私だけを見てほしい
紅葉は運動能力が高く、他のスポーツをずっとやっていた事もあって上達は早く、すぐに遅れるような事もなくなった。
素質は一花と同等なのではと思う位だが、何せ楽しむ事しか興味がない感じは否めない。
一花が何かを秘めている感じなのに対し、紅葉は素のまま楽しんでいる感じだ。
自己表現する事があまりなく、やる気があるのかどうかもあまり分からない華は、闘志を剥き出しにするような事は無いが、意外ときっちりと、そこそこ走る。
道穂はとにかく頑張り屋さんで一生懸命なのだけど、力が入り過ぎて、その闘志とは裏腹に意外と走れない。
誰よりもすごく頑張っているのに、あまり頑張っているように見えない華や、チャラチャラと走っているような一花や紅葉と同等位にしか走れなくて、いつも悔し涙を流していた。
道穂はどうすればもっと速く走れるようになるか、しょっちゅう美里に聞いていたし、「ここを見て下さい」と美里を捕まえていた。
追加練習をお願いする事も多く、美里が道穂を見る事がどうしても多くなる。
一花はそんな二人を横目で見ながら、紅葉に付き合って色々教えてあげながら走っている事が多かった。
「一花、ちょっと見てあげようか?」
一花の事が気になって美里が声を掛ける。
「私はいいよ。頑張りたい子を指導してあげる方がいいでしょ」
一花は冷たい目を向けてくる。
一人一人をもう少しちゃんと見てあげたいと思った美里は、毎週水曜日をマンツーマンの個人練習にする事にした。月に一度、選手は先生とマンツーマンで走れる。
その時は、いつもの周回コースや反復コースではなくて、個人に合わせたトレーニングコースに連れていってもらえた。
まずは、少し疎遠な感じになっていた一花を連れ出した。
以前二人で走っていた時の一花とは違う。あの頃はあんなに楽しそうに走っていたのに‥‥‥
走りながら美里が声を掛ける。
「一花、楽しくないの?」
楽しいとも楽しくないとも言わず、一花は言った。
「先生、二人だけで走るなんて本当に久々だね」
冷たい言い方だった。
美里はハッとした。
「一花。ごめんね。今日は二人だけの時間だよ。湖の周回コースまで行こう。そこまでは私の後ろに付いて。気持ちいいペースで走るよ。湖の周りは二列で走れるから、お喋りしながら走ろうね。そこまでは余計な事は考えないで私とリズムを合わせて走ってね」
一花はちょっと浮かない気分だったが、美里の真後ろに付いてリズムを合わせて走り始めた。
何も考えず、ただ無心に美里のリズムに合わせて走っていると、いつの間にか心がハイになっていった。
湖の周回コースに入った所で美里が声を掛ける。
「綺麗だね。ゆっくりお喋りしながら走ろうか。楽しくなってきたんでしょ? 以前の一花が戻ってきたみたい」
一花の顔がほころぶ。
「え? 先生は後ろも見ずに私の心まで見えるの?」
美里がふふふと笑う。
「一花の心は分かりやす過ぎ。心が空気に浸透して、前にいる私に伝わってくるんだよ」
自転車部の活動が始まってから、ずっと強がっていた一花の心の殻が少し破れた。
「先生、二人だけで走るなんて本当に久々だね」
一花はさっきと同じ事を言ってきた。今度は冷たい言い方じゃなかった。
「自転車部なんて作らなきゃ良かったかな。作らなかったら、ずっと先生と二人きりで走れたかもしれない」
「え?」
美里は言葉に詰まった。
一花が言う。
「ズーズーしく出来る子はいいよね。私を見てほしいって素直に言える子はいいよね。自分が頑張れるから、そう言えるんだよね。あたしには言えないよ。あたしだけを見てほしいなんて」
「一花‥‥‥」
そんな事を言われて、美里が困っているように見えたので一花は嬉しそうにこう言った。
「でもさ。こうやってまた二人きりで走れた。マンツーマンで走る最初に、私を選んでくれてありがとう」と。
美里は何か言わなくちゃと思った。
「一花、ごめんね。ありがとう」
一花が心にある事を素直に言ってくれたのにつられて、まだ心にしまっていた美里の考えが少し漏れた。
「皆の志がバラバラでしょ。どうしたら良いか分からなくて。ちょっと考えたんだけど。八月にインターハイがあるんだけど、皆の力なら出場できるはずだから、志はバラバラのままでも良いから出てみない? そこで何かを感じると思うから、そこをスタートラインに出来ないかな? って思っているの。何かを見出す事を目標にインターハイを走るってどうかな?」
一花の目が輝いた。
「出てみたい。成績を求めて頑張るんじゃなくて、楽しく走る事が目標でもいいなら。
ねぇ先生、桜蕾学園のカッコいいウエア作ろうよ!」
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