第12話 軽率な行為

「陛下、失礼します」

お茶を飲んでいると、いつもより硬い表情を浮かべたヨルンがやってきた。


「エメルド国が使者をよこしました。要求は聖女の返還です」

「っ!」


リアは驚きに息を呑む。自分をこの世界に召喚したエメルド国だが、あれから一ヶ月以上経っており、もはやリアのことなど気に掛けていないのだと思っていたのだ。


「……ふざけたことを」

魔王の周囲の空気が凍り付きそうなほど冷たくなっていくのは比喩ではない。思わず身震いしたリアに気づいて、魔王は漏れ出た魔力を抑えた。


「すぐ戻るからいい子にしてるんだぞ」

表情を和らげ、惜しむように頭を撫でて立ち上がる魔王をリアは慌てて引き留める。


「陛下、私も行きた――」

「リア?」


名前を呼ばれただけで拒絶の意思が伝わってくる。


「邪魔はしません。会談の場所でなくても少し話をしたいのです。それに当事者である私がいた方が優位に物事を進めやすいのではないですか」


気づかない振りをしてまくし立てるが、魔王の表情は険しくなっていく。最近はずっと柔らかい雰囲気だっただけに、その落差が恐ろしい。

だがリアとて素直に引く気はなかった。エメルドの訪問理由が他ならぬ自分のことで、今後の身の振り方にも大いに関わってくることなのだ。そして何より——文句の一つでも言ってやらないと気が済まない。


(勝手に召喚して放置したこと、絶対に許さないんだからな!)


小さくため息を吐いた魔王は、おもむろにリアの唇に触れてゆっくりと指でなぞった。


「そんな強請りかたでは聞いてやれないな」


その仕草にどういうことを求められているか、察しがつかないほど純粋ではない。魔王が本気でないことはその態度から分かっていたが、子供扱いされていることを感じてカチンときた。


魔王の襟元をつかむと、背伸びをしてほんの一瞬、自分の唇を魔王に重ねた。


「なっ!?」

珍しく狼狽した様子の魔王に溜飲が下がる思いがした。いつも自分ばかりペースを狂わされているのだからとつい調子に乗ってしまった。


「ふふん、子供ではないのだからキスぐらいしたことありますよ。これで会わせてくれ——?!」


乱暴にソファーに押し倒されたと気づいた時には唇を塞がれていた。驚いて声を上げようとするが、ますます深くなる口づけに押さえ込まれる。


自分の上に覆いかぶさる身体を押しのけようと足掻いてもびくともしない。角度を変えて何度も交わされる激しい口づけに、息苦しさから涙があふれてくる。

それに気づいているはずの魔王はそれでも執拗なほどリアを追い詰める。


(苦しい……もう、限界――)

意識が遠のきかけたころ、ようやく魔王はリアを解放した。


涙で視界がぼやけて魔王がどんな表情をしているのか分からない。魔王はそのまま無言で部屋を出て行ってしまった。

起き上がって涙を拭うと、心臓の鼓動が激しく手は汗でぐっしょりと濡れていた。


(陛下を怒らせちゃった……)

キスをされる直前に見た紫水晶の瞳には確かに怒りが宿っていた。


「っ、やり過ぎた……」


冷静に考えれば、あれは挑発ではなく諦めさせるための方便だったのだろう。召喚したのはエメルド国とはいえ、今のリアの雇用主兼保護者は魔王である。きちんと身の程を弁えて大人しくすべきだったのだ。


(幼稚で軽率な振る舞いに嫌気が差したかもしれないな)


魔王はこれまでリアの嫌がることはせず、約束を守ってくれていた。それなのに自分の目的のためならあっさりとこれまでの態度を翻し、リアから触れたことが魔王の不興を買ったのではないだろうか。


触れられることをあんなに嫌がっていたから、魔王は慎重にリアに接していてくれていたのだ。リアの行動はその好意を無下にするのに等しい行為だったと言える。


異性に対する欲を向けられることを嫌悪し、相手の歓心を買うためにおもねるような態度を取ることも不快に思っていたのに、あんな行動を取った自分がひどく汚い人間に思えてくる。


(魔王にも軽蔑されたかもしれないな……)


嫌な想像がどんどん膨らんで、胸が苦しい。この苦しさが未来への不安によるものなのか、魔王に嫌悪されることなのか、その時のリアに考える余裕はなかった。

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