第36話 大切な宝物 ~ノアベルト~
(こうあっさり眠られると、それはそれで少々複雑ではあるな)
隣で小さな寝息を立てるリアを見てノアベルトは小さな溜息を漏らした。
信頼してくれているのだと嬉しく思う反面、まだ僅かな恋情しか抱かれていないという事実に苦い笑みを浮かべる。
大切に慈しんで甘やかしてようやく手に入れたのだから、焦る必要はない。
(リアを煩わせるものなど全て排除してしまいたい)
昼間の一件はノアベルトにとって不快な出来事だった。辺境伯の娘だろうが、肉体的にも精神的にもリアにかすり傷一つでも負わせようものなら出入禁止程度で済ませることはなかっただろう。
だがリアはグレンザ辺境伯の娘の狼藉に動じることもなく、彼女らしい啖呵を切っていて思わず笑みがこぼれた。燃えるようなまっすぐな瞳を思い出しながら——。
リアは確かに好意を抱いてくれているが、自分と同じような激しい感情ではない。だからこそ何がきっかけで芽生えたばかりの儚い気持ちを失ってしまうか分からないのだ。不安でたまらずリアを抱きしめれば、肩の力が抜けていくのが分かった。いくら気丈な性格とは言え自分に敵を抱く者と対峙していたのだから、無理もない。安心してくれたことに幾らか不安が和らいだが、心の裡を知りたくて質問を重ねた。
『――不快な思いをさせてしまったから、私の婚約者でいることが嫌になってはないだろうか?』
仮に嫌だと言われても手放すつもりはないのに、そんな質問をすればリアが自ら抱きついてきて一瞬虚を突かれてしまった。その後にじわりと沁みいるような幸福感は何物にも代えがたく、殊更に甘やかしてやりたくなった。
(リアを手に入れるためなら卑劣なことも厭わない、そう思っていたのに――)
取って付けたような理由で婚約者の座を押し付けたから、いずれ嫌われることも覚悟していた。それでも現実には少しでもその日がくることを遅らせようとして、ステラとの会話を許しリアの気に入りそうな菓子を取り寄せ機嫌を取ろうとしたのだ。
だがあの日、すべてが変わった。
『――私…ノアのこと、好きだよ』
震える声で伝え、頬に口づけをくれるリアを見て胸が苦しくなった。
本気で逃げ出したいがために、あえて自分の願いに沿うように行動しているのだと思ったからだ。健気で哀れな様子にたまらずきつく抱きしめた。どんなに望んでも逃がしてやれない。
それなのにリアが抱きしめ返してくれたことで、思いのほか動揺してしまった。本当に好かれていると勘違いしてしまいそうだと、自分を自制するのに必死だったのだ。
気持ちが報われることなどないのだと思い込んでいたが、リアがどんどん不機嫌そうになっていくのに比例するように信じたい気持ちが強くなっていった。
顔を真っ赤にしながらも好意を伝えてくれるリアが愛しくてたまらない。優しく口づけると抵抗することなく、受け入れてくれた。偽りのない心からの笑顔を見て、ようやく欲しかったものを手に入れることができたのだと実感した。
(あれは最良の日だった)
何度思い返してもそう思う。
だが欲は尽きず、自分と同じぐらいとは言わないが、もっと愛しいと思ってもらいたい。甘やかして絶対に離れられなくなるようにしたい。
だからリアの嫌がる可能性があることは徹底的に排除した。男女の営みに不慣れなリアを怖がらせないように軽い口付け以上のことも我慢している。
だが時折いつまで持つのだろうかと不安になる。今だって普段の服よりも薄く、胸元が見え隠れする夜着を取り去ってしまいたいと思っているし、その白くきめ細かい肌に自分の痕跡を残したくて仕方がない。全身に口づけして自分の物だと主張したいぐらいだったが、リアが嫌がるだろう。
何もしないと約束をした自分の浅慮にため息を吐いた。リアと一晩中過ごすだけでも幸せだろうと思っていたし、確かに腕の中の温もりは心地よいものだが全然足りない。
口づけの一つぐらいならバレないだろうかと思いながら頬を撫でると、リアの表情がふにゃりと柔らかくなり頬をすり寄せてきた。
初めてリアに触れた時、もっと見たいと願った表情だった。あっという間に心が満たされていく。攻撃的な口調や態度は自分を守るためのもの。元の世界でリアがどういう環境に身を置いていたか分からないが、野生動物のような警戒心の高さや他者を頼らない姿勢に何となく察するものがあった。リアの全てを知りたい気持ちもあるが、完全に自分の物になるまでは触れない方が良い。
(もう少しこのままでいるべきなのだろう)
少なくとも婚約式を終えるまでは、身体に負荷を掛けるような真似は避けるべきだし、リアにも時間が必要だ。
辺境伯は聖女であるリアにというより、自分の行動に対して警戒心を抱いているし、他の貴族も野心を秘め奸計を巡らせているに違いなかった。
ずっと閉じ込めておけば安全だったが、多少の労力とリスクを負っても正式に婚約者として発表することで、将来的に見た時にメリットが大きかった。
(もっともリアを手放す気も危険に晒す気もないが)
やっと手に入れた大切な宝物を抱きしめて、ノアベルトは満ち足りた思いで眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます