第33話 二人の時間
(一応予想はしていたけど、ここまでとは思わないだろう、普通……)
横抱きの状態でずっと顔や手に口づけを落とされている。
お茶の準備をしているステラは、必死でこちらを見ないように気遣ってくれているのが申し訳ない。
ノアベルトに触れられるのは嫌ではないが、どうしても恥ずかしいという思いが先に立ちリアはぼんやりと考え事をすることで現実逃避していた。
「ひゃっ!」
首すじを強く吸われて、思いがけず変な声が出た。抗議の意味を込めて顔を上げれば、嬉しそうな表情で微笑むノアベルトと目があった。
(——っ、もう!何でそんな目で見るんだよ!)
愛しそうな表情も大切に触れる手の感触も意識すれば、たちまち真っ赤になってしまうし、心がそわそわして落ち着かない。
リアとて人並みに知識はあるのだからお互いに好意があれば、恋人同士の触れ合いがこの比ではないことぐらい分かっている。
だが圧倒的な経験不足のせいで心の準備がまだまだ出来ていないのだ。
だからこそノアベルトの愛情表現を拒絶はしないが、積極的に事を進めることに対しては躊躇いを覚えてしまう。
「リアは本当に可愛らしい。そういうところも愛しいのだから少しずつ慣れてくれればいい」
リアの心情を見透かしたような言葉に悔しいと思う気持ちもあるが、それ以上に自分を尊重してくれていることが分かる。くすぐったくて、心がふわふわした気持ちになったリアは、返事の代わりに身体の力を抜いてノアベルトにもたれかかった。
(あ、何かいい匂いがする)
安心するような心地よい香りに、リアは頬をすり寄せた。
「っ——これは、なかなかくるな」
小さな呟きだったが、身体を寄せているリアの耳には届いた。その意味を理解するなり、リアは身体を起こしながら慌ててノアベルトに話しかける。
「ノア、もうお茶の時間だから―――」
「ん――そうだな」
話し終える前に唇にキスをされて、顔が真っ赤に染まるのが分かった。文句を言いたいが、そうすると何があったかステラに筒抜けになってしまう。ノアベルトを睨みつけると満足そうな笑顔を返されたリアは、いつか絶対に仕返ししてやろうと心に決めた。
婚約式まであと7日を切り、リアはダンスの練習に勤しんでいた。姿勢と食事のマナーについてはエリザベートから合格をもらえたのだが、ダンスに関しては一向に上達する気配がない。
「きゃっ!」
「わっ、ごめん!!」
後ろに下がるところを前に出てステラの足を思い切り踏んでしまった。
大丈夫だというステラを無視して椅子に座ってもらい、確認するとくっきりと痕がついていた。
慣れないドレスや踵の高い靴のせいで、踊るとさらに足元がおぼつかなくなるのだ。当日は大勢の前で踊ることになるから緊張するだろう。もし本番でもノアベルトの足を踏んだり、ステップを間違えたら婚約者に相応しくないと思われるかもしれない。考えれば考えるほど憂鬱な気分になる。
「浮かない顔だな。エリザベートは厳しいか?」
リアの休憩時間に合わせて、ノアベルトがやってきた。
「エリザベートのおかげでだいぶ上達したんだよ。ダンス以外は、だけど…」
「踊らなくても構わない。必須というわけではないからな」
ダンスは男女の社交の場だ。舞踏会なども行われているらしいが、王主催の式典は格式が高く招待される貴族もしっかりと身元が保証されている、貴重な出会いの場となる。主催者が踊らなければ場の盛り上がりに欠け、リアが踊れないからという理由で取りやめるのは顰蹙を買うことになる。
ダンスを始める前にエリザベートがそう教えてくれていた。
踊らなくても評価が下がるなら踊るしかないけれど、残りの期間で何とか形にならないものか。
「陛下と踊ってみてはいかがでしょうか」
身長差があるのと、男性にリードされるのでは勝手が違う。慣れていたほうがよいのではないかというエリザベートの提案にリアは躊躇ったものの、ノアベルトはあっさり了承した。
「足、踏んじゃうかもしれないから、靴脱いでいい?」
「踏まれても大丈夫だ。あの時も痛くなかったぞ」
「――あ…、あれはノアが悪いんだ!」
初めてノアベルトに抱きしめられて、思い切り足を踏んだことを指摘され、ちょっとムッとする。そんなリアを見てノアベルトはくすりと笑うと、一礼して手を差し伸べた。
そんな会話のあとに2曲続けて踊ると、エリザベートとステラから拍手が起こった。直前のやり取りで力が抜けたのもあって、ノアベルトとのダンスは踊りやすかった。ミスする直前でリードされるため、傍から見ても上手に踊れているように映っただろう。エリザベートから何ヶ所か指摘があったが、これなら問題ないとお墨付きを得た。
「……ノアは何でもできるね」
そんなつもりはなかったが、つい恨めし気な声になった。
「リアとでなければあんな風に踊れない。いつも見ているからどうリードすればいいか分かる」
そんな風に言われればどう反応すればよいか分からない。普通に考えればちょっと引いてしまうぐらいの発言だったが、不思議と不快な気持ちではなかった。
ダンスの日は、お風呂上りにステラからマッサージをしてもらうのが日課になっていた。これが結構気持ちよくて頑張ったご褒美のように感じていたのだが、ノアベルトは知らなかったらしい。
「これからは私がしよう」
「いや、流石に駄目だろう」
ノアベルトの宣言をリアは一蹴する。
すでに足元に跪いているが、ヨルンに見つかれば叱責と嫌味が山のように降って来るに違いない。
(一国の主としてどうなんだ、それ)
「ステラは良いのにどうして私は駄目なんだ」
拒否の姿勢を見せるリアに、ノアベルトは侍女に許して自分に許さないなど認められないというよく分からない反論を返してきた。諦める気配のないノアベルトを見て、リアは早々に白旗を上げた。こういう時のノアベルトが決して譲らないのを学んだからだ。
足首からふくらはぎまで保湿クリームを伸ばし、ゆっくりとマッサージをする手は大きくがっしりとした男性の手だった。分かっていたはずなのに、真剣な表情でリアの足を揉むノアベルトを見て、急に意識してしまった。
(何か、すごい倒錯的というか背徳的な感じ。好きな男に足を揉まれるのって何かいけないことをしている気になるな)
「リア、痛いのか?」
リアの動揺に気づいたノアベルトに声を掛けられるが、そのまま答えるわけにもいかない。
「ううん、大丈夫」
素知らぬ顔で返事をしたのだが、それが良くなかったのかもしれない。
「――っ?!」
早く終わらないかとそわそわした気持ちでいたが、足の裏をなぞられてぞくっとした。
ノアベルトと目が合うと昏い笑みを浮かべている。
(これは絶対に確信犯だ!)
慌てて足を引こうとしてもがっしり足首を摑まれて逃げられない。
「まだ終わってないから、いい子にしてるんだぞ?」
(二度とマッサージなんかさせるか!)
しつこいほど入念にマッサージをされてぐったりとする中、リアはそう決意した。
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