第30話 振る舞い
「婚約式?」
「ああ。国外は書状で済ませられるが、国内となると流石に示しがつかない」
イスビルは血縁主義ではなく実力主義の国だ。つまり王の子が必ず王になるとは限らない。とはいえ隙あらば命を狙われるような戦国時代の武将ではなく、3年に一度、もしくは嘆願書が届けられた場合に決闘か話し合いによって世代交代するという仕組みになっている。
だが王族は代々魔力が強い者が生まれることが多いため、魔王の婚約者という立場は野心ある者たちにとって非常に重要である。娘を持つ貴族はそのポジションを狙って画策しており、特に数少ない式典などは魔王に拝謁する絶好の機会であり、熾烈な攻防戦が繰り広げられていた。
もっともノアベルト自身は興味がないため、あからさまにそのような真似をすれば不興を買う。そのため近年では水面下でこそ動きはあるものの、平穏そのものであった。そこまで聞けば急に現れた人間、しかも異世界からの聖女とあってはどんな波風たつか相続に難くない。
そんな背景もあって書状一つで済ませれば、様々な流言飛語が飛び交い、混乱が起きるだろう。王であるノアベルト自ら貴族の前で事実をしっかり知らしめる必要がある。
(ただでさえ面白くないだろうによりによって聖女だもんな。アウェイにも程がある)
どう考えても楽しいパーティーになろうはずがない。リアは小さく嘆息する。
「不届き者は厳重に処罰するから心配はしなくていい。だが、私の婚約者と認められるようそれなりの振る舞いを身に付ける必要がある。リアに苦労をさせたくはないのだが――」
魔王は気遣うような表情でリアを見つめる。
「ああ、礼儀作法が必要なんだな。そういうのは全然苦労と思わないよ。出来ることが増えるのは嬉しいし、必要なことなら頑張るから」
マナーを身に付けるのは自分のためにもなるし、甘やかされる日々より厳しくても学べる環境のほうが嬉しい。どんな事情があったとしても婚約者になったのだから、魔王に恥をかかせるような真似はしたくない。
「では婚約者らしく振舞えるように努力してくれるのだな?」
「うん。至らないこともあると思うけど、よろしくお願いします」
わざわざ念を押すように確かめる魔王の言葉の意味を考えずに、あっさり了承してしまった。自分の浅はかさを後悔するはめになるとは、この時のリアは知らなかった。
「婚約式まで三週間しかございませんので、まずは最低限のマナーとダンスのみお伝えさせていただきます」
リアの教育係として紹介された初老の女性、エリザベートは自己紹介を終えるとすぐにそう続けた。時間がない中なので、パーティーに関する部分のみ重点を置いて、食事のマナー、貴族の挨拶方法、姿勢や歩き方などを詰め込まれる。
エリザベートは厳しいながらも、リアに対する悪意はなかった。むしろリアが恥をかかないよう、熱心に指導してくれているのを感じてリアも懸命に学んだ。
(……だけどこれは、完全に想定外だ!)
「陛下、エリザベートから学んだことの復習をしておりますので、お控えいただけますでしょうか」
丁寧な口調で苦言を呈しても魔王は素知らぬ顔だ。夕食までの時間に本を読んでいたが、魔王は部屋に入ってくるとリアを膝の上に抱きかかえた。
「リアが慣れてくれれば止めてもよいのだが、まだまだ婚約者らしい振舞いには見えない。 互いに想い合っているところを見せる必要があるのだから。――頑張ると言ってくれただろう?」
そう言って再びリアの頬に口づける。顔が引きつったが、喉まで出かかった文句はぐっと飲みこむ。
魔王はあれからリアに触れることが多くなった。婚約者らしい振舞いとはお互いが望んだ婚約だという雰囲気が重要だというのだ。イスビルに縛り付けるため便宜上に婚約者にしたとエメルドに認識されれば、元も子もない。招待した貴族から情報が伝播する可能性もあるのだから、お互い想い合って婚約したと国内の貴族に認知される必要がある。
もっともらしい言い分だが、楽しそうな魔王の様子にリアは半信半疑だ。
膝の上に横抱きにされて、髪を撫でるだけでなく指先に口づけされる。鳥肌が立つほどの嫌悪感はないが、落ち着かなくて逃げ出したい気分だ。
(そもそもこの状況、完全に流されている。このまま一気に結婚まで話が進むなんて可能性だって無きにしも非ずでは……)
異世界に召喚されて最初の目標は生き延びることだった。魔王が保護してくれなければこの世界、特にイスビルで無事でいられたとは思えない。その思惑はどうであれ魔王には感謝しているのだが、好きかと言われればそれはまた別の話なのだ。
基本的に魔王はリアに甘すぎるぐらい優しいし、好意を寄せてくれている。時々怖いこともあるが、それは心配によるものだったり、リアが自身を粗雑に扱うという理由からだった。見た目も経済力も申し分ないのに、恋心を抱かない自分はどこかおかしいのかもしれない。
(そもそも恋愛経験がないから比較ができないか。あちらでは人を好きになるどころじゃなかったから――っ?!)
うなじ辺りにピリッとした痛みを感じて、思考が拡散した。
「上の空だな。何を考えている?」
(顔を合わせていないのに、何で分かるんだ?!)
魔王に体の向きを変えさせられて視線が合えば、目元が不機嫌そうに細められている。
「ちょっと心配になって……」
何でもないと誤魔化したくても魔王には通じないだろう。曖昧に語尾をぼかしたが、紫水晶の瞳は先を促すようにリアを見つめている。
「環境の変化とか立場とかいろいろ変わって……何ていうか気持ちが追い付かないみたいな?」
考えていたのは別のことだが、その言葉に嘘はなかった。婚約なんてお金持ちにしか縁のないことだと思っていたのだ。
そこまで考えてリアは大事なことを見落としていることに気づいた。
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