全日本に向けて 自分ノート

 選手を辞めて二年近くが経ち、趣味と健康の為くらいに自転車に乗る事で、自分に掛けていたストレスも無くなって、美里の身体はすこぶる健康になった。

 いつもどこかが痛かった身体も、いつの間にか痛みを感じなくなっていた。だから自転車にも気持ち良く乗れている。

 こんな身体の状態で、思いっきりトレーニングをしてレースに向かい、もう一度レースを走り、納得の出来る終わり方をしたいと美里が真剣に考え始めたのはつい最近の事だった。


 そんな事もあって、インターハイの後に一花からあんな事を言われたものだから、勢いで「一緒に全日本を目指さない?」なんて言ってしまった所があった。


 自分自身がやり残したと感じていた物をやり遂げたかったっていう思いもあるけれど、自分が本気で取り組む事で、一花は何かを感じ殻を破ってくれるんじゃないかという思いが大きかった。


 全日本を走るという事を簡単に考えてはいない。しっかりと勝負して自分自身が納得できて、生徒達にも何かを感じてもらえなければ出場する意味もない。

 でも、世界選の京子の走りを見て、「私、なんて事をしようとしているんだろう?」と思ってしまったのは事実だ。


 しかし、生徒達の前ではっきりと言ってしまった手前、今さら引き下がる事は出来ない。

 あと十ヶ月。きちんとそこに向かう為に、自分の気持ちをきちんと整理してノートに書いてみる事にした。

 自分ノートだから、体裁など考えずに思いつくままにバンバン書いていった。



【全日本に向けての思い


 ⚫︎勝ちたい。京子に勝つ!

 京子はコンディションを全日本に合わせる事は出来ないはず。全日本前にも厳しいレースを嫌という程走って、直前に帰国して時差ボケもある中、勝たなければならないというプレッシャーを背負って走らなければならない。

 全日本を走った後も、すぐに帰国して大切なレースを控えている。

 苦しんで力を見せつける必要はなく、出来ればサラッと、必要なのは勝つ事だと考えているはず。

 一方の私は全てをそこに合わせられる。勝たなければならないプレッシャーも無い。

 力の差はあっても、彼女の心理を読んで、うまく繋いでいけば必ずチャンスはあるはず。


 ⚫︎あ、勝つ事、己の事に集中し過ぎたらダメ。私は教師。教師としてやるべき事を優先して、己の為に使っていい時間だけをそこに費やすようにしなきゃね。


 ⚫︎頑張るだけじゃダメ。頑張る事を楽しむっていうお手本を見せなきゃ。楽しむっていうのはちょっと苦手だけど。


 ⚫︎結果を求めるけど、結果はどうなるか分からない。トレーニングもレースも上手くいかないかもしれないけれど、挑戦して良かったと思えるように挑む事。


 ⚫︎当日は部の皆がレース会場に来て応援してもらえるように。皆に何かを与える事が出来るように。


 ⚫︎笑顔で表彰台に立つ!


 ⚫︎一花と一緒に頑張る。お互いを高め合えるように。一花の結果が良くても悪くても笑顔で迎える。

 固いハグを交わそうね。


 ⚫︎ゴールして何を思うか。

 再び世界で戦う事を目指したいと思うのか? そこで納得してレースを終えるのか?


 ⚫︎とにかく、目一杯やってみる。】


 書く事ではっきりと、すっきりとした感じがしたので、一花にも自分の思いを書かせた。

 一花も自由に思う事を書いていった。



【全日本ジュニアに向けて思う事


 ⚫︎レースで思いっきり頑張れて、競い合えて、楽しめたらいいな。


 ⚫︎まずは頑張ろうとしない事。美里先生を信じて、言われた事をしっかりやっていく事。信じる!


 ⚫︎なかなか上手くいかなくても笑顔を忘れない。笑顔!


 ⚫︎頑張れなくても楽しむ事。楽しむ!


 ⚫︎先生を悲しませない。先生が自分の事に集中できるように、心配をかけない。


 ⚫︎もしも表彰台に立てたら、お化粧して、最高の笑顔で桜蕾学園の皆に手を振る。立てなくても笑顔で表彰台に立った選手を讃える。


 ⚫︎挑戦して良かったって思えるように。


 ⚫︎美里先生を喜ばせる。私のレースが終わったら「よくやったね」ってハグしてもらいたいな。

 私も先生のレースが終わったら「よくやったね」ってハグしてあげたいな。】



 美里は一花が何を書いたのか知りたかった。

「一花、見せてくれる?」


 一花は首を横に振った。

「ムリ、ムリ。そんなの見せられない。先生が見せてくれるなら、考えてもいいけど、先生は見せてくれるの?」


 美里は「見せられないよね」と言った。

 言ったけど、少し考えた。

 いや、お互いの気持ちをちゃんと知っておくべきかな? と思い直してみた。


 そしてお互いのノートを見せ合った。



「先生、真面目に取り組み過ぎっぽいよ。あたしから一つ要望していい? まず、先生は髪を伸ばす。全日本は髪を靡かせて走って、表彰台には綺麗にお化粧してにっこり微笑んで立つ。これまでの美里選手とはちょっと違う、新しい美里選手が全日本を戦うの」


「何ふざけた事言って。からかわないで」

 美里はそう言いながら、何かハッとした。

 新しい自分。

 確かにそれは必要な事のように思えた。

「そうね、これまでと同じじゃ、あまりやる意味ないよね」

 一花にやられた、と思った。私が一花に望む事は?


「じゃ、私が一花に望む事。一花が書いている事、素晴らしいと思うから特に言う事はないけど。美里先生を信じる、って嬉しいな。プラス、一花自身を信じてね。必ず頑張る事と楽しむ事を両立できるようになるから。

 それと、全日本は大きな目標だけど、一花にとってそこはゴールじゃないよ。あくまでも通過点。だから、焦ってやる事はないんだよ」


 一花はしっかりと美里の目を見て頷いた。

「通過点。焦らない。自分を信じる」

 しっかりと自分自身に言い聞かせた。

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