第32話 ~閑話~ 側近の苦悩 

あの日は無性に胸騒ぎがした。

結界が揺らぎ異質な気配を感じて、陛下の元に駆け付けたがいつもと変わらない落ち着いた態度に密かに安堵した。続いて目に留まったのは、陛下の前に立つ幼い風貌の人間の少女。この城に存在するはずのない姿に、聖女だと確信した。


(危険は早々に排除しなくては——)

陛下の命に従うべく行動に移しかけた途端、聞こえてきた声に唖然とした。


見た目とは裏腹にその口調はどこぞの荒くれ者のように粗暴で、怒り狂いながら非難めいた言葉を口にしたのだ。

陛下の御前であることを思い出して慌てて咎めるが、何を思ったか陛下は娘の非礼と滞在を許した。その時点で再び嫌な予感がしたが、陛下の命令である以上拒否などできるはずがない。


陛下が自ら食事を運ぶと言い出した時には、思わず非難がましい視線を向けてしまった。陛下からの無言の叱責を受けて、臣下の礼を忘れてそのような態度を取ってしまったことを自省した。


(陛下にはきっと俺なんかには分からないお考えがあるのだ)

そう気持ちを切り替えていたところ、陛下の部屋から似つかわしくない騒音が聞こえたのだ。


「触るな!変態!!役に立つとはいったが、ペットになる気はない!」

荒々しく扉が開き、足早に去っていく黒髪の少女。


(何故陛下の私室にあの小娘が――!しかも陛下に向かってあのような暴言を吐くとは!)


陛下の身を案じて中に入ると、どこか上の空の様子で佇んでいた。根気よく尋ねると陛下に暴言を吐いただけでなく、危害を加えたというではないか。処分の命が下るに違いないと思って待機するが、ただ下がるように言われる。

去り際に陛下が小娘の名を呟く声がどこかいつもと違って聞こえて、気になりながらも小娘を監視すべく物置部屋へ向かった。


扉に手を掛けようとして、中から騒々しい音が響いた。争う声からどういう事態か容易に想像がついた。気に食わない娘だが、あんな子供に劣情を抱くなど気分が悪い。


「はっ!処刑されるならお前らも同罪だ!子供を襲おうとして騒ぎを起こす者など不要、だろう!」

火に油を注ぐようなセリフを吐く小娘を愚かだと思ったが、言っていることは正しい。


部屋に入ると小娘の手にはガラスの破片があった。衛兵相手に対抗するにはささやか過ぎる武器だ。守ってやる義理などないが、小娘は一度として陛下の名を出すことはなかった。それだけは評価に値する。


陛下に報告した結果はあまりにも予想外だった。いくら狼藉を働こうとした者たちとはいえ人間を優先するとは思わなかったのだ。おまけに小娘が暴れまわっても今までに聞いたことのないような声で名を呼び、壊れ物を扱うかのように優しく触れる。

それはまるで愛しい者に接する態度だった。



陛下の様子があまりにもおかしくて文献をひたすら読み漁った。聖女の力が誘惑や精神操作の類ではないかと疑ったが、そのような記述は一切見当たらない。観察を続けていれば、小娘は嫌がるような素振りを見せている。陛下の寵愛を受けているにも関わらず、なんと我儘な人間だろうと腹立たしい。だが小娘が陛下に怪しげな術を使っている可能性は消えた。


(陛下の変調の原因は何なのか——)


身近な者に話を聞こうと侍女のステラに声を掛けた。以前から知ってはいるものの、会話をしたことがない。訝し気な表情が一瞬浮かんだものの、すぐに柔らかな笑みに戻った。侍女であれ、城に働く者ならば感情を露わにしてはならない。少々素直過ぎるようだが話を聞くにはちょうど良い。


小娘と陛下について問いただすと、呆れたような視線を向けられた。

「陛下はリア様のことを愛していらっしゃるだけですわ リア様は少々戸惑われておりますけど、陛下のことを嫌ってはおりません」


ショックで目の前が真っ暗になる。ステラが一礼して立ち去った後も、しばらくその場から動けなかった。


それから数日後、真偽のほどを陛下に直接尋ねることにした。

臣下の間柄とはいえ、かつては兄弟のように親しくしていた仲なのだ。仕事が一段落したのを見計らい、意を決して口を開いた。


「陛下、ご質問をお許しいただけますでしょうか」

「許す」

素っ気ない口調だったが、視線はしっかり自分に向けられて話を聞く姿勢になっている。貴重な時間を割くのは申し訳ないと単刀直入に尋ねた。


「陛下はあの聖女をどうするおつもりですか?」

「ずっと傍にいてもらう。――それで?」

当然のようにあっさり返事があったが、その後の質問の意味が分からない。


「それで、とは」

「お前がリアのことを気にかけたことはなかったのに、どういう風の吹き回しだ?リアに興味が湧いたか」


淡々とした口調だが、その瞳が射貫くように鋭い。慌てて釈明し非礼を詫びて、何とか怒りを鎮めてもらうことに成功したが、衝撃のあまりその日は仕事が手に着かなかった。


大事な主君が小娘に惑わされるなど誰が想像できようか。

昔から冷静で感情を見せず、先代から玉座を奪った時にも何の感慨も見せなかった陛下は小娘の態度に一喜一憂するようになった。


そこまで考えて、気づいた。感情の起伏が激しいのは王としては失格なのかもしれないが、ノアベルト自身はどうなのか。


何事にも執着を見せず、淡々と仕事をこなし生きていく様子にやるせなさを覚えていたのはそう昔のことではない。

王位継承後の国内外の騒乱を鎮静化させ、平穏な日々が見え始めたころもっと自分のために生きてほしいと思っていたはずだ。


王位になど本来興味がなかったのに、力を持っていたから、一番国内外への影響が少ないからという理由で手にしたものだった。何事にも無関心だと言われているが、生まれ育った環境や周囲の者を守ろうという気持ちがあったことをヨルンは知っていた。自分より力が強く優れた者が現れれば、淡々とその地位を明け渡すだろう。


ノアベルト自身に幸せになって欲しいと思っていたのに、王に相応しくないと認めずにいる自分は何て身勝手なのだろう。柔らかな表情で小娘を見つめる主はとても幸せそうだった。王らしかぬ態度を内心苦々しく思っていたが、自分にその権利はあるのだろうか。

王だからではなく、ノアベルトだからこそ一生仕えようと決めたはずなのに。


深いため息をついてソファーに沈みこんだ。取り返しのつかない前に自分の過ちに気づいて良かった。小娘自身についてはいまだに思うところがないわけではないが、主の幸せに繋がるのであれば些細なことだろう。それよりも聖女の存在が明らかになったとき、国内の混乱は必至だ。陛下が彼女を手放さないなら、貴族の不満を抑え立場を確立する必要があるだろう。


(あの方が幸せになるのなら、それを手助けするのが俺の役目だ)

自分の役割を再認識すると高揚感が湧いた。認めたくないが、自分はあの少女に少なからず嫉妬をしていたらしい。あの方を笑顔にさせるなど、自分にはできなかったから――。

だがそれぞれの役割というものがある。


(ならば自分は自分の役割をこなしあの方に仕えよう)

ヨルンは心の中で改めてノアベルトへの忠誠を誓った。

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