美里の葛藤
走りたい。挑戦したい。フルールと一緒に走れるなんて。絶対に出場したい。
台湾の100キロヒルクライムレースについて調べまくっている美里がいた。台湾KOM、10月27日開催。
ふと我に帰る。
私、何をやっているの? また教師としてやるべき事を放棄するつもりなの?
全日本まで? 全日本が終わった途端に台湾KOMまで? それが終わったら今度は何?
ダメダメ。
まずはインターハイに向かわなきゃ。
あー、教師なんて。
私が無責任な人間、不良教師だったらどんなに楽だろう。
バン! と辞表を提出。もう一度選手として専念してやってみたいのです、と無責任に言ってみたい。
でも、そんな事が私に出来るはずがない。あの子達はどうなるの?
そうだ。一人で考えてないで一花に話してみよう。フルールからメールが来た事も。あの子なら何て言うだろう?
次の日の部活を終えたタイミングで話そうとしていた。
その日の練習場所は
新入生が入る前、何回もやっていた練習で、いつも最後の方は美里と一花の二人になって美里が一花に合わせて走っていた。
この日もラスト三周で二人になった。二人になってからの一花のスピードに美里は目を見張った。
化けた。完全に化けた。
美里と対等に先頭交代をしてきて、美里が振り切ろうとしても離れずに一緒にゴールした。
「先生、疲れてるね。無理しなくていいのに」
そう言ってくる一花。
私はそんなに悪い調子じゃない。一花は自分が化けた事に気づいていないのか?
「一花、走りが変わったね」
その美里の言葉に、一花はにっこりと微笑んだ。
「あたし、頑張る事が怖くなくなったみたい。全日本の先生の走り、ゴール後の姿、本当にカッコいいと思った。頑張って頑張って、負ける事はカッコ悪くなんかないんだって事を心の奥までようやく分かってくれたみたい。あの時、自分の中で何かがパリっと割れたような音がしたんだ」
「一花‥‥‥」
美里があれほど願っていた事。
ついに一花の心を覆っていた分厚い殻を破る事が出来たんだね。
それも私の姿を見て、だなんて。
美里は一花を優しく抱きしめた。
嬉しい。
ただ、抱きしめた背中が何か頼もし過ぎた。少しだけ嫌な予感がした。フルールと一花の姿が重なって見えた。
その日、フルールからきたメールの話をする事は出来なかった。
☆
ある日、美里の元に康介からラインが入った。
「何か、大丈夫なの? 最近ちょっと気になってて。忙しいとは思うけど、夕飯とか一緒に食べれる時ない?」
全日本が終わってから、康介さんはレースで撮った写真とかを時々ラインで送ってくるようになった。
大体はスタンプで返信して済ませていたのだけど、他に話せる人もいないし、ちょっと相談に乗ってほしいなと思っていたタイミングだった。
「日曜日に一花と一緒にお店に行く約束をしてます。一花のバイクのメンテをお願いできますか?
その日は予定を入れてないので、一度一花を家に送って、その後なら大丈夫です」
そう返信して、夕飯を一緒に食べに行く事になった。
日曜日、美里と一緒にやってきた一花はお店に貼ってあるポスターを食い入るように見ていた。
「ねぇ先生、見て見て! フルールがこのレースを走るんだって!
台湾の100キロのヒルクライムレースだって! スゴイ! 招待選手だって。一般の人も走れるレースみたいで募集中って書いてある。走ってみたいな〜。あたしも申し込めば出れるのかな? 先生は出れるでしょ? いくら掛かるのかな? バイトでも何でもするから出たいな〜」
美里はドキッとした。こんなポスターがあったなんて。何でこんな所に貼ってあるの? よりによって何で一花の目にとまるの?
咄嗟に誤魔化している自分がいた。
「え? どれどれ。本当だ。へ〜、フルールが走るんだね。ちょっと大会の事を調べてみようね」
本当はもうこの大会の事は穴が開くほど調べているというのに。
自転車のメンテをしてもらって、一花を家に送る為に店を出ようとした時、康介が美里にそっと呟いた。
「せっかくだから、ちょっといいお店に予約を入れたよ。今日は俺に奢らせて。軽〜くお洒落してきてくれる?」
美里はドキッとしたけど顔にはださず「じゃ、ありがとうございました〜」と言って一花を連れて店を出た。
美里が着替えて戻ってくると、康介がいつもの作業服のツナギから、清潔感のある白いシャツとデニムっぽいカジュアル過ぎないズボンに着替えていた。
美里の顔がぽっと紅くなる。
康介さんって意外とイケメンなんだな。今さらそんな風に思って、なんだか恥ずかしくなった。
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