第一回ツールファム TV観戦
『ツール・ド・フランス ファム』
女性版ツール・ド・フランスが八月に新しい形となって初開催された。
男子のツール最終日、男子レースがシャンゼリゼ通りに入ってくる前に、その同じ場所で女子のレースが開幕した。
男子が21日間なのに対し、女子は8日間だけれど、平坦ステージ、丘陵、グラベル、厳しい山岳ステージと、様々なコースレイアウトが組み込まれ、内容はとても濃い。
全24チーム、144名の女子選手たちがパリに集結した。
ここ数年の間に女子のロードレースのレベルがグッと上がり、テレビ放映なども多くなってきた流れの中で、遂に世界中に注目される形で「ツール・ド・フランス ファム」は幕を開けたのだ。
日本でも毎日三時間位のライブ放送がある。
美里はそれをすごく楽しみにしていた。
もう一年、いや二年、早く始まっていれば良かったのに。
ここに出場したかった。
世界中に注目されて、こんな舞台を走りたかった。
楽しみではあるけれど、そんな思いを押し殺す事は難しい。
チーム紹介が始まった。
テレビ画面には昨年まで一緒に戦ってきた選手達が現れる。
日本でも放映されているのに、日本選手の出場はない。
ここに私がいたら、日本人の私を沢山の人が応援してくれただろうにな。活躍できたら、日本も盛り上がって、ツールを目指す若い子達が出てきただろうにな。
何でもう一年、頑張れなかったんだろう?
ううん、一年頑張った所で出場は出来なかっただろうな。
そんな事を考えていたら、美里が在籍していたチーム「チーム・アクア・オンディーヌ」が登場してきた。
馴染みのウエア。濃紺基調の上下で、水色のストライプと雫模様がシックで美しい。
エースはニナ。少し前に行われたジロではチーム力が上手く機能せず、表彰台を逃していたが、今回の優勝候補の一人に変わりはない。
横に並んだ六名の顔が一人一人クローズアップされていく。
一番端っこにいる選手の顔が大写しになった時、美里はハッと息を呑んで固まった。
フルール?
フルールに違いないけれど、フルールじゃないみたい。
十ヶ月で化けた⁉︎
化粧っけもなく、少年のような出立ちだったフルールは髪を伸ばし、うっすらと化粧をして、とてもチャーミングな少女になっていた。
「フルール、可愛いよ」
思わず美里は画面越しに声を掛けた。
フルールははにかんだような笑顔を見せて手を振り、後段した。
間もなくレースが開始された。
シャンゼリゼの石畳を駆け抜ける集団を、ジャンヌ・ダルク像や凱旋門が見守っているように見える。
これまで男子のツールで幾多の名勝負が繰り広げられてきた1周6.8kmコースを今回は12周する81.7kmの勝負だ。
ウエアやバイクの色はカラフルで、ヘルメットから長い髪を靡かせて走る選手が多く、プロトンは男子にはない華やかさがある。
美里は現役時代、スピードや迫力など少しでも男子選手に近づく事を目指していたように思う。
でも、客観的にこのレースを観ながら、男子に近づこうとするだけなら、そこに劣る女子レースの意味はあまり無いのかもしれないと思った。
スピードや迫力は男子には敵わないけれど、男子のレースと比べてどーのこーの言うんじゃなくて、女子のレースは女子ならではの魅力があると美里は感じた。
初日から激しいレースが展開されていた。
この日、一位で駆け抜けた選手が女子で初めてマイヨジョーヌを着用することになる。
大観衆の前で、世界中の人達の注目を集めて走れる事に、皆の鼻息は荒い。
アドレナリンが出まくってるせいだろう。逃げに出ようとする選手が次から次へと現れるが中々容認されず、激しいアタック合戦がかれこれ一時間位続いている。プロトンの緊迫感も半端ない。
集団に疲れが見え始めている。
そう思った時、一人の選手が勢いよく集団から飛び出した。
濃紺と水色のウエア。同じく濃紺ベースで真ん中が丸く水色に彩られたヘルメットはよく目立つ。
フルールだ!
必死に追走する選手がいて、集団が縦長に伸びる。所々で中切れと牽制が起き、間もなくフルールを含む三名の逃げが決まった。
三名がテレビ画面に大写しになる。
躍動感のあるフルールの走りは更に力強いものとなっている。
往年のロード選手のような筋張った脚ではなく、若者らしい柔らかくて張りがありそうないい脚だ。
ぽっちゃりとしていた体型も少しロード選手らしいものとなった。
ビスケット色の髪が後ろに靡かせながら走る姿が美しい。
フルールはガンガン牽いている。
十キロ程を三人で逃げ続けた。
カッコいいな、頑張れ!
美里がそう思っていた時、テレビの中から大きな叫び声が漏れた。
「あ〜! 落車!」
ヘアピンコーナーで、逃げている三人の先頭を走っていた選手が前輪を滑らせて落車。
後ろの二人がそれに巻き込まれて、三人とも地面に叩きつけられた。
「え?」
美里は目を見開いたが、フルールはすぐに立ち上がった。自転車を立て直し、すぐに跨る。
大きな怪我は無いようで、ひとまず美里は胸を撫で下ろした。
他の二人の選手もすぐに自転車を漕ぎ出した。
しかし、バラバラになった三人はスピードを緩め、集団に戻る事を選択した。
その後、大きな動きは無かったが
残り十キロを切って集団は活性化していた。
「残りはあと五キロ。スプリンターを抱えるチームが主導権を握ろうと前へ前へと激しい争いになっています」
美里は食い入るようにテレビ画面を見つめていた。
「落車〜。あ〜、集団落車です。
十人程が転んだか? かなり激しい落車でしたが大丈夫でしょうか?」
美里は無意識に紺と水色のヘルメットとアクアのウエアを探す。
「え?」
なんとフルールが巻き込まれている。地面に横たわっているのはフルールだ。ゆっくりと上体を起こし、暫く立ち上がれない。
どこを痛めたのだろう? 重症でない事を祈る。
フルールはゆっくりと立ち上がった。ウエアの左肩が破けて肩を擦りむいている。レーサーパンツの左側にも穴が開き、腿と脛の所を擦りむいているようだ。きっと打ち身もあるのだろう。
脚を引き摺りながらバイクを立てて、跨ろうとしたがチェーンが外れ、ディレーラーも曲がっていた。
チームカーから慌てて降りてきたスタッフからスペアバイクを受け取り、言葉を少し交わして彼女は走り始めた。
落車した数名の選手とチームカーが入り乱れて混沌としている中、フルールが自分の怪我の状態を確かめ終えて、スピードを上げていこうとした時だった。
よりによって、自分の後輪とチームカーが接触して、フルールが吹っ飛んだ。
「どうして⁉︎」
思わず、美里は悲鳴を上げて目を覆った。
幸い車にひかれずにすんだが、激しい転倒だった。
チームカーは急ブレーキを掛け、スタッフが車の中からすっ飛んできた。
フルールは大丈夫なのか?
暫くその場に倒れて動けなくなっていたフルール。
緊張感が走る。
スタッフが駆け寄ると、突然フルールはスクッと立ち上がった。
三度重なった落車に、心が折れるどころか、
ジャージも身体もボロボロになりながら、笑顔で親指を立てた。
「アイム、オッケー!」
サイズの合わないスペアバイクに乗り換え、ゆっくりとゴールを目指すフルールの姿が映った。
大集団のままのゴール勝負となったプロトンがゴールになだれ込んでから約十分後、フルールは右手を小さく振って笑顔でゴールラインを越えた。
「私は大丈夫」とアピールしているようだった。
そのゴールは世界中に放映されていた。
「フルール、よくゴールしたね。ナイスファイト!」
美里の目からは涙が沢山溢れていた。
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