第25話 優しさの理由

——ひどく嫌な夢を見た。

悲しく重苦しい痛みを引きずりながら、目を開くと天井が見える。


「リア、気分はどうだ?痛みや不調があれば教えてくれ」

ベッドの傍で真剣な表情で見つめる瞳にぎゅっと胸が締め付けられる。


「ノア……」

口の中が乾いていて気持ち悪い。また心配を掛けてしまったと罪悪感が芽生え、謝罪しようと開いた口からは別の言葉がこぼれた。


「ノアは、私が聖女だから優しいの?」

驚いたように目を見開く魔王を見て、自分が何を口走ったのか自覚するとともに後悔した。


(肯定されたらもうここにはいられないのに……)


それでも言葉にしてしまった問いかけは取り消せない。耳を塞いでしまいたくなったが、その前に優しい言葉が降ってきた。


「私がリアに優しくするのは愛しく思っているからだ。リアの歓心を買って好意を得たい。――幻滅するか?」


髪に触れる手つきはどこまでも優しくて、その言葉が嘘だとは思えなかった。飾らないまっすぐな言葉は夢の残滓である不安や諦観、そして悲しみを溶かしてくれて目頭が熱くなる。これほどまでの好意を向けられたことなど今までなかったから――。


(私がずっと望んでも得られなかった言葉だ)


「……お水が飲みたいです」

それを聞くなり魔王ははすぐさま部屋から出て行った。リアはそれを確認すると毛布を頭からかぶる。


(あれ告白だったよね?!)


ペット以上の好意を向けられることは分かっていた。それでも種族が違うのだし、珍しさゆえに面白がっている可能性はずっと否定できずにいたのだ。だが魔王の言葉はリアの想像よりもずっと真摯で重い。


自分の失言とそれに対する返答を思い出して、リアはベッドの中でじたばたと悶えた。顔の火照りが治まらないまま、ぐるぐると頭の中で反省する。


(いくら嫌な夢を見たからと言って!ああ、もう私の馬鹿!!)


自己嫌悪で頭がいっぱいになったが、その原因になったのがエメルド国王子であることに思い至った。そもそもあの王子が勝手なことをしなければ、こんなことにはならなかったのだ。


ルカから聖女のイメージを押し付けられて腹が立った。たとえそれが無知や王族の傲慢さからであっても、誘拐されて貢献しろなど堂々と言える厚かましさに苛々するし、人の話を一切聞かずリアの態度を勝手に決めつけ、挙句の果てにまた攫われかけたのだ。


(あの王子、結構ヤバい人間の部類に入るんじゃないか)


自らの正しさを信じ、悪意を感じられないのがわりと怖い。妄信的で人の意見を受け入れられない人物は何をしでかすか分からないところがある。

魔王が来てくれなかったら、今頃どうなっていただろうか。


(いや、そもそもあの王子はどうなったんだ?)


そんな疑問が浮かんだ時、魔王がステラと共に戻ってきた。ステラの顔色は真っ青で今にも倒れそうになっている。


「ステラ?」

大丈夫かと声を掛ける前に、ステラは床にうずくまり額づかんばかりに頭を下げた。


「申し訳ございません!」

「飲めるか?他にも色々用意したから、好きなものを選ぶといい」


状況が分からず魔王を見るが、魔王は気にした様子もなくリアに水を渡してくる。

この状況を無視できるのかと呆気に取られたが、魔王はステラをわざと無視しているようにも見える。


「ステラ、顔を上げてよ。謝られるようなこと何もなかっただろう」

無言で頭を下げ続けるステラの代わりに、答えてくれたのは魔王だった。


「カフェと書店、いずれも未然に防げるものであったのにリアを危険に晒した時点で侍女失格だ。本来は処罰の対処で二度と城に置くことはないが」

魔王は一旦言葉を切って、リアの顔を見るので、慌てて首を横に何度も振った。


「…今回だけはリアの意見を尊重して厳重注意とする」

「寛大なお言葉、心より感謝いたします!」


ステラのせいではなく、自分の不注意と短慮から起こった出来事だった。王であるノアベルトが決めた処遇に口を挟めるものではないが、軽はずみな行動をした自分は何も罰を受けないことが悔しかった。

退出するステラに声を掛けることも出来ずにいると、魔王は躊躇いがちに押し黙ったリアの手を取った。


「怒っているか?」

魔王に怒っているわけではなく、無言で首を振った。


「魔力を使ってしまったから、何もなかったことにはできない。エメルドが絡んでいるから尚更だ」

「王子はどうなったの?」


「……気になるか?」

いつもより低い声は、不機嫌な気配を帯びていたがリアは構わず頷いた。


「――多少怪我を負わせたが、逃げおおせたようだ。リアの安全が優先だったからな」

「ごめんなさい。……陛下、助けに来てくれてありがとうございます」


「逃げたかったのではないのか」

尋ねられて初めて今まで一度も考えなかったことに気づいた。逃げても行く当てがないということもあったが、魔王が大切に扱ってくれるからそんな気持ちになることはなかったのだ。


「働かないのは嫌だけど逃げたいとは思ってないですよ。むしろルカ王子からは逃げたいと思いました。あの人思い込みが激しすぎて怖いし、私は絶対聖女になんてなりたくないです」


「そうか」

魔王は何故か少し困ったような顔をして、リアの頭を撫でた。それが気にかかって顔を上げるが、先程と打って変わって魔王は悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「リア、また言葉遣いが戻っている。お仕置きだな」

「えっ、だってあれは外出用でしょう?!ちょっと待っ―」


そんな抗議をものともせず、魔王はリアの身体を引き寄せると瞼や額、頬など至るところに口づけを落としたのだった。

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