第三話:マリー=ルー②
「おはようございます、シャギさま。今日は町を見回りがてら、教会へ向かいましょう。」
ベッドの上で薄く目を開いた。
隣で椅子に座り、顔を覗き込む白髪赤眼の少女、ラビが告げる。
寝ぼけ眼に鮮烈な容姿。窓から差し込む緩やかな日差し。
平和で静かな日常、を錯覚する。そんなことはないとわかっていながらも。
目を擦り、まったりと掠れた声でシャギは言う。
「そういえば仲間になってくれる人がいるとか言ってたな?」
「ええ。町一番の賞金取りの方です。」
町一番の賞金取りを想像する。
でかい。でかくて筋骨隆々の、髭を生やした大男。大酒呑みの大飯食らいで、自分の体くらいある大剣かアックスを振るう。きっとそうだ。
ひとしきり想像を終えたところで、起き上がり身支度を整える。
冷水で顔を洗えば、頭は完全に覚醒した。
宿に礼を言って、建物を後にする。
町、というのがどういうものかの想像はつかないまま、そこを目指して馬を引いて歩きはじめた。
─ひとつ目の町にて─
宿から数十分歩くと、石畳で舗装された道が出現した。まずそんな道は、シャギの故郷にはなかった。
町へと入る門をくぐれば、そこはまるで異国の地。きれいに舗装された道とレンガの家、広場の噴水、きれいに着飾る町人。
華やかな花壇には色とりどりの花が整列し、鳥のさえずりと活気ある商人の声。
「すげえ…これが町か!」
想像も及ばなかった光景に浮足立つ。故郷には土の地面と草原しかなかった。
畑や牧場しかなかった。
こんな光景があるということを、少しも知らなかった。本当に小さな世界で生きていたことを知る。
目的の場所へと向かう間、町の色々な所を見て歩き、いざ目的の教会へと到着。
そこでも故郷との乖離に驚嘆する。
「村にも教会はあったが、もっとこうぼろくて小さかったぞ…。」
「シャギさまの反応を見るのがラビは楽しいです。」
真っ白な柵が教会の敷地を一周する。建物も白を基調としており、今は静謐としてい る。ここにも鮮やかな花が整列し、白い建物を鮮やかに彩った。
「…この中にその賞金取りが?」
「ええ。」
「よし、行こうか。」
「ええ、行ってらっしゃいませ。」
「?? ラビは来ないのか?」
「はい、ラビは行けません。」
「わかった。冒険者と名乗り、旅に同行してくれるかを尋ねればいいんだな。」
「その通りです!くれぐれもお気を付けください。」
「よし…じゃあ、」
教会の門を抜け、扉を開くまでの数段の階段を登る。そしてドアノブに手をかけた、その時──
「シャギさま──!護って!タイバー!」
ドドドドドッ──
5発の銃声が静寂に打ち響く。
瞬時、目の前に展開される黒い魔法陣。
シャギは衝撃で体を弾かれ、階段下へ転げ落ちる。
「なに!?いきなり…!」
立ち上がり砂をはらう。
(中に何が…)
扉には突き抜けた銃創。静かに近寄り、僅かに体をずらしながら、恐る恐る扉を開ける。
何も反応はない。硝煙立ち込める、開いた扉の合間に立つ。
建物へ足を踏み入れようとしたとき──
「それ以上踏み込むな!」
凛とした、鈴のような声。
「魔族の末裔が、神聖な領域を汚すことは赦さない。」
そこにいたのはシスター。大きな銃を構えじっとこちらを睨みつけている。
銃身はシスターの身長の半分ほどはありそうだ。
「待て、なんのことだ?俺は人間だ!」
ここから一歩でも踏み出せばすぐに発砲してきそうなほど好戦的だ。
冷汗がつたう。
「去りなさい!ここで殺生はしたくない…!」
「退きましょうシャギさま。」
シャギの手を引くのは、門の前で待機していたはずのラビ。
ひどく体調が悪そうだ。
「魔族…!」
再度の発砲。一度の砲撃。
突如目の前に現れたのは黒い装束。
反撃しようとしているのか。
「攻撃してはだめ、タイバー…!」
シャギとラビを包み込んだ球体の魔法陣。
発砲された弾丸が消滅していく。
恐怖の色を見せつつ、敵意を剥き出しにするシスターが見えた。
しかしもう一度銃を構える。すぐにでも引き金を引くだろう。どうする、どうすればいい。
その一瞬の間。
「おやめなさい、マリー。」
その手を止めるのは神父。
「しかし…!」
「彼は勇者だよ。見誤ってはいけない。」
渋々銃を下ろすマリー、と呼ばれたシスター。
神父はシャギとラビを見て、去るように視線で促す。
気が付けば黒装束はもういない。どこかに消えていた。
ラビはシャギの手を引き一目散に教会から走り去る。
「くっ…勇者など…。」
「君は勢いが良すぎる。」
「お
神父はただ、彼らが走り去った先を見つめていた。
やみくもに走った。知らない町の知らない道を。
駆け抜けた。逃げた。
よくわからないまま逃げ出した。
なぜ急に武器を向けられたのか。なぜ急に敵意を向けられたのか。なぜ自分たちは、魔族と言われたのか。
ラビは俯いたまま走り続ける。何かから逃避するように。ひた走る。
「待て、ラビ。」
走り続ける、ラビにその声は届かない。
「ラビ!」
聞こえていない。何があったというのか。攻撃されたのが怖かった?敵意を向けられたことが怖かった?
とはいえ、あまりよくない状況だ。
避難できそうな路地が目に入る。
一度落ち着かせなければ。
軽く立ち止まり、ラビの手を上に引く。
急にかけられた後ろ向きの力にバランスを崩したラビはそのまま足が浮いた。
それを後ろからホールドし抱え上げる。
人気の少なそうな路地へ連れ込み、壁に背中をつけさせ両肩を掴む。
目が昏い。顔が蒼い。息が苦しそうだ。走ったから程度の不調には見えない。
「ラビ、ラビ!見て、俺を見て。落ち着いて。もう、大丈夫。」
ゆっくりと呼吸が落ち着いてくる。目の光が戻ってくる。
多少は落ち着いてきたようだ。
「どうしたんだ、一体?」
「すみません、取り乱しました…。あの、あまり体調が…宿に行ってもいいですか。」
シャギは頷く。とりあえず今日はもう安静にしたほうがいい。
適当なところで宿をとり、ラビをベッドへ寝かせた。
だいぶ顔色はいいようだ。
「よかったら聞かせてくれないか。どうしたんだ?」
言い淀むように唇を噛み、目を潤ませた。
「教会が…苦手で…あと…タイバー…あれを使ったから…。」
「タイバー…あの黒い影のことか?」
ラビは頷く。
そういえばあれ以来、タイバーが近くにいる気配はない。
あれとラビとの関係性は何だというのか。
「今日はもう休め…。また明日、これからのことを考えよう。」
ラビはただ頷き、目を閉じた。
どうやら眠ったらしい。
とはいえ、まだ陽は高い。
シャギは眠るラビを残し、一人町へ繰り出した。
明日以降のことは明日考える、として、シャギはラビの言っていた懸賞クエスト、そしてその資格の話を思い出す。
午後はクエストについてを調べに行こうと考えた、が、その前に。
朝に訪れた教会、そこにいた神父だ。
彼はこっちが何も名乗らずとも、シャギを勇者の血筋であることを見抜いた。
しかも無駄のない立ち居振る舞いや呼吸の仕方。武道に見を置いていたシャギにはわかる。
あの神父はおそらくなんらかの武道の手練れ。
シャギはもう一度神父を訪ねてみることとした。
うろ覚えながら道を辿る。でたらめに走ったが、意外と道を覚えてるもんだなと思う。
辿り着いた、つい先程訪れた場所。
まずは敷居を跨がず、柵の周りから様子をうかがう。
先ほどぶち抜かれた扉はまださすがにそのままにされている。
教会の出入り口とは死角になる場所に潜伏して観察する。大きな教会には見えるが孤児院等は併設されていないようだ。
潜伏して数分後、玄関から誰か出てきた。
先ほど急に攻撃を仕掛けてきたシスター、マリーだった。
何やら大きな荷物を持ってどこかへ出かけるようだ。
これ幸いと、シャギは遠ざかるマリーの背中を見送り、完全に見えなくなるのを待ってから、もう一度改めて教会を訪ねた。
銃弾五発分の穴。見るからに大口径の銃創。当たっていたら怪我どころでは済まなかっただろう。
あの黒を纏った人物に助けられた、その瞬間を思い出す。
思い出しながら、ドアノブを捻り、押し込む。歪んだ音を立てて開扉。外壁こそ塗装をし直したりしてはいるが、内装は随分と年季が入っている。
木造でシンプルな、あちこちが朽ちかけの聖堂。奥の壁にはステンドグラスが嵌め込まれており、一段高い祭壇には青銅の像が立っている。
その中には件の神父の姿はない。
一度外に出て裏庭へまわる。そこには、花壇の手入れをする神父がいた。
気配に気付いた神父は顔を上げ、声をかけてくる。
「あぁ、来たか。よく来たな、少し話をしよう。」
「うーん。起き上がれない。」
ベッドで横になるラビ。その体は鉛のように重く、指先の一本すら自力で動かせる気がしない。
目は冴えた。それなのにまるで体は自分のものではないみたいに言うことを聞かない。
シャギが不在であることを幸いとして、この先について思案する。
「しくじった。いろいろミスった。このままじゃ非常にまずい。」
ラビットとタイバー、元は同体。
同じ核、魔力源を共にする、魂を分かつだけの極めて稀有な存在。タイバーは肉体を持たない。魔力塊とかエーテルとか、そう呼ばれるものとほぼ同じ存在。本来なら自律できないはずのもの。
普段は肉体、核の持ち主であるラビットに主導権があり、タイバーへは存在するに足るだけの魔力を供給することで均衡を保っている。
ラビットの内包する魔力はそう強大なものではない。とはいえ白魔導師として修練を積み、魔術を使いこなせる程度の魔力は備えている。
タイバーはラビットに生かされている。生かすも殺すも全てはラビットの匙加減、だが、文字通り匙加減を誤ればラビット自身が喰われかねない。自分の身を滅ぼしかねない。
今回はその匙加減を誤った。
敵意は気付いていた。明らかな攻撃の意思にも。というか、あれは警告でもあったと思う。わかりやすい殺意を向けて、立ち去るなら追わず、立ち入るなら排除する、というわかりやすい警告、であるはずだった。だからこそラビットは油断していた。
当然わかっているだろうと思っていた。
シャギはそれに気付いてか、はたまた気付いていなかったのか、なんの躊躇もなく扉に手をかけた。
腰に提げた剣に手をかけることもなく。
その瞬間は心底焦った。ラビットは単体では戦闘できない。しかも教会という不利なフィールドで。ひどく焦って、慌てて、無防備な彼を護らなければと、瞬時に呼び寄せたタイバーに瞬間的に過剰な魔力が流れてしまった。
それから魔力の供給を断とうと思っても、あれは遠慮なくラビットの魔力を喰っていく。吸収していく。
白と黒、同じ魔導師でも魔術を発動するために必要な魔力量や質、密度が異なる。
無論黒魔導師は、強力な攻撃魔術を扱う分多量の魔力が必要となる。戦闘に出るならば、ラビットの内包魔力では到底補えないほどに。
微妙なパワーバランスで保っていた均衡が崩れ、今にも枯渇しそうで、不安定になった魔力を補わなければ共倒れとなる。
自前での生成にもう間に合わなくなっている、その分の魔力をどう賄うのかは明白だった。
「何百年と経ちましたが、一番の失態です。お父さま、あなたならこういうとき、どうするのですか?…いいえ、とにかく、どうにかタイバーを止めなければ…。」
人間なら、この流出を止めるのに数人必要になるだろう。ラビットが数人喰えば、この事態に収拾をつけることができるという話。
だがタイバーは、おそらく自分が存在するために外部から魔力を摂取し続ける。肉体と核を失ってもなお、生きたいという自我だけで生まれ出た存在であり、きっとあれには、ラビットから搾り出された生きたいという感情しかない。
生きるための捕食と言うには、それはあまりに残酷に思えた。
「さて問うが、君は魔族か、人間か?」
シャギは首を捻る。
生物にはすべて、植物、四つ足の動物、虫、人、魔族、そのすべてに、
核は"魔力"と呼ばれる、主に身体・精神機能をブーストさせる、基本不可視のエネルギーで、生命における奇跡の産物、と言われているそうだ。
核で生成された魔力は体中を這う、とされている回路を循環し、許容量を超えて使わなかった分の魔力は自然に体外へ排出される。
この魔力は、肉体と魂を結びつける役割をしており、一般的に魔術等を使えない人間であっても、生命維持に必要なだけの微量な魔力を有している。
核は種族により性質が異なり、その質量や密度もまた種族、あるいは個体によって差や相違がある。そのため多くは、異種族間で生殖しても子を成すことができない。
逆を言えば、核の性質は種族ごとに概ね同じ形体をしている。
極稀にか、魔導師や神職として修練を積んだ者はその生物の核や生成する魔力量を目視することができる。
今隣にいる神父は、タバコの煙を薫らせながら、極めて異質な核を持つ勇者の血族、その末裔に問いを投げた。
「答えられないか。ならばその核の指し示す通り、君は魔族寄りの人間、いや、魔族でも人間でもない、"何か"ということになる。そこに存在はするが何にもなりきれない、中途半端な異形だよ。」
妙に癪に触れる物言いだった。嗅ぎ慣れない煙のにおいが鼻をつく。
何も知らなかったことがショックなのか、何も教えてくれなかった父に腹が立つのか、何も学んでこなかった自分を悔いているのか、神父の言葉に神経を逆撫でされる。
表情も、声音だって静かだ。
それが余計に無性に、心をチクチクと刺してくる。
興味がなかった。何にも。どうでもよかった、勇者なんて。なりたくなかった、静かに暮らしたかった。はずなのに、あの時、湧き上がる衝動を抑えることができなかった。あの夜、明確に魔王への殺意を覚えて胸が熱くなった。
そうして家を飛び出した。何も知らないまま。
「俺は一体なんなんだ…?」
「さあね。君が自分が魔族だと認識するなら、君は私が排除すべき敵となる。」
自分がどっちなのか、自認レベルでいいというなら。
自分は人として生きてきた。一片たりとも自分が魔族だなんて思ったことはない。今の今まで一度もない。
人として十八年間生きてきた。
そんな現実を急に叩きつけられたって、一体どう腑に落とせばいい。
考え込んでいる隣で神父は、深く、煙交じりの息をつく。
「君は本当に父親に似ているな。顔だけ。」
その一言に顔を上げると、神父と目が合った。
相変わらずタバコを咥えたままの生臭神父が、微笑む、なんて綺麗な表情ではないが、眉を八の字にして口の端を吊り上げて、困ったように笑っていた。
「親父を知ってるのか…?」
「私は過去君の父さんが魔王討伐に行った時のパーティメンバーだった。君の父さんは少なくとも、君よりもずっと剛毅だったよ。」
シャギの肩を小突きながら、君はなよなよしているな、しかし顔は父親より端正かもしれない、最近の若い子という感じだ、等とまくし立ててくる。
それから。
「まあだからね。君は間違いなくあの勇者の息子だ。だから本質は同じだろう。あの人はね、だったらそれがどうした!俺は俺だ!…ってさ。そんなんでいいんじゃないかね。」
「…励ましてるのか?」
「そうさ。そうやってこれからも、旅を続けていけばいいんじゃないか?自分探しの旅も兼ねてさ。」
シャギは立ち上がり神父を振り向く。一言礼を言って教会を立ち去った。
どうやら旅に同行するのはこの人物ではない。
不思議と心が軽く感じた。
何かが解決したわけでも明瞭になったわけでもないのに、自分の冒険が始まったことにほんの少し、胸が躍った。
「まあ、言えないよなあ…。こうやって何代も同じ道を辿ってきたんだ。つくづく悲運な一族だよ。しかしあいつ、結婚して家庭を築けたんだな。」
立ち去る背中を見てひとりごちる。
その背中に、かつて共に旅をした勇者の面影が重なった。
午後になってシャギは予定通り、クエストを発行、掲示しているという場所へと向かう。
アーケードになっているその場所は市場や露店が立ち並び、住人や商人の活気であふれていた。
その奥で、そこだけがひっそりとした雰囲気のドアがある。他の店舗にドアはない。
近づいてみると、『クエスト掲示』と『資格取得可能』の文字。
どこか重々しいその扉、わずかに躊躇しつつもドアノブを捻り、中へ押し込んだ。
室内は、今まで感じたことのない異質な雰囲気が漂う。
入ってすぐにカウンターがあり、クエスト受付が複数と資格取得がひとつ。
奥にはテーブルや椅子がいくつか設置してあり、何組かのパーティがいる。受付待ちか、精算待ちの人たち。
さらに奥の壁一面には所狭しとクエストの要員を募る張り紙が掲示されている。
クエストにはランクがあり、ランクが上位であればあるほど命の危険が大きく、その分リターンも大きい。
最下層には草むしり、なんていうのもあるが、そういったクエストはかなり安価だ。
また、クエストを請け負うに資格証の提示が必要となる仲介業者の場合、資格証に定義付けされたランク以下のクエストしか請け負えない、というのが原則となる。
正規に請け負ったクエストをこなしていくと、資格証のランクが上がったりする。
主に資格証は、大きな町で仲介業者が運営している施設で取り扱われることが多く、小さな町や村については資格証の提示不要でクエストを請け負うことのできる場所も多い。
無論、資格証の提示をしない非正規のクエストについては実績にはならない。
正規の場合はマージンが高かったり、非正規の場合はほとんどマージンを取られなかったり、あるいはぼったくられることもままあるので見極めが必要となる。
資格取得時の初期ランク分けについては、誰もが同じスタートライン、というわけではない。多様な観点から総合的に判断され、初期のランクが決定される。
重要な判断軸は三つ。家柄・経歴・保有する核。
資格証を取得するため経歴書に記入するよう指示があったため、言われた通りに記入。
家系:勇者
職業:冒険者
経歴:なし
そんな経歴書を提出したものだから、受付から怪訝な表情で見られていた。
しばらく室内で待機するように言われたので、奥に貼りだされているクエストを眺める。そこにはE~Aクラスのクエストが掲示されている。
下層クラスには、草むしりや迷い猫、家出人探し、低ランク害獣(魔物含む)駆除等がある。
上層クラスに行くと、ダンジョンの破壊・殲滅、若者が男女ともに行方不明となった事件の究明、ドラゴンの鱗の採集等、確かに命の危険の大きいクエストが多々あった。
ここにきてシャギは、自分の腕試しをしてみたいと思った。自分の力が現時点でどれほどで、果たしてその剣は今どれくらい魔王へ届くのか。
同時に、魔物との戦い方の鍛錬を、実践を通して積んでいきたいと。
数十分ほど経ったところで、シャギに声がかかり、別室へと通された。
ここで核を計測する、とのことで、石造りの椅子に座らされた。
そして冷たく硬い椅子の上、目隠しをされ、手首足首を拘束された。
計測には痛みを伴うようなので、心するようにと告げられる。
「ッ──!」
首筋に何か、太い針のようなものが刺されたような、皮膚を切り裂く鋭い痛みを感じた。
数秒も経たずに、意識が混濁して、声も出せない。
(何をされた…?)
一分も経たない間に、シャギは意識を失った。
「おはようシャギ!といってももう昼だけど。」
よく見知った故郷の、自分の家の、敷地にある庭。
炎天下、突き抜ける青い空、穏やかな風。平和で、緑の香り深い、自分の生まれた村。
白い服、麦わら帽子を被って洗濯物を干す、ひとつだけ年上の、婚約者の女。
忘れるはずもない、災厄が訪れる前日の、最後の平和な日常。
誕生日の前日だった。ひとつ年を重ねる日に、合わせたように災厄は降りかかってきた。
彼女は長く艶のある髪を靡かせながら、ガラス玉のような青い瞳を細めて微笑む。
白い肌は太陽光を反射して、きらきらと煌めいているように見えた。
彼は、彼女と結婚する予定だった。
どうして、いつ、そうなったのかはよく思い出せない。
愛も恋も、彼はよくわかっていなかった。
でもきっと、彼は彼女が好きだった。彼女も彼を好きだった。
それだけでよかった。
はつらつな彼女がまぶしい。
こてと、小首を傾げた彼女。何も言わず、呆けて立っている彼に、どうかしたのかと近寄っていく。
わかっている。これは現実ではないことくらい。
遠くでは子供のはしゃぐ声が聞こえる。耳障りな鳥の鳴き声も聞こえる。馬の蹄が土を踏む音、あの夜に鳴り響いた地鳴りの音も。
近寄ってきた、彼女を抱きしめる。肩に顎を乗せてくる、彼女がどうしても愛しく思う。
髪を撫でる。強く肩を抱く。崩壊していく、視界の端に、赤い空、燃える家々、瓦礫と血と肉と、悲鳴、絶叫。
もう、少しだけ、彼女を抱きしめていたいのに。
「ね、待ってるから、わたしを助けてね。」
手をぬるりと滑る赤い血。
彼女の首筋からは鮮血が噴出している。
肉が抉れている。
骨が見えている。
目から、口から、血を垂れ流し、座らない首で虚ろにまどろむ。
「うわああああああああ!」
叫んだ。
またあの夜の悪夢を見るのか。
まとわりつく嫌な湿気、こもる熱がやけに現実的でえずく。
助けられたはずの彼女すら、腕の中で燃え盛る炎に包まれて崩れていく。
どうしてこんな光景をまた見せられなければいけない。
膝をつき項垂れる、彼の周りを魔物が取り囲んだ。
こんなのは現実じゃない。だってそう、彼は数百年繰り返してきたこの惨劇に終止符を打つために魔王を討つことを決意した。
──何が来たところで俺の敵じゃない。
強く鼓動する。
ここは現実の世界ではないし、おそらく力量を量るための何かしらの試練。
彼は、シャギは思い出す。
たった一度抱いた強い怒りを、魔王へ抱いた
『そうだ、怒れ青年よ、それがお前の原動力だ。』
声に振り返る。
そこにいたのは、長髪で、角の生えた、身長の高い…ほどほどに筋肉質な、牛の顔、ではなく端正な顔貌の人間の顔をした。
「魔王…?」
妄想だと思う。実際には知らないはずだから、おそらくこれは想像の姿。
それでもいい。なんでもいい。
怒りを爆発させる。
「斬る!!」
勇者の剣を抜刀。激しい稲光のような閃光と衝撃波が巻き起こる。
ただこの剣を件の魔王に突き立てて、粉微塵に破壊する。再生など、二度とできないくらい。
ただそれだけの意志で。
切っ先を向け、トップスピードで突っ込む。
かの魔王はよける気配もない。
奥歯を噛む。叫び声をあげる。
勇者の剣はまっすぐに、魔王の心臓へ突き刺さった。だが、まるでその手応えは、ない。悲しいほどに、剣で空間を刺すのと何ら変わらなかった。
見上げれば、魔王はひどくきれいな顔で囁いた。
「そんな剣では、魔王には届かない。まるで足りないね。」
ずるりと抜けた、剣が地面へ、音を立てて落下する。
血の一滴も、流れてはこなかった。
魔王はすうと消えていく。微笑みだけを残して。
取り囲んでいた魔物が一斉に襲い掛かってくる。
彼はもう一度剣を握る。
諦めることはしなかった。
一体一体、魔物の腕を、足を、首を斬り剣を突き立てる。そのたびに、魔物を斬る重みが彼の体力を奪っていく。
応戦するも数が多すぎた。
敵を相手にしながら何か、手立てはないかと思案する。
辺りを見ると、村が燃えていた。あの時と同じように。
思い出した。旅に出ることを決断したときに燃え上がった怒りを。
怒りは衝動となり、勇者の剣さえ支配したことを。
怒りを燃やせ、闘志を燃やせ。
「そうだ、燃えろ!」
修練なし、詠唱なし、儀式・魔法陣、触媒なし。
高火力の炎はすべての魔物を焼き尽くした。炎の中、もがき苦しむ魔物達の姿を見た。生物を数秒足らずで、灰にしていく炎の中心で、勇者の剣を握る彼はひとり、ただ立ち尽くした。
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