第7話 処分
魔王はリアの顔を見るなり、立ち上がって近づいてくる。
正直なところ非常に気まずい。
罵倒したこと、足を踏んだこと、物を壊したこと、謝らないといけないことが山ほどある。その中には謝りたくないことも含まれているが、多少我慢してでも頭を下げなければ命が危ういかもしれない。
「怪我をしたのか?」
その言葉に驚いて顔を上げると、魔王の視線はリアの右手に注がれていた。
ガラスの破片が掠めたらしく、人差し指に血が滲んでいた。ヨルンの登場でガラスを振り回す必要もなくなったので、これぐらい大したことではない。
「いえ、大丈夫です」
「ヨルン、何があった」
見張りの兵士に絡まれ、身の危険を感じたリアが暴れて物を壊したことなどヨルンは公平かつ簡潔に説明した。
一方的に非難されるかと思っていたリアは少し安堵した。襲われかけたことを自分で上手く説明できる自信がなかったのだ。だがそれも束の間のことだった。
「――処分しろ」
取り付くしまもないような冷えきった声が聞こえた。
威勢の良い啖呵を切ったくせに、与えられた仕事もこなせず、暴言を吐き、騒ぎを起こしたのだから当然といえば当然だ。だが希望を断たれて目の前が暗くなるような感覚に、力が抜けてリアはその場に座りこんでしまった。
(頑張ってはみたけど駄目だった…)
生きることを第一に考えるのなら、何をされても耐えれば良かった。リアの行為は命よりも自分の矜持を優先した結果なのだ。ちっぽけな自尊心だが、他者におもねり生き延びることはどうしても嫌だった。それが出来るのならば、元の世界でもリアはずっと生きやすかっただろう
(やっぱり私は駄目な子だな……)
目元が熱くなったが、ぐっと我慢する。今更我慢する意味などないのかもしれないが、涙を流して同情を誘う真似はしたくない。
「どうした!どこか痛むのか?――触れるぞ」
俯いた顔の前に差し出された手に思わず身を固くする。掛けられた言葉を理解するより早く、とっさにその手を払いのけた。
「――小娘が!」
「ヨルン、下がれ」
咎めるようなヨルンの声に被せるように魔王が静かに命じる。
ドアが閉まる音が聞こえても、リアは顔を上げられずにただ床に座り込んでいたが不意に身体が浮いた。
(嫌だ!)
抱きかかえられたのだと分かり、咄嗟に突き飛ばそうとするがしっかり抱え込まれていて身動きが取れない。
「離せ!触るな!」
触れられることがたまらなく怖くて不安だった。殺される前に汚されるのか、暴力を振るわれるのか、嫌な想像ばかり膨らんでいく。
ぱさりと音がしたかと思うと不意に視界が暗くなり、柔らかいものに包まれた。
(これは、……毛布?)
抵抗を止めると、布越しに背後をそっと撫でられる。思わずびくっと身体を硬直させるリアに静かな声が落ちて来る。
「大丈夫だ、リア。何もしない」
繰り返し、宥めるように告げられる言葉に恐怖が薄れリアは徐々に落ち着きを取り戻した。
どのくらいそうしていただろうか。毛布をかぶせられ子供のようにあやされているこの状況を理解し、顔が一気に熱くなった。
(これじゃまるで駄々を捏ねる子供みたいじゃない!恥ずかしすぎるだろう!!いや、でも処分するとか言っていたのに、どうしてこうなったんだ!?)
このままでは酸欠になってしまう。とりあえず毛布から顔を出そうともそもそしていると、目の前が明るくなった。
顔を上げると至近距離で紫水晶のような瞳と目が合った。
「っ——すみません」
羞恥心から俯きながらも何とか謝罪の言葉を口にした。
「謝らなくていい。落ち着いたか?」
「はい……。あの、陛下はどうして、気遣ってくださるのですか? 私を処分するとおっしゃっていたのに……」
魔王の眉間に皺がより、険しい顔に変わる。
「そんなことしない……。誤解させたか。あれはリアに危害を加えようとした者への処遇についてだ。すまなかった」
詫びの言葉を口にする魔王に驚きつつも、思わず安堵のため息が漏れる。
「いえ、私のほうこそ……取り乱してしまってすみませんでした。それに物置を片付けるはずが余計に散らかして、物もたくさん壊してしまって、本当に申し訳ございません」
兵士たちの処罰についてリアが口を出すことではないし、自分だけが助かったことに罪悪感を覚えることもない。だが自分がしたことの責任をなすりつけるつもりはなかった。
「そんなことは気にしなくていい」
魔王はそう言ってリアの頭に手を伸ばしかけて、何かに気づいたように空中で止めた。
「今日はもう休め」
そう言うなり魔王はリアを毛布ごと抱き上げた。
そのことに何も思わないわけではなかったが、先ほど散々暴れまわり迷惑を掛けたこともあって大人しくしておく。魔王がリアをベッドに下ろし出て行くと、リアは枕に顔を埋めた。
「疲れた……」
一人きりの空間にリアの声がぽつりと落ちる。
死にかけたことも、異世界に来たことも、これからのことも、考えることは山ほどあるがこれ以上はキャパオーバーだ。目を閉じれば魔王の顔が脳裏に浮かぶ。
(陛下は悪い人じゃないかもしれない……。少なくとも今は気遣ってくれた)
毛布越しに宥めたり、頭を撫でかけて止めたのはリアが触るなと言ったからだ。パニック状態になったときも律義に断り、必要以上に触れることもなかった。
(だからこのまま眠ってしまっても大丈夫だろう)
そう思ったリアはそれ以上考えることを止めて、眠りへと落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます