第29話 指輪の重み
左手の薬指が重い——物理的な意味ではなく、精神的な意味でだ。
手をかざすと光に反射して一層輝きが増す指輪を見てため息が出た。宝石に見惚れたわけではなく、なし崩し的に受け取ってしまったことに対する後悔のために。
魔王は構わないと言ってくれたが、好意を利用することに抵抗感がある。他に返せるものがあれば良いのだが、魔王の役に立つことも差し出せるものも持っていない。不釣り合いの指輪を一旦外そうと引っ張るが、ぴったりと指に収まってびくともしない。早々に諦めて、ソファーに身を投げ出した。
(そもそも魔王は私のどこが好きなんだ?短気だし言葉遣いも悪いし……子供体型だし……)
ただの気の迷いでプロポーズするとも思えない。だがここは異世界だ。もしかして文化の違いでプロポーズはそんなに大きな意味を持たない可能性だって――。
「そんな訳ないか」
エメルドに対する牽制でもあるのだ。ではなぜ魔王は求婚をしたのかと思考が何度もループする。本で多少のことは学んだけれど、実体験に基づく常識とか文化様式が知りたい。
控えめなノックの音を訝しく思いつつ返事をした。いつもの魔王らしくない対応だと思ったが、それも当然で扉を開けて入ってきたのはステラだった。そのまま扉を閉めたことで、一人で来たのだと気づき、どんな顔をして良いか分からず顔を伏せた。
ステラが来たのは何か仕事があるのだろう。これ以上嫌な思いをさせたくなかった。
「――姫様、この度はご婚約おめでとうございます」
思いがけない言葉に顔を上げると、ステラが労わるような優しい顔でリアを見つめていた。以前と同じような態度に涙腺が緩みそうになる。感情的になりやすい性格だが涙もろくなどなかったのに、甘やかされ過ぎて弱くなっているのかもしれない。
そっと深呼吸をしてステラの様子を窺う。
「もし姫様がお嫌でなければ、おそばに仕えさせていただければと存じます」
「ノア——陛下に何か言われた?ステラがいてくれるのは嬉しいけど嫌な思いはさせたくないよ」
リアの言葉をステラはきっぱりと否定した。
「陛下は私にチャンスをくださいました。姫様は庇ってくださいましたけど、あのような危険な目に遭わせたのは私の不注意ゆえですから」
ステラに非はなく自分の不注意だと口にしたかったが、きっと譲らないだろう。こうやって会話しているだけで嬉しく、リアは別の話題に切り替えることにした。
「どうして名前じゃなくて姫って呼ぶの?」
「陛下の婚約者になられたのですから、恐れ多くて御名をお呼びできませんわ」
ステラは微笑んで答えたが、名前で呼ぶのは不敬に当たると聞いて魔王を愛称で呼んでいるのは大丈夫なのかと心配になる。どうりでヨルンが睨んでいたわけだ。
指輪がさらに重さを増したように感じる。
「あのさ、指輪がぴったり過ぎて外れないんだけど、どうしたら外せるかな?」
何気ない会話のつもりだったが、ステラの顔から一瞬で血の気が引いた。
「姫様!そのようなことをおっしゃってはなりません!」
「何を騒いでいる」
必死の形相で声を上ずらせながらステラが制止の声を上げた瞬間、魔王が姿を現した。
ますます狼狽するするステラを見て申し訳ない気分になった。リアの行動はどうやら魔王に露見してはいけなかったらしい。誤魔化しても多分バレるだろうと思ったリアは素直に答えることにした。
「指輪を外せないかと思った――けど止めとく」
同じような反応を見せる魔王を見て、発言を撤回することにしたが遅かった。
「ほう、外したいのか。ならば代わりに別の物を用意しようか?」
静かだが威圧感を含んだ言葉に思わず後退りたくなる。代わりの物が何を意味するのか分からないが、多分知らないほうが良いことだと本能的に察した。
「外したいっていうか、普段付けていないから落ち着かないだけだよ。婚約指輪なんて日常的に身に付けるものではないし」
そう言うと室内の空気が若干和らぎ、ステラは驚いたように口元を押さえた。
「リアのいた世界ではそうなのだな。だがその指輪は私の想いの証であり、婚約者がいることを明らかにするためのものだ。常に身に付けていてくれ」
「……ごめんなさい」
婚約指輪を日常的に付けるような人が周囲にいなかったから、軽く考えていたが言われてみれば当然だった。婚約を知らない者であっても、指輪の有無で察しがつくというものだ。違和感があるからなんて理由で外そうとするのは、自分の覚悟のなさの表れのようで、リアは素直に謝った。
「気にしなくていい」
そう言って魔王は頭を撫でてくれたが、リアの心は一向に晴れなかった。
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