台湾KOM

 レースの前日、美里と一花と康介は一緒に会場入りした。

 レセプション会場に行くと、報道陣に囲まれたフルールがいた。

 美里に気づいたフルールは報道陣を少し待たせて美里の元にやってきた。


「ロングタイム ノーシー!」

 二人は固いハグを交わす。

 挨拶もそこそこに美里が一花を紹介しようとすると、一花は自分で自己紹介を始めた。


「ハ〜イ! フルール! ナイス トゥー ミー トゥー。

 アイム イチカ。

 ミサト イズ マイ イングリッシュ ティーチャー。

 ミサト イズ マイ サイクリング ティーチャー トゥー。

 フルール イズ マイ ヒーロー。

 あ、じゃなかった。

 ソーリー、ソーリー。

 フルール イズ マイ ベスト ヒロイン!」


 相変わらず、物おじせずに堂々と英語を話す一花。美里は英語の先生として鼻が高くなる。


 近況を話す間もなくレセプションが始まり、前日は何かと慌ただしく、レースが終わってからゆっくり話そうという事になった。


 ☆


 レース当日の朝は早い。

 美里と一花はオフィシャルホテルの海の見えるデラックスな一室に一緒に泊まっていた。

 日本のサイトだとかなり高価な宿泊料金を取られるが、美里は現地のサイトを調べて驚くほど安値でこんなに素敵な部屋を予約できた。


 今日はレース日。美里先生があたしとライバルとして戦うと言ってた日。先生は口も聞いてくれないのかな? 朝からピリピリしてるのかな? ちょっと怖いな。

 一花はそう思って起き上がった。


「一花、おはよう! 一緒にお赤飯食べるでしょ? チン!するやつを持ってきたよ。一花の分も」


「えっ!」

 これまでと変わらない美里先生がそこにいる。一花は嬉しくなった。

「わーい! 勿論、勿論。いっただっきま〜すよ!」


「やっぱりこれだよね」と言いながら楽しく二人で朝食を頂く。

「レースが始まるまでは一緒に行動するからね。スタート地点に行くまではまだ暗いし、一花一人にしたら迷子になってスタートできなくなりそうだしね」


 一花はホッとした。でも「レースが始まるまでは」だ。今日はレースなんだと気を引き締める。


 ☆


 スタート地点のすぐそばは海だ。海抜ゼロメートルから標高3275メートル地点まで駆け上がる。

 十月ももうすぐ終わりだというのに、半袖短パンでも暑いくらいだ。ここは台湾。

 今日は雨の心配も無い。絶好のヒルクライム日和だ。


 和やかな雰囲気でスタートは切られた。スタートから18キロ地点までは先導車を追い抜いてはいけないパレード走行だ。

 表彰はクラス毎に行われるけれど、男子も女子も全てのクラスの800名の選手達がゴチャゴチャになって一斉にスタートしている。


 一花は集団走行が好きだし得意だ。密集して走るのを怖いとは思わない。集団の中にいるとその流れに乗って自分の力を使わずにすごいスピードで進んでいける。

 それが快感だ!

 パレード走行中は美里とフルールはずっと何か話していた。一花はその後ろに付いている。会話はあまり聞こえないけれど、外人同士で話しているみたいで本場の英語だと感じる。

 こんな風に普通に英語で会話できる先生はカッコいい。私ももっと英語を頑張って、フルールとたくさん話がしたいなと強く思う。


 リアルスタートが切られると一気にスピードが上がった。

 さあ、いよいよだ。

 上手く流れに乗って付いていこう。


 流れる景色をじっくりと見ている余裕はないけれど、凄い景観の中を走っている事は分かる。

 威圧感を感じる巨大な切り立った岩壁、流れ落ちる滝、トンネルが多い。岩壁をくり抜いて作られた道を走っている感じ。

 そんな大自然からもパワーを貰えている感じがする。


 フルールも美里も自分の足を極力使わないように集団の流れに上手く乗っている。でも中切れが起きそうな所とかはしっかりと自分で埋めているし、さすがだと思う。

 一花は彼女達に付いていく事だけを考えて走っていた。

 先頭集団は自然と少しずつ人数を減らしていく。


 中間点を過ぎた頃、美里は一花の事を考えていた。

 あの娘はよく走っているな、と。

 時々後ろを確認しながら走っているけれど、離れる事なくしっかりと付いてきている。

 一花はこんな大きな集団で走るのは初めてだし、こんなレベルの高いレースを走るのも初めてだ。ましてや、世界レベルの男子選手が引っ張っるようなレースに臆する事なく流れに乗れている。

 美里にしても決して楽なペースではない。

 オンディーヌでのフルールの初レースで感じた事と同じ思いを抱いた。


 一花の走りを見たくなった美里は自分のポジションを少し下げて一花を前に出した。

 フルールの真後ろにピタリと張り付いて走る一花。

 フルールのギアに合わせてペダリングを合わせた。

 フルールが立ち漕ぎを始めると同じタイミングで一花も立ち、座ると同じタイミングで座る。

 フォームもそっくりになって、一花はフルールの色違いのコピーのようだ。


「ねぇ先生、フルールのフォームに似てる?」

「ねぇ先生、フルールのダンシングってこんな感じだよね?」

 一花がロードに乗り始めた頃の事が蘇る。


 美里は二人の走りにしばし見惚みとれてしまっていた。

 美しい‥‥‥

 ピタリとシンクロされた動きは、そこに誰かが入り込む余地を閉ざしているように見えた。


 美里は少しの間ボ〜っとしてしまっていたようだ。前の選手と少しだけ間隔が開いてしまっている。

 いけない、集中しなきゃ。

 そう思って間隔を詰めていくが、このちょっとの間隔が中々キツい。

 これ以上無理して集団に付いていくのはやめた方が良さそうだと思う。

 まだまだ先は長い。

 というよりも、本当のレースはもう少し先から始まるはずだ。

 ここで無理をして付いていけば、厳しい後半の坂でタレタレになるのは目に見えている。


 美里は一度、一花に並んで声を掛けた。

「一花、この調子でフルールにしっかり付いたまま少しでも長く走りなさい。完走なんて考えなくていいから」


 スタート後、初めて美里が声を掛けたので一花はドキッとした。

 私はそのつもりで走ってる。それを先生が後押ししてくれたようで嬉しくなった。

「はい、先生!」

 一花は元気に答えた。


 美里は少しずつペースを落として集団から離れ、マイペース走行に切り替えた。







 

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