第20話

「ム……じゃなく母様!とても綺麗です!」


 城内にある祭壇の前で純白のウェディングドレスに身を包んだムーンは確かに綺麗だ。美しい模様を描きながら長いヴェールが床を彩る。その姿に流石の俺も息を呑む。そういえば今までこんなに平和な人生を歩んだことがあっただろうか。ご主人様の人生は何回も同じ刻を繰り返しているにも関わらず常に殺伐としていた。なんて哀れな人生なんだろう。できれば今回で終わらせたい。それは俺だけでなく、ご主人様もそう思っているはずだ。


「おめでとうございます。こんな美しい方と結婚できるとはヨルダン様が羨ましいですね」

「レオもそう思うかい?ヨルダン様、母様を泣かせたら許しませんよ!」

「肝に命じます」

 ヨルダンが短く返事をして、深くお辞儀をする。彼は腹芸ができない人間だ。おそらく下手な演技を誤魔化すために短い単語しか言わないのだろう。


「フェリったら、お父様になる人なのよ。もう少し優しくして欲しいわ」

 さすがに腹芸を得意とするムーンだ。演技が自然すぎて少し怖いくらいだ。


「私もフェリの母上であるアデライド様を泣かせたら許すつもりはありませんよ。覚悟しておいて下さい」


 レオナール様が言ったアデライドはムーンの名前だ。ご主人様に偽の戸籍を作った際に、サンが適当につけた名前で結婚することになるとは……。

 俺はムーンが気の毒になったので、そっとそのことについて聞いたみたが、「大事なのは気持ちだから」と笑顔で返事を返された。「それに一ヶ月の結婚特別休暇と多額の結婚お祝い金も頂いたのよ?それに比べたら名前だろうが、戸籍だろうが、種別だろうがどうでも良いわ!」そう言って笑うムーンに後悔はなさそうだった。


「レオナール様には婚約者がいらっしゃると聞いたわ。その方とも結婚式を挙げるのでしょう?わたくしを参考にして頂いて宜しいのよ?」


 おっと、ムーンがぶっ込んできた!ムーンは昔からレオナール様との結婚には懐疑的だった。昨日、御主人様がレオナール様への愛が冷めたようなことを言っていたから、ここで追い討ちをかけるつもりだ。

 ムーンの言葉にご主人様の顔色が変わる。


(なんてことを!ムーン‼︎)


「ああ、エルヴェシウス伯爵家の御息女の事ですね。所詮、祖父同士が勝手にした約束ですから、効力はありませんよ。それに私は彼女に興味がない」

「――――――――!」


 ご主人様の体が強張る。その手をギュッと強く結び、唇を噛み締める姿はとても痛々しい。まさかそこまでレオナール様が強く拒絶しているとは知らなかったんだろう。会場の空気が、しんっとして重くなる。


 その空気を壊したのは、ムーンだ。

「そういう言い方をされる殿方は好みませんわ。例え、あなたがそう思っていたとしても、他人がいる環境の中で言うべき言葉ではないでしょう。ましてやこれからわたくしの結婚式が始まるのです。礼を弁えなさい」


「……そうですね。失言でした。私の無礼をお許し下さい」

「ええ、許しましょう」

 ムーンは固まって動けなくなっているご主人様の手を取る。

 

「フェリ……ふたりで話があるのよ。こちらにいらして」

 そのままご主人様はムーンに連れられ、隣にある控室に向かった。俺は慌ててご主人様の元へ向かう。

 なんだかんだ言いながらもご主人様はレオナール様の事が好きだ。絶対に泣いているはずだ!慰めて差し上げないと!


 そう思って控室の扉を叩き、中に入り扉を閉める。

「……ご主人様?」


 ご主人様は笑っていた……。しかもムーンと両手を重ねて跳ねている。


(どういうこと?)


「ティンク!心配してくれたの?」

「どう言う事ですか?ご主人様……」

「ムーンにお願いしていたの。レオナール様に婚約者の件を聞いてって。結果は見ての通り惨敗。こんなの笑うしかないじゃない」


 笑うご主人様の右目からは、涙が一筋あふれて零れた。光を照り返しながら、涙が床に落ちる。もう、全てが元に戻ることがないように。


「お嬢様……誰しもが失恋は体験するものです。結婚してからでは取り返しがつきませんから、早目に分かって正解でした。そう思いましょう。世の中には良い男がたくさん、おりますわ。真実の愛は他の男で見つければ良いのです」


「私が繰り返しの人生を歩むのも、しつこくレオナール様を追いかけるからかしら?」

「そうかも知れませんわ。これまでとは全く違う人生を歩む事で、繰り返しの人生もなくなるかも知れませんわ。そう思うと先が明るくなってきますわね」


「そうね!最後までやり遂げたいから、ジェネロペ学園は卒業するとして、その後は良い男探してでも、しようかしら?私より強い男が良いわね」


 涙を拭きながらご主人様は笑顔を見せる。無理をしている時の顔だ。


「ご主人様より強い男なんていませんよ」

 俺はご主人様に笑って見せながら近づく。今必要なのは冗談を言って場を和ませることだ。他のことを言うべきではない。ご主人様は前回の最後の時を覚えていないのだから。


「あら……ここにいましたわ。お嬢様!」

「ここ?まさか、サンやダークのことか⁉︎ダメです。ご主人様、彼等は絶対に選んではだめです!」

「違います〜。ティンク様の事ですわ」

「「え ⁈」」俺とご主人様の息がぴったり合った。


(あり得ない!俺にとってご主人様はご主人様でしかない)


 ご主人様もそう思っているのだろう。ふたりで笑い合う。それにムーンも参加する。


(ご主人様……本当にレオナール様を諦めてしまうのですか?)


 その言葉を言えないまま、つつがなく結婚式は終わった。


 馬車でレオナール様と共に帰路を急ぐご主人様の顔は、何かを吹っ切ったように明るかった。

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