第37話 婚約宣言
婚約式当日、リアは朝から念入りに磨かれて身支度を整えられる。本番は夜からだがリアの世話をする者はステラとエリザベートのみ。時間がかかるため早い時間から準備に取り掛かっている。
本来なら倍以上の人員が必要なところだが、不用意に他者を側に置くことをノアベルトが警戒したためだ。
令嬢がすんなりとリアの部屋に乱入できたのは、城内で誰かが手引きした可能性が高い。人間であり聖女でもあるリアを快く思っていないのだろう。
ノアベルトは口にしなかったが、何となくリアは察していた。
そんな中ノアベルトは何度もリアに会いに来るが、エリザベートの諫言によってその度追い返されている。
「女性の準備をのぞき見るなど紳士としてあるまじき行為です」
元々ノアベルトの乳母であったというエリザベートは臆することなく発言し、無作法な態度を嗜めている。
準備されたのはノアベルトの瞳の色を意識した薄紫のAラインドレス。胸元から精巧な刺繍が入りエレガントな印象だ。それに華やかさを加える宝石は全てアメジストで否が応でもノアベルトを意識させるものだった。
(大人っぽくて素敵だけど、過剰というか執拗というか……)
それは見る者だけでなく纏うリア自身も同様で何だか落ち着かない。
準備が終わりお披露目の時間が近づいていることに緊張も高まり、そわそわしてしまう。
ノックの音がして扉が開くとノアベルトの姿があった。
漆黒の軍服に似た衣装のノアベルトはいつもより鋭利で威圧感を醸し出していたが、リアに向ける眼差しは柔らかい。胸元にかかる金色の飾り紐と胸元の意匠が上品さと気高さを感じさせ、初めて見る正装姿にリアは思わず見惚れてしまった。
「リア、綺麗だ。出来れば婚約式を取りやめてこのまま閉じ込めてしまいたいぐらいだ。他の者になど見せたくない」
悔しさが滲む表情から本気でそう思っていることが窺える。
元の素材が素材だからそこまで格段に変わるわけではないのだが、可愛いではなく綺麗だと言われたのは初めてだ。照れ隠しに顔を逸らせば、ステラとエリザベートはどこか誇らしげにこちらを見ている。
「……あの、ありがとう。ノアもとても素敵で驚いた」
ノアベルトの言葉を否定するのは、頑張って準備してくれた二人に対して良くないと思い直したリアは素直に礼を伝えた。
(綺麗なのはノアのほうだけどな)
ノアベルトが贔屓目なのはいつものことだが、横に並べば明らかにノアベルトのほうが目を引くのだ。周囲から不釣り合いだと思われるのは仕方ないが、せめて堂々としていようとリアは心に決める。
広間へと続く扉の前に立つと緊張がさらに高まった。
「広間に入れば不躾な視線に晒されるだろうし、不快な言葉を耳にするかもしれない。だが私が絶対にリアを守ると誓うから、一緒に付いてきて欲しい」
リアの手を握り真剣な表情で伝えるノアベルトの言葉で心が一気に軽くなる。
(アウェイなんて今更だ。負けてたまるか!)
扉が開くと室内を照らす光に一瞬目が眩みそうになったが、腕に添えた手に力を入れる。ノアベルトの気遣うような眼差しに応えるために、にっこりと笑みを浮かべる。微笑みは淑女の武器だとエリザベートから教えられた。
魔王陛下の入場は沈黙を持って迎えられる。敬意を表するために胸に手を当て、頭を下げているものの、自分が注目されていることが分かった。目は口ほどに物を言うとか視線が痛いなどの慣用句はどれも正しいのだなと実感する。特に綺麗に着飾った令嬢からの視線は怖いぐらい刺々しいものだ。ノアベルトを見る目は熱くリアを見る目は冷ややかで、器用なことだと内心苦笑する。
(あれなら自分でもノアの隣に立てるとか思われていそうだな)
見下されるのはリアの容姿や聖女であり人間だから、理由を挙げれば切りがないだろう。
それでもノアベルトの隣を譲るつもりはない。当たり前のようにそう思ったリアは、口元の笑みを維持することでその意思を示す。
ノアベルトは玉座の前に立つと悠然と群衆を見下ろした。
「面を上げよ」
先ほどよりも更に強くなる視線だが、目を合わせてはいけないと教えられた。ただ隣で堂々とまっすぐに背筋を伸ばしていれば良いのだと。
ノアベルトの声が広間に響く。
「今宵、ここにノアベルト゠フォン゠ルードヴィッヒとリア゠アキヅキの婚約を宣言する。我が婚約者については様々な流言が飛び交っているようだが、異世界から召喚された少女であること以外は事実無根だ。彼女はイスビルに不利益をもたらす者ではない。不満がある者は決闘の申し出を受けよう。――話は以上だ。今宵はゆるりと過ごすがいい」
『文句があるなら王になってみせろ』
明確な意思表示をしたノアベルトに、不満そうな貴族たちの顔が気まずそうな表情に変わる。
魔王に必須なのは魔力量だ。この地に魔力を注ぎ、瘴気を抑え安住の地に変えたのは初代魔王であり、それから魔王はこの地の管理者として唯一の存在となった。だからこそ実力から選ばれる地位であり、この地を治めるのに必要な能力を有さない者に異論を述べる資格はないのだ。
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