一花を惹きつけたもの

 翌日、美里が朝のホームルームに向けて廊下を歩いていくと、教室の前で一花が待っていた。


 開口一番。

「ねぇ先生。フルール、カッコよかったね。ナイスファイトだった!」


 美里はびっくりした。

「え? 一花、ツールファム観てたの? フルールって‥‥‥」

 一花にフルールの事を話した事なんて無いはずだ。


 間髪入れず、一花は興奮して話してくる。

「先生、フルールと同じチームだったんでしょ?」


「え? 何でそんな事‥‥‥」


「知ってるよ。それ位。放課後に色んな話、聞かせてね。楽しみにしてる」

 そう言って一花は走って教室の中に入っていった。



 その日の授業が全て終了した。放課後は二人で自転車に乗るのが日課になっている。


「一花、今日は自転車に乗らずに、昨日のツールファムのビデオを一緒に観ようと思っていたの。だけど、痛々しい場面が多かったから、一花には見せない方がいいかなって思ってたんだ。

 だけど、昨日、もう観たんだね。

 それなら、今日はやっぱり自転車に乗ろうか?」


 美里がそう言うと、一花は激しく首を横に振った。


「観た。観たけど、もう一度先生と一緒に観たい。フルールの走りをまた観たいし、ロードレースの事色々と先生に教えてほしいし」


 意外だった。一花がロードレースに興味を示すとは思っていなかった。

 一花はフルールの事を色々と聞いてきた。


 美里の心には複雑な思いが溢れていた。

 フルールが自分の後輩だという事をとても誇りに思っている。今、美里自身が一番気になって応援している選手だ。

 と同時に、フルールは美里が一番嫉妬している選手でもある。

 自分もあんな風になりたかったなと。

 自分はあんな風になれなかったなと。


 一花もやっぱりフルールに惹かれるのは当然だと思う。

 自分はフルールのように一花を惹きつける事は出来ないんだと思う。


 そんな気持ちを一花は知る由もなく、美里に色んな事を聞いてくる。

「先生、フルールと一緒に走ってたんでしょ? 最初から速かったの? ねぇ、フルールってどんな人? 怖い感じ? 優しい感じ?」


 美里は多くを話さなかった。

 ただ、はっきりとした口調で言った。

「一花に雰囲気がすごく似てる。初めて一花を見た時、フルールの事が思い浮かんだの。フルールってフランス語でっていう意味なんだよ。偶然とは思えなかった」と。


 優勝した選手の事など、気にも留めていないように、フルールの話を持ち出した一花を見て、彼女達の不思議な繋がりを感じずにいられなかった。


 ビデオを観ながら、一花が質問してきた。

「ねぇ先生、解説の人は逃げが決まりにくいコースだって言ってるよね。なのに何でフルールは逃げに出たの?」


「そのまま逃げ切れる可能性はすごく低いのだけど、可能性ゼロって事はないの。今回逃げた三人は力のある選手だとは思われていないから、集団はいつでも捕まえられると思って、無理に追いかけないの。

 だけど、フルールは無名だし、彼女の力をまだ誰も分かっていない。上手くいけば本当に逃げ切ってしまう可能性だってあったと私は思ってるんだ。

 集団が思っている以上に逃げが強力だったりすると、逃げ切られると困るチームは集団を牽引せざるを得なくなる。

 ライバルチームの足を使わせて、自分達のチームの足を温存させる為にも、逃げは大きな作戦の一つなんだよ。

 それに、逃げるとテレビに大映しになるでしょ。目立つ事も大切な事なの。チームのスポンサーを大きくアピール出来るチャンス。

 自分自身をアピール出来るチャンスにもなる。

 だから、逃げたいと思っている選手は沢山いるけど、力も必要だし簡単に出来る事じゃないんだよ」


 一花は「ふ〜ん」と、分かったような分からないような顔をしている。


「ねぇ一花。何であなたはフルールに惹かれたの?」

 美里は思い切って聞いてみた。


「笑ってたからかな?‥‥‥

 作り笑いじゃなかった。笑ってるのにチャラい感じじゃなくて、カッコよかった。私の笑いとは違った。

 自転車に乗ってるのが楽しそうに見えた。三回も転んで、ボロボロになっちゃっても、ゴールまで頑張った。

 一番可愛くて、一番カッコいいって思った。私とは全然違う‥‥‥」


 一花の顔に涙が伝っていた。


「この娘は‥‥‥」

 一花の心の中にある暗闇を美里は垣間見たような気がした。

 それが何なのかは分からないけれど、そいつをいつか私が晴らしてあげる、そう思った。

 美里は優しく一花を抱きしめた。


 ★


 三度の落車で身体を痛めたフルールは、本来のパフォーマンスを発揮する事は出来なかったが、毎日チームの為に出来る仕事をこなしながら、一日一日きちんと完走し、八日間のステージを見事に走り切った。

 最終日の山頂ゴールを笑顔で小さく手を振りながら越えていった。

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