第14話 上書き ~ノアベルト~

いつもの執務室のドアが重く感じられたのは、自分の心境を反映しているせいだろう。音に反応して顔を上げるリアの目に涙はなかったものの、気まずそうに視線を逸らされた。


乱暴な行為に腹を立てているならまだ良かった。大人しいのは傷つき怯えていることの証左のようで、胸が締め付けられる。

出会った時に惹きつけられたあの真っ直ぐな瞳は、もう失われてしまったのかもしれない。


「陛下」

なじられるのは仕方ないが、泣かれるのは辛い。それでもノアベルトは黙ってリアの言葉を待った。


「すみませんでした……。浅はかだったと反省しています。今更こんなこと言っても遅いのは分かっていますが、不快な思いをさせて本当に申し訳ありません」


思いがけない言葉に一瞬心が揺らぐが、すぐに思い直した。恐らくリアは自分の機嫌を取ろうとしているのだろう。もしくは逃げ出すための機会を窺うために大人しく振舞っているのかもしれない。


「エメルドに行きたいか?」

「……………陛下が望むなら」


反応を見るために敢えて告げた言葉に思いがけない反応が返ってきた。顔は伏せたままだったが声に力はなく、ぎゅっと丸めた拳はまるで何かを堪えているかのようだった。


「私が何に対して腹を立てたか、理解しているか?」

「我儘を言って陛下を困らせたからです。それに諦めさせるための方便を真に受けて——軽率な真似をしたから……」


(本当に分かってないのか)

苛立ちの原因はリアの過去への嫉妬なのだが、そのことに思い至らないようだ。


聡いはずなのに感情の機微には疎い、というよりも色恋に関しては不得手なのかもしれない。口づけをしたことがあると言っても、経験が豊富なわけではないのだろう。

先ほどまで胸の中に渦巻いていた重く激しい感情が、少しだけ和らいだ。


「それは理由ではないが、リアはまだ分からなくていい」

「え…、じゃあどうして?陛下に嫌な思いをさせたくないから教えて欲しいです」


秘密だと告げるとリアは残念そうな顔をしたが、それ以上何も言わなかった。原因が分からないから迂闊なことを口にしないのだろう。

初めて見せる表情とその慎重さに免じて、今回だけは特別に見逃してあげようという気になった。


「リア、私も謝らなければ。先ほどは乱暴なことをしてすまなかった」

「えっ……いやあれは私が悪かったので」


「だから上書きをさせて欲しいのだが、構わないだろうか」

「……上書き?」


きょとんとした表情を浮かべていたが、手を顎にかけると即座に理解したようで顔が真っ赤に染まる。


「だ、駄目です!」

「何故?私はリアに嫌われたくない。怖かっただろう?」


「それは——もう大丈夫です。上書きなんかしなくても全然平気です」

「大丈夫だ。今度は優しくするから」

「そういう問題じゃなくて――」


軽く音を立てて啄むようなキスをした。リアが硬直してしまったのを良いことに繰り返し軽く口づけをして、唇を舐めた。


「~~もう十分です!二度としないでください!!」

顔を羞恥に染めながら叫んでも迫力がないどころか可愛いだけだ。口元が自然と緩む。


「陛下!何で笑うんですか!?」

少しぎこちないが、元の状態に戻りつつある。今はまだそれでも良い。だが多少意識させることは必要だろう。


「もっと練習が必要だな」

「練習なんていらない!したら本気で怒りますからね!!」


即答するリアを見て笑うと、力いっぱい睨んできたがすぐに不貞腐れたようにそっぽを向いた。


(そんな態度も可愛らしい)


男として意識させれば警戒し距離を置かれる危険もあるが、この関係をもう少し進めたい。打算だろうが、無意識だろうが嫌われまいとする態度はノアベルトを安心させた一方、更に深く求めてほしいという欲求が強くなってしまった。


リアの機嫌を取るための甘い菓子を用意させながら、ノアベルトは次の甘やかし方を考えていた。

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