8度目の人生(4)

 スフィンクスの家は当たり前だが大きかった。砂を固めた堅牢な建物。その正面には石像がある。地獄の神と、天界の神そして女性の石像……。


「スフィンクス……この女性の石像は?」

「あら?今の若い子は知らないのねん。大地の女神よん」

「……大地の女神」


 そんな神がいたとは知らなかった。大地の女神を祀っている神殿もない。聞いた事もない。レーネック独自の神なのだろうか。


「アルノーの剣を作った方よ」

「ジークシュベルトを?」

「そうよ〜。美しい女神様だったのよ〜」

「だった……過去形?」

「神様にも色々事情がおありなのん。人と一緒よん」 


 スフィンクスがウィンクする。これ以上は聞くなと言う事なのだろう。

 私はそれ以上は聞かず、スフィンクスの家に入った。スフィンクスの家は一部屋の広い空間で、一番奥に大きなクッションがあった。どうやらスフィンクスのベッドの様だ。良く見ると猫と睡蓮の刺繍が施されている。あまり上手とは言えない出来だが、愛情が感じられる。


「それねぇ、誰かからもらったみたいだけど、覚えてないのよねぇ。でもあたしのお気に入りなの。これがないと寝れないわぁ」


「少し綻びてるな……」

「そうなのよぅ。寝ぼけて爪で引っ掻いちゃったの……」

「一宿一飯の恩だ。私が縫おう」

「本当!嬉しいわぁ!じゃあ美味しいご飯を用意するわねぇ」


 どうやって用意するのだろうか……そこは疑問に思ったが聞かないでクッション?ベッド?を縫う事にした。幸い裁縫は得意だ。初めの人生で勉強した。


 それにしても大きい……こんな大きなクッションを縫うのは大変だっただろう。

 そんな風に製作者の事を考えながら縫っていく。ティンクが私の周囲を飛ぶ。


「ご主人様……なんだか嬉しそうですね。俺は喰われないかハラハラしてるのに」

「そう?スフィンクスは見た目通りの優しい生き物よ。わたくしは大好きだわ」

「……縫い物すると伯爵令嬢に戻るんですね?」

「――――」

 本当だ。どうも私は自分がしている行動により性格が変わるらしい。と、すれば私とは何だろう。更に悩んでしまう。


 チクチクと縫っている間に日が暮れた。スフィンクスは夕飯に巨大蜥蜴の香草焼きと平たいパン、そしてとうもろこしのスープを用意してくれた。どうやって作ったのだろう。謎だ。

 だけどとても美味しい。特に巨大蜥蜴の香草焼きはふわふわした肉質で、臭みもなく最高だった。もっとも私とティンクが食べたのは本当に少しで、大部分はスフィンクスが食べたのだけど。


 食事の後はお風呂に入った。スフィンクスが入るサイズだ。私が余裕で泳げる。これを一人で使って良いかと思うと嬉しくてついつい泳いでしまった。そう言えば今の私は11歳だ。そんな子供心もあって良いんじゃないだろうか。


 ぱしゃぱしゃ泳いでいると、浴室の外からスフィンクスの声がかかる。パジャマを用意してくれたとの事だ。一通り楽しんでお風呂から出ると、スフィンクスの柄のワンピースタイプのパジャマがあった。思わず笑ってしまった。


「感謝する。久しぶりの風呂はやはり良いな」

「そうでしょう?そのネグリジェも似合っているわぁ。髪が短くてもやっぱり女の子よねぇ。ねぇ、夜の砂漠を見に行かない?今日は満月だから、更に美しいのよん」

 私は二つ返事で了承し、スフィンクスの背中に乗り夜の砂漠へと出かけた。


 真珠のように白く耀く丸い月は美しく夜を飾り、月明かりに照らされた砂漠は昼とは違いどこまでも白く輝いた。花嫁を飾るヴェールのようだと思った。


 私もいつかレオナール様のために、ヴェールを頭に飾る日が来るのだろうか……。

 そう思ったら目には自然に涙が溜まった。いつまで経っても私は足手纏いだ。認めて頂ける日は来ない。何度繰り返しても変わらない。私はレオナール様に愛して頂く事はない。私はこんなに愛しているのに……。レオナール様以外は目に入らないのに‼︎


「恋って辛いわよね」

「……辛いのに……どうして人は人を愛するんでしょう……」

「どうしてかしらねぇ。あたしには分からないわ。でもね……フェリ……あなたは間違ってないわよ。これだけは言えるわ」

「そうだと……良いんですが……」

 スフィンクスの優しい声に溢れる涙が止まらない。


 砂漠の夜の美しさが悪い。私の心の弱さを暴く。

 砂漠の夜の静寂さが悪い。私の心の脆さが露呈する。


 夜の砂漠は私の涙と決意を受け止め、明るく輝いた。この美しさを永遠に忘れないと心に誓った。


 翌日、スフィンクスは砂漠を超え、海沿いの都市シャルム近郊まで送ってくれた。もちろん人から見えない場所だ。


「アルノーちゃん、また来てね。その時にはとびっきりのプレゼントを用意するわ」

「ああ、もちろん又会おう」


 スフィンクスが指を一本出したので、私は両手でその指を握った。モフモフしたスフィンクスの指は温かった。


 スフィンクスと別れシャルムに入る。

 こう言う時に冒険者登録しておくと便利だ。ギルドが発行した身分証で大概の都市には入ることができる。今回の私の身分はA級冒険者アルノーだ。S級は目立つのでやめた。この位がちょうど良い。


 シャルムに入ると潮の香りがした。そう言えば海を渡った先には別の大陸があると言う。興味はあるが今回は諦めよう。


 ティンクと二人で海を眺める。

 

 北の海は灰色で寂しげだった。ピューピュー吹き荒れる北風は強く、冬は厳しい寒さで周囲の景色は白に変わった。人もいなかった。


 東の海は緑色で、朝日を受けて宝石の様に輝いていた。海岸沿いを散歩するのが好きだった。


 南の海は鮮やかな青色だ。白い雲が映える青空に白い砂浜。泳ぐ子供達。私も泳ぎたいと言ったら、ティンクが誰もいなくなったら良いですよ、と言ってくれた。


(誰もいなくなったら海を割ろう)


「ご主人様……昨晩、スフィンクスと砂漠を見に行った時に、スフィンクスにフェリって言われてましたよね?」


「そうか?気づかなかった。話しやすかったから、ついつい本名を言ってしまったかな?」

「だったら良いんですけど……本当に俺がいない時にレーネックに来た事はないんですよね?」

 ティンクは私がレーネックについて詳しいから疑っている。だけど来たことはない。レオナール様と一緒じゃないと来れないと思っていた。


「ないな。だが1番目の人生ではレーネックについては沢山調べた。レオナール様を支えて良い妻になろうと必死だったからな。レーネックを調べている過程でこの海の事を知った。あまりにも美しい海だと思ったから、うまく行けば観光地にできるのではと、思っていたんだ」


「確かにそうですね。この美しい海をレーネックの人しか見れないのは、とても残念ですね」

 私とティンクは日が沈むまで海を見ていた。夕焼けに染まる海も美しかった。


「さて……と、これからどうしましょう。レーネック辺境伯の直轄地トンプルにでも行きますか」

 私達は宿の部屋で話をする。粗末なベッドに薄い布団。隣の部屋の声も聞こえる。路上で叫ぶ酔っ払いの声にも慣れて来た。人は環境に慣れる。伯爵令嬢だった頃には、こんな所に寝る自分を想像した事もなかった。


「いや……もう帰ろう。目的は果たした」

「目的?」


「ああ、ここの海が見たかった。昔から憧れていや夕焼けに染まる海が見たかったんだ」

「……そうですか。では明日、美味しい物を食べて帰りましょう。明日はご主人様の誕生日です。14歳ですね」


「9回目の14歳だな」

「また、間違えた!8回目ですよ」


 ティンクが手を口に当てて笑う。繰り返す人生だ。もう何度目かなんてどうでも良くなる。いつまで繰り返すのか。どこまで繰り返すのか。私の心は疲弊するだけだというのに……。


 もう来ない未来を思う。私にはきっとウェディングドレスを着る日は来ないのだろう。いったい人は何のために生きるのだろう。私はなぜ人生を繰り返すのだろう。


(もう……疲れた……)


「ティンク……今回は先に魔王を倒そうと思う」

「そうですね。もう倒せるでしょうし……そろそろ魔王軍がアダル国に侵攻する時期ですから良いでしょうね」


「アダル国を侵攻してくる魔王軍から救い、聖女として名を馳せてる私……フェリシエンヌに私を勇者として認定させて魔王討伐に向かう。それでこの世界は平和になる」


「ご主人様がご主人様を任命ですか……なんでもアリになって来ましたね。でも今回の身代わり精霊は聖女フェリシエンヌとして活躍して、その名を世界に馳せているので、良いかも知れませんね」


 私は笑って見せる。


 身代わり精霊は聖女として、各国の貧民街に食事を施し仕事を与え、流行り病が起こった地域には積極的に行き、癒しを与え薬を作り、紛争が起これば身を挺して止めに行っていると言う。私では考えつかなかった事だ。さすが精霊だ。私はいつの間に力こそ全てと言う考えが身についてしまったのだろうか。


 レーネックを出てアダル国に向かう。もう後ろ髪を引かれるものはない。私は今度こそ魔王を倒す‼︎

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