美里の話

 一花‥‥‥。

 ありがとう。話してくれて。

 一花の話を聞いても、あまり驚きは無いよ。大体の事は分かっていたから。でも私はそれを一花の方から話してくれるのをずっと待っていた。

 一花の先生として、ひとつ目標を達成した気分。生徒が心を開いてくれる教師になりたいって思っているから。


 あ、驚きは無いって言ったけど、最後に一花が私に向けて聞いてきた事にはドキッとさせられた。

 一花がちゃんと心を開いてくれたから、私も返さなくちゃね。聞いてくれるかな?



 桜蕾学園に来て、クラスで最初に挨拶した時の話。あれは嘘じゃないよ。私は何か疲れちゃってた。本気でロードレースをやってきて本場で打ちのめされて、厳しすぎる挑戦に限界を感じて挫折して。日本に帰ってきて、もうあとはただ楽しく自転車に乗ろうって思ってたの。


 教員の資格は持っていたから、自転車部を作って顧問になるっていう事を条件に、ここの教員になれたのだけど、強い選手を育てたいとか、強い部を作ろうとか、そんな気持ちは無かったんだ。

 いくら日本で苦しい事に耐えて頑張って、例え日本一になったとしても、世界にいけばお話にならない。

 そこへの挑戦は並外れた才能と、とてつもない努力が必要で。全てのエネルギーをそこに費やす覚悟が必要だって分かってる。

 だから、そんな事は考えずに、ただ楽しく出来ればいいやって思ってた。

 チャラい連中と楽しくやるのがちょうどいいやって。


 ただ、一花を初めて見た時にフルールの顔が思い浮かんでね。

 直感的にこの娘を育ててみたいって思っちゃったんだよね。

 一緒に走ってみて、その思いは更に強くなった。

 だけど、一花には一花の思いがあって、こんなに楽しそうに自転車に乗る事が出来るなら、レースにこだわる必要は無いって思った。

 私は、レース以外にある自転車の魅力を一花から教わっている気がしてる。


 一年ちょっとの間、貴方達と楽しくやってきた。これでいいんだと思いながら。

 いいえ、本当はこれでいいんだと言い聞かせてきたって感じかな。


 今日、一花に言いたい事があったの。

「自分が一番好きな事に対して、本当にやりたい事に対して、心を偽ってほしくない」って事を。


 でも、私がそんな事を言わなくても、一花は偽りのない気持ちを話してくれた。

 そして、私が言いたかった事は私自身に向けられるものになってしまった。


 押し殺していた気持ちを一花に見られてしまったのはどうしてかな? そんな素振りは見せてないと思うんだけど。


 私の心の奥には、ずっと世界への挑戦っていうものが燻り続けているの。

 今もそれは変わらない。


 自分自身が叶えられなかったことを、才能のある若者に託したいっていう気持ち。

 私は一花がどこまで出来るか一緒に挑戦したいと思ってる。


 それから、私は一番好きな事、やりたかった事を満足して終えていない。 今、一番やりたい事は、やりたいと思わないようにしてきたの。

 もう自分自身がやりたい事は犠牲にすべきだと考えていて。

 でもそれだと、一花の願いが叶わない気がするって言うなら‥‥‥。


 私、解雇されてやめたでしょ。やり尽くして、納得してやめたわけじゃないから、それが心残りだった。

 故障続きで、あまり調子良くない状態でレースにもあまり出れずに終わっちゃったから。しっかりと調子を上げてレースに出て、結果が良くても悪くても納得して選手生活を終わりにしたかったっていう気持ちはあって。


 本当の事をいうと、ツール・ファムを観て、ここで走りたかったっていう思いはすごく強くて。

 もしかしたら、まだ出来るんじゃないかって思ってみたりもして。

 四十歳前後で世界のトップで走っている選手もいる事を思えば、不可能ではないなって思ってみたり。

 フルールが駆け出しの頃を除いて、彼女と同じレースは走れなかったから、それも心残りなんだ。


 ま、また自分が世界で走るってのは現実的ではないかもしれないけど、しっかりトレーニングして、もう一度だけでもいいからレースを走りたいっていう気持ちは確かにあるの。


 これはね、色々考えると実際には厳しいだろうなって思って、心にしまっておいた事なんだけどね。

 来年、六月にある全日本ロードに挑戦してみたいなって、ちょっと考えてた。今、ワールドチームに入って頑張ってる日本選手が一人いてね。長年、私のライバルだった選手なんだけど、もう一度対決してみたいなって。そこでコテンパンにやられたら、納得してやめられると思うし、対等に戦えたらその先が見えてくるのかもって思ったりしてね。


 全日本にはジュニアのカテゴリーもあるの。一花はそこで優勝する事を目標にしてみない?

 私と一花は同じ方向を見て歩む。

 勿論私は自分のレースの事だけでなく、教師として一花を導くつもりよ。


 二人だけでは決められないね。

 他の部員達がこのインターハイのレースを終えてどう思ったか、これからやりたい事とか意見とかも聞かないとね。近いうちにチームミーティングをやるから、一花も目標をどこに置くか考えておいて。


 一花はちゃんと頑張れるようになる。大丈夫。時間は掛かるかもしれないけど一緒に克服していこう。

 焦らずにやっていく事が大切だよ。急に頑張ろうって思わなくていいから。きっかけさえあれば、ずっと掛かっていたブレーキがスッと解除される事があるはず。

 今大切なのは、頑張ろうとする事じゃなくて、これまでのように頑張らないで走る事。気持ち良く走れる範囲でもっともっと走り込んでいけば、そのレベルをまだまだ上げていけるから。

 一花が出来るトレーニングをグッと増やしていくから、それを喜んで出来たなら、ベースがドーンって大きくなって、グッと強くなれる時が訪れるはずだから。

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