第17話 お出掛け
森を抜けると一気に視界が開けた。道は舗装され馬車のスピードも緩やかになる。
「ご主人様、お嬢様、お疲れ様でした」
ドアが開いて声を掛けてきたのは、ステラだった。御者の隣に座っていたらしいが、まったく気づかなかった。どれだけぼんやりしていたのだろう、とリアは少し落ち込んでしまう。
馬車から下りると遠くから賑やかな音が聞こえてくる。高らかな呼び込みの声や、威勢のよい掛け声から街の活気が伝わってきて、沈んだ気持ちが瞬く間に浮上してきた。
(せっかく念願の街に来たのだから、楽しまなきゃ損だ!)
「リアの行きたい場所に行けばいい」
これからどうするのかと視線を向ければ、そんな言葉が返ってきた。
とはいえ初めての場所なのだから、何があるのかも分からない。もっと事前に本で情報収集しておけばよかったと思っていると、ステラが助け舟を出してくれた。
「このまま大通りに出れば色々なお店がありますから、散策しながら気になるお店を回ってはいかがでしょうか?」
土地勘のありそうなステラが同行してくれるのは心強い。喜んでステラの後に付いて行こうとしたら、背後から腕を引かれた。
振り向けば魔王の顔はどことなく不満そうに見える。
(うん?何でだ?)
「リア、約束しただろう。私から離れてはダメだと」
「えっ?傍にいるじゃないですか?」
驚いてそのまま答えると、すっと目が細められる。どうやら怒っているようだが、リアには原因が分からない。すぐそばにいるのに離れるなと言われても、どうすればいいのだろう。
「……どうして怒っているのか分かりません。――お出かけは取りやめですか?」
ワクワクしていた気分が一気にしぼんでいく。期待していただけに落胆は大きい。
「怒ってなどいない……リア、おいで」
差し出された手を取ると、そのままぎゅっと握られた。俗にいう恋人繋ぎというやつだ。
「へ——ノア、これって……」
「こうすれば、はぐれる心配もない」
迷子になるような年齢ではない、と反論しかけてぐっとこらえる。魔王の言葉の意味がようやく理解できたし、いくら言っても過保護な雇用主は納得しないだろうと思ったからだ。何しろ手が届く距離が近くにいるという認識なのだから――。
街の活気は想像していた以上だった。綺麗に整備された街並みは見通しが良く、道路の端々ではバザーのように路上で陶器や布などの売買が行われていた。甘く香ばしい匂いにつられて顔を向けると、とある屋台の前に人だかりが出来ている。
「ノア、あっちに行ってみたい」
「もう少しだけ待てるか?」
何をと疑問に思ったのも束の間、屋台の脇からステラが出てくるのが見えた。どうやら既に購入済みらしい。行動が早すぎるのはステラが優秀な侍女だからなのか、それともリアの考えが想定内なのか、どちらにせよ望みが叶ったので文句はないのだが若干気になるところだ。
「お嬢様、こちらはウィッケという最近評判のお菓子です。果物入りとチーズ入りどちらがよろしいですか?」
両手にある紙包みからは薄く色づいた生地とクリームが見えて、クレープのようなものだろうと推測する。
「うわー、どっちも美味しそうで迷う…」
「両方食べればいい」
それは流石に食べ過ぎだ。身体を動かしたくて外に出たのに本末転倒だが、城外に出る機会なんてめったにないから、食べないという選択肢はない。
「そうだ!ステラ半分こしない?」
ステラの笑顔が強張った。思い付きを口にしてしまったが、こちらの世界ではマナー違反なのかもしれない。
「私がもらおう」
魔王はステラから菓子を受け取り、片方をリアに差し出した。
甘いものを食べているところを見たことなかったため、苦手なのだと思い込んでいたのだ。そもそも魔王のお財布から購入しているはずなので、自分が買ったものを他人に分け与えられるのは不愉快だっただろう。リアは素直に謝ることにした。
「甘いもの、嫌いなのかと思ってた。勝手に分けようとしてごめん」
「普段は食べないが、苦手ではない」
(確かにたまに食べたくなるものってあるよね)
納得して渡されたウィッケを一口かじる。甘さ控えめのクリームにさくさくした軽い歯ごたえの果物が入っていて美味しい。
「気に入ったようだな。こっちも食べてみるといい」
口元に差し出されるが、さすがに外で食べさせられるのは人目が気になる。
受け取ろうとするが片手にウィッケ、もう片方は繋がれたままだから難しい。
「いいよ、そっちはノアが全部食べて」
どんな味か興味はあるが、一つ食べられたので十分だ。
「…ではリアが……いやリアの持っているほうを食べたい」
魔王はそう言うなりリアの手元に顔を寄せる。いつもより近い距離に妙に緊張するが、食べやすいようウィッケを傾ける。
「甘いな」
そう呟く表情はどことなく嬉しそうに見える。それがとても珍しくて、リアはつい声を掛けた。
「気に入ったなら、もっと食べる?」
魔王が屈まなくてよいようにリアは手を伸ばして口元に差し出した。
魔王は一瞬目を丸くしたが、何も言わずにウィッケをかじる。その様子に何となく嬉しいような、くすぐったいような気持ちになった。食べさせられるのは恥ずかしいが、食べさせる側だとそうでもないし、相手が喜んでくれるなら悪い気はしない。
(陛下もこういう感覚なのかな)
ペットにおやつをあげる時の飼い主の心情に近いものがある。正直なところ今の仕事はリアの倫理観からはギリギリで楽しいものではないが、雇われている以上ある程度雇用主のニーズを満たさなければとは思っている。何もせずにもらうだけの状態は居心地が悪い。
だから再び魔王からウィッケを差し出された時、リアは素直に口を開けた。魔王の満足げな表情から、どうやら正解だったらしい。
ペットという役割に順応しているようで複雑な心境を抱えつつ、リアは口の中に広がる甘さと僅かな苦み——葛藤を一緒に飲み込んだ。
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