第16話 呼び方
魔物の王国であるイスビルは、広大な領地内に小規模な街が散らばって出来ている。小規模な街が多いのは、部族間の縄張り意識の高さや文化の違いによりいざこざを避けるためだ。小さな独立した集団ゆえに多様な文化が生まれる土壌となっていた。
互いに物の売買や流通のためにある程度の交流はあるが、必要がなければ多くの交流を求めない。集団を好まない魔物、特に獣形や異形の者は森林や洞窟を住まいとしている。
そんな中、魔王城がある城下町はそれなりの規模で栄えており、交易の中心であるため多種多様な種族が集う場所でもある。
用意された書物の中には、元の世界とは違う文化や生活、食べ物などリアの興味を引くものがたくさんあった。そんなことに目を向けられるようになったのは、この世界で生きることを受け入れるようになったからだとリアは思っている。自分がこれから生きていく世界を知りたいと思うのは自然なことだった。
「リア様、ご機嫌ですね~」
いよいよ街に出かける日となった。実は楽しみ過ぎてなかなか寝付けなかったことは秘密である。遠足前の子供みたいで少し恥ずかしいので、黙っておく。
「本日のお召し物は、初めて逢引きをする令嬢の初々しさをイメージして作製してみました!」
「どういうイメージだ、それ……」
ツッコミどころが多すぎて追いつかない。脱力するリアをよそにステラは嬉々として着替えの準備をしている。
落ち着いた青緑のワンピースにレースをあしらった襟と胸元に添えられた白いリボンがアクセントになっていて、清楚な雰囲気だ。いつもよりずっと動きやすいが、何となくお嬢様学校の制服といった感じで微妙に居心地が悪い。
制服フェチという言葉が浮かんで慌てて打ち消す。これはステラの趣味のはずだし、この世界に果たして制服があるのかも疑問である。
朝食を終えると早速出かけることになった。
「リア、絶対に私から離れては駄目だ」
過保護な雇い主はくどいぐらいに念を押してくるので、その都度きちんと返事をする。せっかくの外出許可が取り止められてはたまらない。
「はい、陛下」
「……ノアベルト、いやノアと呼べ」
確かに身分が丸わかりになるような呼びかけは避けるべきだろう。
「承知しました。ノア様」
「敬称や敬語も必要ない」
ヨルンがすごい形相でこちらを見ているが、他ならぬ魔王本人からの希望なのだから不可抗力というものだ。魔王からのくどいぐらいの念押しやヨルンの不機嫌そう雰囲気に、うんざりしたリアは早々に出発したくなった。
「ねえノア、まだ出発しないの?」
そう呼びかけると魔王は口元を押さえて視線を逸らす。
「あ……すみません。城下での話でしたね」
「全く問題ない」
急にタメ口で話しかけられて驚いたのだろうと思って詫びたのだが、食い気味に真剣な表情で否定された。
魔王の反応のツボがどこにあるのか相変わらず読めないが、本人がそういうなら大丈夫だろうとリアは深く考えないことにした。
内門に着くと漆黒の馬が繋がれた馬車が用意されていた。
立派な幌や座席に目を奪われたものの、すぐに違和感を覚えてよく見ると、馬だと思った動物にはユニコーンのような角が生えていた。
「陛下——じゃなくてノア!あの子たちは何という動物なの?」
うっかりいつも通りに呼びかけたら、眉を顰められた。隠さないといけない身分とはいえ、まだ城内にいるのだから大目に見て欲しい。
「魔馬という魔獣だ。野生の場合は獰猛だが、成獣になる前に調教すれば従順で大人しい。……触れてみるか?」
動物は好きだし元の世界でも馬に触れた経験もなかったため頷くと、手を引かれて魔馬の元へと向かう。
間近で見るとかなり大きく迫力がある。日の光に当たって輝く毛並みと穏やかな瞳から大切にされていることが分かる。馬に不慣れだと驚かせてしまうことがある、そう聞いたことがあるので手を出さずにいると、目の前の魔馬が前足を折ってうずくまった。
突然の行動に目を丸くしていると、魔王が落ち着かせるようにリアの頭を軽く撫でた。
「リアが触れやすいようにしたのだろう。撫でてやればいい」
鼻先に手を近づけ敵意がないことを示してから、首のあたりを撫でる。しっとりとした人よりも高い体温が伝わってきて、何故か目頭が熱くなる。
(これ以上考えちゃ駄目だ!)
無垢な動物の眼差しから遠い過去の思い出がよぎり、リアは反射的に目を逸らす。視線を感じて誤魔化すように笑みを見せると、魔王は何も言わずに馬車へとエスコートしてくれた。
(変に動揺してしまった……。すっかり忘れていたのにこのタイミングで思い出すなんて最悪だ)
一度だけ家族と一緒に出掛けた動物園での出来事は思いのほか深く記憶に残っていたようだ。
馬車は思ったよりも早いスピードで森の中を進んでいく。魔獣は普通の動物より能力が高いとあったが、知力だけでなく体力もそうなのだろう。窓の外を見るふりをして、これ以上不審に思われないようそっと息を吐く。
泣きそうになっていたことに、魔王は気づいていた気がする。そう思うと気恥ずかしくて顔を合わせづらい気持ちもあった。街に着けばそんな態度を取り続けるわけにはいかないが、少し落ち着く時間が欲しい。
リアの願いを叶えるかのように無言のまま、馬車は町へと進んでいった。
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