第一話:災厄にさよなら
青年は目が覚めた。
目覚めたばかりというのに息は荒く、体は汗が滴る。暴れる鼓動を鎮めるように深呼吸。
窓から強い日差し。手で目を覆う。昼時にも差し迫ろうかという陽の高さに、深呼吸のついでにため息を漏らす。
汗でぐっしょりの寝間着が気持ち悪い。特に下半身。年頃の男、さすがに何かはわかる。
軋む木製のベッド。緩慢に起き上がり、部屋を出る。
浴室に向かう途中、窓の外からははしゃぐ子どもたちの声。夏の虫の鳴き声、穏やかに吹く風。鋭くもある陽射し。よくある、小さな村の平和な光景。
とりとめもないただの日常を横目に、浴室へ到着。暑さも盛りの季節。寝起きの体に少しぬるい水が心地好い。
頭から水を被りながら、さっき見た夢を思い出す。
自分が知らない男で、しかし確実に自分で、知らない女を組み敷いて、その後にあの地獄のような光景を見る。
よく見る夢だが、なぜか最近はその頻度を増していた。
愛や恋はまだよくわからない。女を見て思うことはあれど、それがどんな感情なのかよく理解はできない。はずなのに、ずっと誰かを恋い焦がれている、そんな気がしていた。
ただの夢、そう思って特段誰にも話してはいない、けれど、同じ夢を何度も見て、その夢の中の人物が最近は気になって仕方がない。
思春期というやつだろうか、独り言ち、雑念も流すように一通り水浴びをした。
軽く水気を拭いて服を着る。髪も濡れたそのまま、庭へと足を伸ばす。
外へ出ると、灼けつくような太陽と吹き抜ける風、そんな炎天の下、真っ白な服を着て洗濯物を干す女がいた。
陽の光をいっぱいに受け、足音に振り返った女性は太陽くらい眩い笑顔を見せた。
「おはよう、シャギ。と言ってももう昼だけど。」
脳裏をよぎる夢の中の彼女の姿。それはもはや似ているという次元を超え、まるで投影したように瓜二つ。
だからつい、その名を呼ぶ。
「イヴ…。」
一瞬、世界から音が消える。彼女しか目に入らない。端ではためく洗濯物すら視界にはなく。
夢の中の彼女が、重なる。微笑む彼女が。燃え盛る炎の中で助けを乞う彼女が。
いつの間にか眼前にいた女が、呆けた彼の額を小突けば、欠けていた音や視界が戻ってくる。
「もう、まだ寝ぼけてるの?わたしはレティシア。あなたの未来のお嫁さん。他の誰に見えるわけ?」
いまははっきり見える、見慣れた顔。
片眉を上げて含みのある笑みでぎゅっと頬をつねる。
「いててっ。悪い、たぶん寝ぼけてた。」
たぶんって何よ、レティシアは笑う。
突き抜ける青い空に包まれた彼女はよく笑う、今日はなんだか機嫌が良さそうに見えた。
真っ白なワンピースの下の肌は透き通る白い肌。さらさらの黒い髪を靡かせて、硝子玉のような青い瞳を煌めかせる。
今日はやけに見とれていた、調子が狂うな、心の中で呟いて、濡れた髪をかきあげてみる。
その様子にレティシアは目を丸くして瞼をぱちくりとさせたのち、少し照れた色っぽい表情で目を細める。
その表情に彼は小首をかしげる。
「そっか、もう18歳になるもんね。」
聞こえないくらいの声で小さく呟いた。
ほとんど同い年で、自分よりも背の小さかった彼が、いつの間に随分と身長も追い抜かれていた。完全に声変わりをして、鍛錬を重ねて身体つきもどんどん逞しくなっていく。
このままなにもなければ二人は、二年後には祝言を上げる予定だ。
彼の特殊な家系の出自により、二人は運命を定められている。共に生きることを運命られている。
誰かに言われたわけではない。指示を受けたわけでもない。互いに心が、求めている。結ばれている。
「道場いってくるわ。」
気恥ずかしくなって、踵を返す。その背中に。
「シャギ、明日誕生日でしょ。プレゼントあるからー!」
シャギは軽く振り返り、明日が自分の誕生日であることを思い出す。
「ありがとな、レティ!」
いつもの呼び名。そして手を振り道場へ向かった。
道場へと続く重い扉を開くと、中に男性が一人。シャギを待っていた父の姿。
軽くあいさつを交わすと、「話がある。」と言い、道場のさらに奥にある扉へと誘導した。
奥の扉はいつも固く施錠されていた。シャギは一度だけ父に連れられて入ったことがある。そこにあるものがまさしく、彼の家系をそうたらしめるもの。
それがこの道場の奥に、厳重に保管されている。
それ以来は入ることもなかったし、入ろうとも思わなかった。そこにはそれ以外、何もなかったから。
解錠し、中へと進入する。
少し埃っぽい空気。灯りを点けると、鈍く銀色に煌めく剣。細やかな彫刻が施された鞘。
以前は決して触れないようにと言われていた。
「触れてみろ。」
そう言った父を一瞥する。
恐る恐る手を伸ばした。本能レベルで震え立つ畏怖。
生唾を飲み下す。
間もなく触れる、指先が掠めた刹那、剣はまだ触れられることを拒むように電撃が走り、シャギは体を弾かれた。
「うわっ!」
勢いのまま床に尻もちをついて、父を見上げ睨む。
父は軽く唸り、驚いたように何かを考え込んでいる様子だ。
「なんだよ、これ?父さんも爺さんも、こんなの持てたのか?第一、なんで俺にこれを今…俺は勇者になんて…!」
シャギに目を遣る父。差し伸べられた手を振り払い、自ら立ち上がる。
立ち上がったシャギに、父は告げる。
「いいか、自分の出自を呪うな。だが、魔王はまた復活する。おそらく復活の時は近い。その時どうするかは…お前の自由だ。」
驚嘆した怪訝な表情を浮かべ、なおも父を睨めつける。彼はわからなかった。
そう、彼は代々魔王を討ち滅ぼす勇者の家系に生まれし者。勇者の家系はなぜかずっと、この辺鄙な田舎の村に根を下ろしている。彼もまた、一度もこの村から出たことはない。
そして魔王は、幾度の復活を遂げ、彼の父もまた魔王を討ち滅ぼし勇者として凱旋した。
魔王を討ったと聞いていたから、彼はもう自分が勇者になる道を辿ることはないと思っていた。
思っていた。きっとこの村で平和に、結婚して家庭を築き、生活し、生涯を終えるのだと。
数百年続いた闘争は、先代でもう終わっていたと、そう思っていたし、彼は何を隠そう、勇者になどなりたくなかった。
ただの一度の祝賀もなく、讃えられることもない、隠遁するだけの勇者になど。
初代が構えた広大な屋敷もあちこちでガタがきて、自前で修繕を繰り返しつつも住処としてきたけれど、それでも彼はこの生活を嫌になったことはなかった。
いつも通り父と剣の鍛錬の手合わせをする。入門した子どもたちへ修練の手解きをする。
出自を呪うなという父の言葉が反復する。
もやもやを抱えたまま、その日は寝床についた。
最近はなんだか寝付きも悪かったが特に今日は胸がざわついた。
夢のこと、レティシアのこと、父の言葉、今後の生活。あと少し、外が騒がしい気もする。
考えたくなくて、目を閉じて耳を塞ぐ。
どれくらいそうしていただろう。夢うつつの状態で突如、ドーン、と、響く大きな地鳴りがした。大きな衝撃が遠くからやってきたような地鳴りは山を、建物を、地を揺らした。
村から上がる悲鳴と喧騒。
その時、心臓を握られるような動悸がシャギを襲った。
痛くて苦しくて身動きがとれない。
更に、夢の中で聞く声が聞こえた。
『痛い、苦しい、助けて、アダム、愛してる。』
その声を聞き遂げると、どうにか体が動くようになった。
よろよろと立ち上がり、村の様子を見るためにシャギは外へと繰り出す。
ただならぬ状況なのは明白だ。
「きゃあ!化け物ー!!」
その声を聞き振り返ると、見たこともない魔物が村人を襲っていた。
男女子供問わず、魔物は村人を虐殺、喰い殺していく。
体が芯から震える。戦慄した。
昼間まではいつも通り、あんなに平和で穏やかだったじゃないか。上手く思考ができずに立ち尽くす。シャギが生きてきたこれまで、この村には魔物、と呼ばれる異形など、一匹だって現れたことはなかった。
村の外にはいたのだろうが、勇者の凱旋でこの村は安全だったはずだ。それがいま、どうして、なぜ。
目前で繰り広げられる地獄絵図は、視覚聴覚嗅覚のすべてを犯してくる。たまらず込み上げる吐き気。切り裂かれ噛みちぎられた血肉、臓物、排泄物。
逃げ惑う女を、シャギの二倍はありそうな筋骨隆々、といった青肌の魔物が捕えた。捕らえてすぐに片腕をもぐ。まるで枝を折るように、容易く。
女と目が合う。
見開かれた目を白黒させながら、口から泡を拭き、意識と無意識を行ったり来たりしている。
「いやだああぁぁ、やめてえええぇぇぇ!!」
叫びも虚しく、女の首は半分捻れて、反対側を向いた。
なんで、なにが、なんのために。なんのためにこんなことをする?
恐怖、悲しみ、絶望、握った拳が震える。
そのどれもは違う。
憤っている。彼は、憤怒している。
怒りに震えているのだ。
怒れ、怒れ、もっと。
辺りを見回す。あちこちでは魔導師、と呼ばれる者達が魔物討伐に奔走している。冷静でない頭はその光景に妙な違和感を覚えた。
が、ふと思い出す。
彼女は。レティシアは。どうなっている。
「レティシア!!」
叫ぶとともに走り出す。彼を追う魔物はいない。
走る。ひた走る。彼女の家まではそう遠くない。どうか無事で。
角を曲がる、彼女の家の塀が見えた。ポーチの中、まさにいま、魔物がレティシアを手に掛けるその時であり、間もなく魔物はレティシアの肩に噛み付き肉を食いちぎった。
口や傷口から噴き出す大量の血液。
目眩がするほどの光景に震えたが、考えるが先かシャギは魔物を突き飛ばし、先の尖った木の棒で魔物の心臓を突き刺した。
「レティ!レティシア!!」
シャギは彼女の名を叫ぶ。出血はとどまることを知らずに流れ出る。
月明かり、燃える家々の炎に照らされて、血はどろりと艶を帯びる。
「ねえ…シャギ…誕生日プレゼント…あるって言ったでしょ…。」
そんな状況で、息も絶え絶えに彼女は言う。
「今はそんなのいいから!いいからしゃべるな…!」
「よくないの…ねえ…これ…受け取って…。」
彼女が差し出したのは、血にまみれた大きな宝石のペンダント。
月明かりに照らされて青く光る不思議な石。
シャギはそれをしっかりと握り、どうすることも出来ずに彼女を抱きかかえた。
血まみれの彼女は、月明かりに照らされて微笑む。
「よかった、わたせて、よかった…。」
言い終えて彼女は脱力する。
「レティ…!?レティ!」
まだ僅かに息があることを確認出来た。どうにか出来るだろうか、ここから、魔物達が襲ってくるこの状況から。
放心した、その僅かの間に飛び込んでくる何者かの声。
「よかった!間に合ったみたいですー!」
背後に何かいる。
振り向く。白い装束をまとった少女だった。
「勇者さま!早く安全なところへ!」
敵か味方かもわからない、わからないけれど、もう思考は追いつかない。今にも呼吸を止めてしまいそうな彼女を背負い、なすすべもなくシャギは少女へついていく。
走り去る途中、レティシアの家の敷地境界付近、既に絶命している彼女の両親の亡骸を見た。
なるべく周りは見ないで走った、とにかく走った。
一心不乱に走ってたどり着いたのは、見紛うことのないシャギの自宅にある道場。少女がその扉を開け中へ入る。扉を閉めて、更に奥の扉へと進入した。そこは代々伝わる勇者の剣の保管庫。
中に入り、レティシアを横たえる。絶え絶えではあるものの、まだ息はある。まだ生きている。
すると少女は、横たわるレティシアの胸に手を当てて、呪文のようなものを唱え始めた。
そして少女の手が、淡く発光、レティシアの出血が止まっていく。だが完全ではない様子だ。
「お前、なに…?」
驚嘆したシャギの面食った問いに対し、少女はレティシアから視線を逸らさずに言う。
「わたしはラビット。白魔導士です。わたしがこの方を治しますから。」
ラビットと名乗った少女は懸命に治癒魔術を施しているようだ、が…。
「だめです。わたしの力だけでは治しきれません…。」
シャギの頬を汗が伝う。全身から血の気が引いていく気がした。
「レティは、レティは助からないのか…!?」
「慌てないでください。わたしだけでは、と言っています。」
間髪入れずに返答し、ようやくラビットはシャギを強い眼差しで見遣る。
「あなたは彼女に、命を捧げることはできますか?」
そう言ってラビットは、シャギへナイフをさしだした。切っ先が鋭く光る。
シャギはそのナイフを見て、考える間もなく頷く。
「レティを救えるなら、俺の命なんてくれてやる。」
何をどうするかもまだ聞いていないのに、刃物を見る彼の表情には寸分の迷いもない。
「あなたさまのお心意気、たしかに受け取りました。大事なお方、必ずわたしが治します。」
ラビットはシャギにナイフを手渡し、シャギはそれを受け取る。
「なにもあなたさまのお命すべて頂戴するわけではありません。生命の源、血液を差し出してください。」
シャギは頷いて、手首へ切っ先を当ててそのまま押し込んだ。押し込んだまま勢いをつけて、肘までを切り裂いた。
あまり痛みは感じない。脳が興奮している。痛みを感じる器官がまるで麻痺していた。
あふれる鮮血は、はたはたとレティシアへと滴っていく。
ラビットは少し呆気に取られつつも、治癒を続ける。
「少し踏ん切りが良過ぎますよ、勇者さま…。」
呟いて、冷や汗が一筋。
「大丈夫、あなたさまの傷も治りますから。」
シャギの血液を使用して、レティシアの傷はみるみる治癒されていった。
最後にシャギの腕の傷も塞がり、ラビットはその場に尻もちをついて汗を拭った。
レティシアは生きている、たしかに生きて、寝息を立てていた。
「ありがとうございます、勇者さま。あなたさまのおかげです。」
助けられた。なんとか、レティシアだけは、助かった。
この保管庫にいると外界から遮断されたように外の喧騒を感じない。そんな騒ぎなんてなかったみたいに。
この扉を抜けて、道場を出たら、優しい星空が広がってはいないだろうか。
そんな淡い希望を掻き消して、村の現状を問う。
「村は…村は今どうなっている…?」
「はい、魔物の軍勢約100体ほどが急襲いたしましたが、魔物討伐を生業とする者たちが討伐しております。また夜明けも間もなくですので、これ以上の犠牲はないかと…。」
「状況は…?」
「村は半壊、ほどでしょうか。」
意識しないと震えそうな声で問うシャギに、少女は淀みなく答える。事務的にも聞こえる声音で。
しかしその声は耳から脳へ冷たい清流を流し込むように、思考を冴えさせた。
レティシア宅で倒れていた、彼女の両親の姿を思い出す。
「死んだ者の蘇生はできるのか…?」
「既に絶命している場合はできません。」
はっきりとした返答。言葉を濁されるよりはよかったのかもしれない。
情けなく手が震えている。
次にいうべき言葉を見つけられないでいる。
外では戦いが続いている。あとは魔導士やハンターに任せればよいと少女は言うが、曲がりなりにも勇者の家系に生まれ育ったのに、今こうして震えながら唇を嚙んでいるだけの自分が情けなくて、悔しくて。何が勇者だというのだろう。
「こんなんじゃただの臆病者だ…。」
怖くてしょうがない。魔物と対峙すること、今外の景色を見ることすら。大切な人が傷ついて、死んでいった、その惨状が。
何も守れやしない、代々伝わる剣を握ることもできない。ひどく弱い、小さな自分に無性に腹が立つ。現状も、魔物も、魔王も。すべてに腹が立ってくる。だんだんと怒りがこみあげてくる。
少女はその様子を固唾を飲んで見守る。彼は気づいていないのだ。
レティシアを助けるとき、彼はいともたやすく、それもただの木の棒で今の状態の魔物を圧倒した。それがどれほどのことなのかを。そしてその時の行動原理にすら、彼は気づいていない。
彼は彼の本質を、彼自身が気づいていないことを少女は理解っている。
「レティシア…ごめん…。」
囁いて握った手は、暖かかった。
突如がらりと、背後で扉が開いた。
「誰だ!」
驚いて悲鳴にも似た声を上げる。横たわる彼女を匿うように、瞬時に立ち上がり振り返る。
「動じるな。」
聞こえたのは、聞き馴染んだ父の声。
「こちらも援護に回っていて、間に合わなかった。すまない。」
その言葉を聞いて、シャギは何の感情を優先すればいいのかわからない。
ただ思うことは。父の代も、祖父の代も、魔王が蘇るたびにこんなことを繰り返しているのか、ということ。何度も何度も繰り返して、どうして事前に防ぐことができないのか。
否、おそらく、外で戦っていた魔導士やハンターは、この日を予見して待機していたのだろう。極一部では、魔王復活の時が近いことや、備えが必要であることをわかっていた。だから妙に統制のとれたあの動きができていたのだ、だから急襲にもあれだけの応戦ができていたのだと、そこまではシャギにも容易に想像がつく。
それでも。だからこそ。
「どうしてだよ、何度同じことを繰り返すんだよ!」
魔族と人間、闘争の歴史は知らないはずはない。
魔王が滅んだあとは、魔物は弱体化し、単体では人間にも勝てない個体が多い。
それをいいことに、未だに弱体化した魔物を狩って賞金稼ぎを生業にしている者もいるし、無為な殺生をする者もいる。
その一方で、交易の馬車や旅人は集団となった魔物に襲われ命を落とすこともある。
そんな小競り合いを数十年過ごした後、永い眠りから醒めた魔王は一気にため込んだ魔力を開放し、有象無象の魔物の能力を高め人を襲う力を宿す。
さながらフラストレーションを発散するように。
復活した魔王によって力を得た魔物に人類が襲われ、それをトリガーとして勇者は魔王を倒しにいく。そんなことを、何度、何百年、繰り返してきたというのか。
「そうするしかないから、だ。」
叫んだ、彼に突き刺さる不条理な言葉。
「………は?」
シャギにはわからない。その言葉の意図するところ。問い質したところで、父は首を横に振る。
そうするしかない、など、なぜ人間側がそんな言葉を吐くのか。
何か理由があるにせよ、それは人が死んでいい道理のある理由だというのか。
怒りで冷静ではない思考の中で、落としどころを探す。
「俺にしかできないんだろう。」
いつも魔王を討つことができたのは、彼の家系だけ。どの家も、優秀な騎士団でさえも、それを成し遂げることができた者はいないという。
「シャギ、ここからはお前が決断するのだ。どんな選択をしても誰も何も咎めはしない。だが、その剣はもう、お前にしか握れない。」
横たわり眠るレティシアを見やり、鈍く煌めく剣を一瞥する。
昼間に件の剣に触れようとした時のことを思い出す。
激しい拒絶の渦。皮膚を引き裂かれんばかりの電撃のような衝撃。指先が掠めただけで片腕を持っていかれそうだった。
それを握れば、どうなる?
しかしこの剣を持たなければ、人を、自分の故郷を守ることもままならない、非力で臆病なまま、襲い来る脅威に怯えながら過ごすだけになる。
──いや、違う。そんな理由は後付けだ。
ひとつ、深く呼吸をする。気づく。自分はもう、その剣に触れたくて、握りたくてしょうがないということを。動機なんて単純で、守りたいとか、守れないとか、そんな理由ではない。
「ああ…いいよ…やってやるよ…俺にしかできないんだろ?」
魔族側の事情はどうであれ知ったことではない。大切なものを破壊していった、そいつらが赦せない。憎い。怒りの感情だけ。
「勇者さま…。」
シャギは件の剣へと歩み寄る。平置きされる剣は、ただ静かにそこにある。
彼は手を伸ばす。迷いはない。混乱の根源を、魔王を、殺す。そのために。
剣は再びシャギを拒絶する。
苦痛に顔が歪む、あたりには強風と衝撃、そこにいる人物にすらジリジリとした痛みを感じる。
「もう二度と蘇れないようにたたっ斬ってやる!!」
彼は叫ぶ。感情のままに発露する、解放する。剣と彼との接点から閃光、そして爆風の渦がぶつかり合う。
青い大きな宝石、ポケットに入れていたレティシアから受け取ったペンダントを握りしめる。シャギの勇者の力が目覚めていく。怒りの力が拒絶を飲み込み、指先が触れた。最後の抵抗を見せる剣を、彼は従属させる。支配する。
弱さを捨て去るようにいま、彼はしっかりと剣を握った。
「俺が終わらせてやる。」
怒るしかない。
憎しむしかない。
愛するしかない。
外ではまだ魔物の討伐をする喧騒が続いている。
夜明けはもうすぐそこまで来ていた。
翌朝、用意された馬に跨るシャギ。彼は魔王討伐のため、冒険へ出る。
父はシャギに聞こえないようにラビットに耳打ちする。
「息子を頼んだぞ、ラビット。」
「はい、先代勇者さま。」
ラビットはもう一頭用意された馬のもとへとぴょこぴょこと走り、飛び乗るように跨る。
「お前もついてくるのか?」
その問いに自信満々に答える。
「もちろんです!勇者さまはわたしがサポートします。」
白い装束、白い神、赤い瞳。うさぎのような見た目の少女。シャギはその容姿を改めて、まじまじと見た。数回瞬きをして、前を向く。ラビットは隣で小首をかしげた。
レティシアを思う。彼女は朝になっても目覚めなかったが、その内目覚めるとラビットは言っていた。両親を亡くしたレティシアは、シャギの家に候間することとなる。
家の前に見送りに来ている両親。
「達者でな、シャギ。」
「必ず帰っておいで。あなたの家はここよ。」
強い眼差しで言う母の目には、涙が滲んでいた。
シャギはうなずいて、踵を返す。
振り向きざま最後に見た母は、うつむき涙をこらえているようだった。
村を出る前に見えたのは、結界を張る魔導士達の姿。これで少しの間は安泰を保つことが出来るらしい。それまでにすべてを、終わらせられるのだろうか。
たくさんの遺体が並べられていた。その日の夜に、全員を火葬するそうだ。
壊れた建物、散らばる瓦礫、大量の血痕。
昨夜の忌々しい惨劇がたしかに起こった爪痕。
それらを尻目に、シャギは意思を胸に強く踏み出した。
「魔王の根城までは遠い道のりです。険しい道のりとなるでしょう。」
彼の決意は揺らがない。絶対に自分の代で、負の連鎖を生み出し続けるこんな惨劇は終わらせる。
「ところで、なんか黒い奴がついてきていないか?」
ラビットは一瞬口をへの字に曲げ、まん丸の目を泳がせる。逡巡した後で。
「あれは…敵ではないです。」
訳知り顔の様子のラビットを横目に、敵意がないなら少し様子を見ることにした。
父のおさがりのレザーアーマー、ブーツ、砂色の外套。腰には勇者の剣。
斯くして彼らは馬に跨り、長い旅路へと歩みだした。
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