったサラダを挟んで即席バーガーが出来上がった。少々行儀が悪いかもしれないが、これなら手づかみで食べられる。
「んー、美味しい」
考えてみればこの世界でファーストフード的な物を食べたことがなかった。街に出掛けた際にウィッケというクレープに似た菓子は食べたぐらいだ。元々の料理自体が美味しいこともあるが、お手軽感と懐かしさもあって一層美味しく感じられる。
「……私もリアと同じものが食べたい」
じっとリアの持つバーガーを見つめるノアベルトはどこか真剣な表情だ。
(もしかして、こういうの食べたことないのか?)
育ちの良いお坊ちゃんに庶民的な食べ物を教えるようで、何となく罪悪感を覚えたが期待に満ちた表情に嫌だとは言えなかった。
ノアベルトの分にはチーズとベーコンも追加して渡すと、しげしげと見つめた後で意を決したようにかぶりつく。だが元々の所作が洗練されているせいか、自然と上品に見えるのだから同じ物を食べているとは思えない。
「美味いな」
「良かった。ねえ、ノアが一番好きな料理は何?」
(二人だけの時ならこういう食事も悪くないよね)
他愛のない会話をしながら、満足そうなノアベルトを見てそう思った。だがそれはリアが食事を用意してくれたことに喜んでいたからだと気づくのはしばらく先のことであった。
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