第27話 婚約

街に出かけてから1週間、リアの忍耐は限界を迎えていた。


「どうした?ああ、新しい本でも用意させよう」

リアの不機嫌さに気づいていながら、何でもないかのように振舞う魔王の態度にかちんときた。


「……要らない。ノア、執務室に行きたい」

「駄目だ。まだ安静が必要だ」


あの後、薬の影響で少し熱が出たが翌日には回復した。それなのに魔王はリアを部屋から出そうとしない。部屋と執務室を往復するだけでも意外と気分転換になっていたのだと、軟禁状態になって初めて分かった。


「拗ねた顔も可愛いが、珍しい菓子を用意したから機嫌を直してくれないか」

困ったような笑みを浮かべながら、さりげなく話を逸らされる。惜しみない愛情表現も居心地が悪く、ヨルンの嫌味ですら今は聞きたい気分だった。


献身的といえば聞こえはいいが、あれから魔王は四六時中傍にいてリアの世話を焼こうとする。度を超えた過保護さには辟易したし、入浴や着替えまで手伝われそうになった時には本気で引いた。その様子を見て、渋々ながら諦めてくれたのだが――。


「ルカ王子のことだけど…」

その名前を出せば、室内の気温が一気に下がったように感じられた。魔王の口元はまだ笑みが浮かんでいるものの、細められた目に剣呑な光がよぎる。


「リアは何も心配しなくていい。二度とあんな真似はさせないし、あれを目にすることもないだろう」

魔王を怒らせたくないためそれ以上聞くことを控えていたが、散々我慢してきたリアとしては今回は引く気はなかった。


「心配になるのはノアが何も教えてくれないからだよ」

「そんなにあれが気になるか?」


冷え切った声に身体が強張る。喧嘩をしたいわけじゃない。ただ何も知らないまま、物事が動いていくのが不安なのだ。

魔王に訴えても大丈夫だと言われるだけで理解してもらえない。そのことがひどく歯痒かった。


「気になるのは王子じゃなくてエメルド国だよ。私がここにいることで、この国にとって不利益になるようだったら――」

「リア!」


鋭い口調に言葉を飲み込むと、息ができないほど強く抱きしめられた。これ以上は聞く気はないと拒絶されているようで、怒りよりも悲しい気持ちのほうが大きい。

召喚されたものの何の力もないからと考えていたが、聖女という存在はリアが考えているより大きいのかもしれないとルカに会って思ったのだ。


思い込みが激しい男だったが、無理やりにでも連れていかれそうになってリアは認識を改めた。聖女という存在自体が、利用価値の高いものなのかもしれない。

そうすると自分が魔王の傍にいることが正しいことなのかと考えるようになった。


(たとえばエメルドがイスビルに攻め入る大義名分を与えることにならないか?)


自分が原因で戦争が起こる可能性に気づいてぞっとした。魔王がリアに何も伝えてくれないのは、それが理由だからではないか。

どうすることが正解なのか、考えても答えは出ずただ苦しかった。


控えめなノックの音に、魔王が入室を促すとステラが入ってきた。リアと顔を合わせようとせず、話しかけてもくれなくなった。魔王がいる時以外に部屋に来ることはない。自分のせいで処罰されそうになったのだから、関わりたくないと思われても仕方ないが、唯一の話し相手を失ったのはつらかった。


ステラから小さな箱を受け取ると、魔王はリアの前に跪く。

嫌な予感がした。


固まるリアをよそに魔王は真剣な表情でリアを見上げた。

「リア、生涯愛すると誓うから私の伴侶になってくれないか」


差し出された箱には一粒のダイヤモンドを中心に小さなピンクダイヤをあしらった指輪。

「っ!」


魔王から目を逸らしたくなったが、ぐっと堪える。本気で求婚してくれているのが分かったから、リアも向き合わなければ失礼だろう。

カフェで選択しなければと決断したのに、結局のところ何もしなかった自分が情けなくなる。

ずっと好意を伝えながらも押し付けることなく、魔王が曖昧な関係性を続けてくれていたのだと今更ながら気づいた。


「ごめん……。受け取れない」

そんな真剣な想いにリアは応えることができなかった。


「リアは私のことが嫌いか?」

「嫌いじゃないよ。でもノアの好きとは違う」

魔王だって分かっているはずだ。それでもあえて言葉にするのは、この関係性に終止符を打つためなのだろう。


(もう一緒にいられないのか……)

そう思うと心の奥がぎゅっと苦しくなる。


リアの生活は魔王の好意の上で成り立っている。求婚を断っておいて傍に置くはずもなく、城から出ていくことになるだろう。


身勝手なこの感情も不安から派生しているのだと思えば、自分の醜い部分を思い知らされるようで、ますますたまらない気持ちになる。

視線を合わせることが出来ず俯くリアだったが、魔王はリアの手を取り握りしめた。


「ほんのわずかでも好意を持ってくれるなら、受け取ってくれ。そうすればエメルド国にも誰にも手出しなどさせない」

懇願するような響きに思わず魔王を見ると、その顔から切実さが見て取れた。


「……どういうこと?」

「本気で頷いてくれるなら最良だが、急かす気はない。だが争いを避けるならリアの立場を確立させるのが必要だ」


今のリアは「異世界から召喚された聖女」と認識されているが、魔王と婚約すれば「魔王の婚約者」という立ち位置に変わる。聖女のままであれば召喚したエメルド国に身柄の確保を主張されるが、婚約者という立場であればどちらの結びつきが強いかは明白だ。また婚約者であれば将来王妃になる可能性が高いとみなされ、イスビル内でもそれなりの地位が確立される。


「リアが聖女になることを拒んでもエメルドは聞き入れないだろう。それよりも私の婚約者になるほうがまだましだと思うのだが」

押し黙ってしまったリアに魔王は淡々とした口調で続ける。


魔王の婚約者になりたいと願う女性は多いだろう。整った顔立ちにすらりとした体躯、身分も高く守ってくれる力もある。今回の婚約は対外的な意味合いが強いというが、魔王からの好意は明らかでリアは素直に頷けなかった。


「ノアを、利用するのは嫌だ」

「リアにならどれだけ利用されても構わない」


愛おしそうに手の甲に口づけすると、魔王はそのまま指輪を薬指にはめる。望んでいないはずなのにリアはその手を振り払うことができなかった。


「大切にしよう——私の愛しい婚約者」

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