全日本ロード エリート女子レース

 昨日とは打って変わって梅雨の晴れ間が広がり、少し蒸し暑い。

 スタートは13時。ジュニアの倍以上の9周を走る。

 ツール・ファムが開催されるようになってから日本の女子の競技人口も増えてレベルもかなり上がってきた。エリート女子の出走が56人。随分と華やかさを増した。


 京子は一週間前に帰国し、少しだけ日本で調整していたようだ。時差ボケは無いのだろうか?


 三年前の全日本はフランスから帰国した美里が日本のクラブチームで走っていた京子をラスト2キロで振り切って優勝した。あの時は美里の体調があまり優れずかなり苦戦を強いられた。

 その年に美里が引退し、一昨年と昨年は海外に戦いの拠点を移した京子が圧勝している。


 三年ぶりの美里の参戦でこの戦いの注目度がぐんと高まった。再び二人の戦いを見る事が出来る。

 しかし、ワールドチームに入って力をつけた京子に太刀打ちできる選手がいるとは思えない。

 美里の参戦の意図はどこにあるのだろう? 教師の道を選んだ美里が三年前のように走れるとも考え難い。


 女子のレースにしては観客も多く、華やかにスタートが切られた。

 レース中盤まで大きな動きは無く、それでも毎周回古賀志で遅れる者が出て集団の人数は少しずつ減っていった。

 京子と美里だけでなく、上りの得意な者が古賀志をいいペースで上り、平坦やアップダウンはローテーションを回しながら距離をこなしていく。

 日本の女子だけでこんな風に良いペースで走れるようになった事に美里は喜びを感じていた。

 京子も同じように感じていたのかもしれない。勝負を焦る必要はない。皆が消耗していく後半に勝負をかければ良い。


 半分の距離を消化した頃には先頭集団は6人に絞られていた。ローテーションに加われない選手も出てきたので、そういう選手は振り切ってしまおうと、京子が軽いジャブをかましてくるようになった。彼女が完全にレースを支配している。


 ラスト3周の古賀志で京子がかなり強烈なアタックに出た。美里は躊躇する事なく反応する。他の選手は少し迷いがあったのか反応できなかったのか、動きが中途半端になって結局二人を見送る事となった。

 そこからは京子と美里の一騎打ちとなる。


 一騎打ちと言っても、主導権を握っているのは常に京子で、美里は必死に食らい付いているといった感じだ。

 全ての能力において京子の方が一枚上手のようで、美里が勝っているものを見出せない。


 ここまで食らい付いている美里に見ている人達は感嘆の声をあげ、皆のもうここまでだろうという思いに抗うように美里は走り続けていた。

 京子が一発本気のアタックを行えばそれで決まりそうなのに、彼女はそれをしなかった。

 最終周に入るまでは‥‥‥


 最後の古賀志林道。

 もうとっくに限界を迎えているのに根性だけで着いてきているような美里を見て、その中程で京子は強烈なアタックに出た。

 美里はそれに反応する事さえ出来ない。

 そのまま二人の差はぐんぐんと広がり、京子は余裕の表情で両手を挙げてゴールラインを越えた。


 その約3分後、美里が最後までもがき続けてゴールした。後続との差は大きかったが力を緩める事は無かった。観客に手を挙げる事もなく、ゴールラインを越えてからも俯いたままフラフラと前進し続け、コース脇に逸れていった。


 康介が走り寄ってきて美里を支える。

「お疲れ様。大丈夫? よくやったよ。ちょっとここに座ろう」


 息も絶え絶えで今にも倒れそうな美里を康介が支えながら、美里をフェンスに寄りかかれるように座らせた。

 美里は膝に自分の顔を埋めた。


 ゴールの少し手前で応援していた一花が走ってゴール地点にやってきた。

 先生、先生はどこにいるの? 早く会いたい。

 キョロキョロと辺りを見回していると、少し離れた所に先生と康介が座っているのが見えた。

 先生⁉︎


 一花は近くまで駆け寄ってきて「先生!」と声を掛けようとしたが、その足はピタリと止まった。

 美里は肩を振るわせて泣いている。


「先生‥‥‥」

 誰にも聞こえないような小さな声で呟き、その場に立ち尽くす事しか出来ない。


 康介が一花に気づいて美里に何か呟いた。

 美里は埋めていた顔を上げ、その顔を一花に向けた。

 少しにこっとして手招きをする。

 一花は首を振って一歩も動けなかった。


「一花。ごめん。こんなカッコ悪い姿を見せちゃって」


 一花は思い切り首を横に振った。

「カッコ悪くなんかない。先生、最っ高にカッコいいよ!」


 叫ぶようにそう言うと、一目散にその場から駆け去った。

 涙を流しながら走っていると自分の身体の中から何かの音が聞こえたような気がした。

 ずっと長い間、心に被っていた殻に大きなヒビが入り、パリっと割れたような音が。



 20分後、表彰式が始まった。

 2番目に高い台の上には、綺麗にお化粧をしてにっこりと微笑んで立つ、長い髪をした美里の姿があった。


「先生〜。カッコいい〜!」美里の声が響く。

「せ〜の」

「美里先生〜!」

 桜蕾学園JK自転車部の皆が声を合わせた。

 大きな拍手が起こる。

 美里は最高の笑顔を浮かべて皆に手を振った。

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