第8話 出逢い ~ノアベルト~

結界が一瞬揺らいだ。


異質な気配を感じて辿っていくと、一人の少女の姿があった。

緩やかにカールした黒髪に見たことのない服装、床に座りこみ呆然とした様子に、思い当たることがあった。


「……またか」

異世界から召喚された聖女。初めてその存在を目にしたのはノアベルトがまだ魔王になる前のことで、今回で2度目だった。


純真そうな少女だが、自分が生贄として召喚されたなど知ったら悲しみと絶望に襲われるにちがいない。それならば早々に終わらせてしまったほうが余計な苦痛を与えずに済む。

今回は随分と幼く見えるせいか、すがるような眼で尋ねる少女にほんの少し憐れみを覚えたのだが、それは僅かな間だった。


「あ゛?誰が小娘だ、気安く触ってんじゃねえよ!」


か細く不安に揺れていた声が、低く乱暴な口調に様変わりしていた。可憐に見えたその容姿からは想像できないような激しさが宿った瞳は真っ直ぐで、とても美しかった。

様子を見てみようという気になったのは、媚びることも怯えることもないその態度が珍しかったからだ。


ヨルンが説明している間に燃えるような瞳は落ち着きを取り戻していた。直情的ではあるが裏表のない性格らしく、結果として城に侵入したことに対しても丁寧な態度で詫びる。どうしたものかと思案しかけたところに告げられた少女の提案は興味を引いた。


命乞いのために哀願する者は少なくない。だが少女が労働力を対価として交渉を持ちかけた咄嗟の判断力からは聡明さが窺える。


目の前の少女からは魔物が忌避する聖女としての力は感じられない。実際にないのかもしれないし、いつか覚醒するかもしれない。その脅威を思えば生かしておくことは、何のメリットもないはずだった。


それなのに名前を尋ねたのは半ば無意識のことだった。


「……リア、です」

名前は個人を認識する大切な記号だ。自分の中で瞬く間に存在感が増していき、もはや処分を命じる気はなくなっていた。


訝しげなヨルンの表情に気づかない振りをして、執務室に戻る。

少女の顔を思い浮かべて声に出さずに何度も名を繰り返せば、その響きに心地よさを覚えた。


報告書に目を通していると、ヨルンが食事を運んできた。


「あの娘はどうしている」

「物置の片付けを命じました。あとで様子を見に行きます」


元の世界から召喚されて負担が掛かっているだろうに、そのまま働きづめであるという事実に今更気づいた。小柄な身体は生命力に溢れていたが人の子は脆い。その事実を思い出せば、少女の様子が気になって仕方がない。


自分に用意された軽食を手に取り、立ち上がる。

「私が見てこよう」

「陛下?!」


咎めるような響きに視線で不快を表すと、ヨルンはそれ以上言葉を募ることはなかった。わざわざ魔王である自分がすることではないと、分かっていながらも気になるものは仕方ない。


(リアを雇い入れたのは私なのだから、気に掛ける義務がある)


する必要のない言い訳で自分を納得させていることにノアベルト自身は気づかなかった。

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