京子のコメント

 その日の夜には全日本ロードの記事が自転車関係のネットに上げられた。

 美里は一人、部屋でそれを見ていたが、京子のコメントに目が釘付けになった。


 ☆


 まずは沢山の応援ありがとうございました。

 今年も日本のチャンピオンジャージを獲得でき、また一年間これを着てヨーロッパで走れる事にほっとしています。私はその為だけに日本に帰ってきました。


 本当の事を言うと、どんな勝ち方でも勝てばいいって思ってたんです。チャンピオンジャージを持ち帰る事が仕事。

 そしてまたすぐにヨーロッパに戻って重要なレースを走らなければならない。

 全日本はコンディショニングとかちゃんとやらなくても勝てるはずだけど、戻ってからのレースはしっかりとしたコンディションでないと良い仕事なんて出来ない。

 勝てば良い義務で走るようなレースと、チームの為に自分の力を目一杯発揮する事が必要で自分自身への挑戦でもあるレースとは意気込みも全然違ってしまいます。


 実際には全日本を走ってみて、中盤まで数人でローテーションを回しながら走れた事は嬉しかった。

 昨年までと比べて、日本の女子のレベルが上がっていると感じたし、ただ付いてくるんじゃなくて力を合わせて前に進むっていう意志を皆から感じ取れました。


 私は勝つ自信はあったので美里さんと二人になってからも、特に振り落とすつもりはなかったのです。

 平坦やアップダウンは先頭交代できる位のペースで走っていました。

 美里さんは苦しそうだったけれど、しっかりと回ってくれていました。く時間は私の方が長かったけれど、きつかったら付いてるだけでいいとこちらが思ってしまうほど美里さんの前に向かう気持ちは強かった。

 でも息遣いも荒く、マイペースで走っていれば自然に落ちると思いながら走ってました。


 私は美里さんの気迫にリスペクトの気持ちを抱き始めていました。

 自然に落ちるなんてとんでもない。どこまでも食らい付いてくる美里さんを見て、全力には全力で応えようという気持ちにさせられたんです。


 最終周回の古賀志の中腹で私は全力でアタックし、全力で駆け抜けました。


 ただ義務的に走って、義務的にゴールを決めたレースではなくて、レースを楽しめ、全力で戦えた素晴らしいレースが出来たと思っています。


 三年前に私が海外にレースの拠点を移した年に美里さんが引退してしまいました。

 私はヨーロッパに行って、初めて美里さんの偉大さを肌で感じました。向こうでやってみて初めて分かる事が沢山あった。

 ヨーロッパで暮らし、あの中で走るっていうのがどういう事なのか、心も身体も想像を遥かに越えた厳しいものでした。


 美里さんが引退するまでに、何度か同じレースを走る事があって顔を合わせる事もありました。

 私は勝ち気で生意気で失礼な言動も多かったと思います。不仲説も飛び交ってしまい、いつの間にか自ら美里さんを避けるようになっていました。

 そんな感じで、あまり話をする事もないまま美里さんが引退してしまった事はとても残念でした。何よりも、そういう態度しか取れなかった自分自身を残念に思いました。


 今回のレースで、一度引退した美里さんが出場してきた意図は分かりません。今後、どうされるのかも分からないけれど、今回こうして一緒に走れた中で、美里さんから何か大きなメッセージを頂いたように思っています。


 レース後に美里さんと話す事は出来ませんでした。レース前もレース中も何も話す事はなかったです。

 私はすぐにヨーロッパに戻るので、美里さんとの会話は一言も無かったけれど、このレースの中に全てが詰まっていたんじゃないかって今は思えるんです。

 日本に帰ってきて良かった。

 スケジュール的には厳しいけれど、ヨーロッパでまた頑張れると思います。

 ありがとうございました。


 ☆


「京子‥‥‥」

 今日はどれだけの涙を流さなくてはならないのだろう?

 彼女は本当に強かった。

 少しでも勝つチャンスがあるかもしれないと思ってこのレースに臨んだ自分が恥ずかしくて仕方なかった。

 ゴールして情けなくて、圧倒的な力の差を感じて、走らなければ良かったとさえ思った。


 一花が「最高にカッコいい」って言ってくれた意味も分からなかったけれど、その時不意に自分は教師なんだと我に返った。

 一花との約束、ノートに書いた事がバッと浮かんできて、無理やり自分を切り替える事が出来た。テンションを高く持っていけた。


 でもお風呂にゆっくりと浸かって、一人になって京子のコメントを読んでるうちに、また別の感情が押し寄せてきていた。

 それはなにか心地良いものに感じた。


 一花も京子も私の走りを見て何かを感じてくれたみたい。

 それならば、私が走った意味があったのかもしれない。

 きっとそうだ。

 私自身もこのレースを決して無駄には出来ない。

 ちゃんと整理して、考えて、次に繋げなくちゃ。

 京子ありがとう。一花ありがとう。自転車部のみんなありがとう。そう思った。

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