初めて乗るロードレーサー

 学校近くの公園で美里と一花の笑い声が響いている。


「うわっ! この真っ赤なロードレーサー、むっちゃカッコいい! ねぇ先生。私、これに乗っていいの?

 タイヤ、ほっそ! これ、ドロップハンドルって言うんでしょ? それにサドル、高〜! めっちゃ前傾しそう。こんなの、乗れるのかな? ねぇ先生。早く乗りたい。乗ってみていい?」


 美里から借りたヘルメットを被った一花はテンション上がりまくりだ。

 一花はロードに乗るのは初めてだろうけど、小学生の頃にBMXに乗ってたって言っていたから、まあ普通に乗れるだろうな、と美里が考えていたら、「乗ってごらん」とも何も言ってないのに彼女は勝手に乗り出した。

 ヒョイと跨ったかと思うとスイ〜っと走り始める。

「うわっ! すごっ! めっちゃ進む〜!」


 キャッキャキャッキャと叫びながら、曲がってみたり変速してみたり、初めてとは思えないように自転車を操ってみせた。


「うわっ! こんなに沢山のギアが付いてる。こんな軽くなるんだ〜。先生、早く早く。先生も一緒に走ろうよ〜」


 美里はそれを見ておったまげた。

 自分が高校の自転車部に入って、初めてロードレーサーに乗った時の事を思い出していた。

 ロードレーサーにまたがる事さえおっかなかった。ママチャリと違って前側から跨ぐ事は出来ないから、足を後ろに振り上げなくちゃいけない。

 ブラケット(ハンドルにあるブレーキが付いていて握る所)を持って片方の足をペダルに乗せて、エイって前に漕ぎ出すんだ! って言われても、ムリ! って感じだった。

 タイヤ、細いし、すごく前傾姿勢になるし、バランスをとる自信がない。

 ママチャリとはまるで別の乗り物に思えて中々踏み出せなかった。

 でも、他の子がやってるのを見て、自分もやらざるを得なかった。

 思い切ってエイって前に漕ぎ出したら、意外と大丈夫だった。

 ちょっとフラフラしながらも、ちょっと漕ぐだけでスイ〜って前に進んで「何これ〜、凄い!」って、あの時の事が鮮明に思い浮かんできた。


 ギアが付いてる事さえ知らなくて、しばらくは変速しないで走っていた。ギアが重過ぎるとか軽過ぎるとか分からず、上り坂も重たいギアのまま、こんなものだと思って走っていた。


 まあ、一花は昔BMXに乗っていたと言ってたから、ママチャリしか知らなかった私とは違うだろうけど、それにしても初めから板に付き過ぎていて、美里はあっけにとられた。


「先生、何やってるの〜。早く行こうよ」


 美里は我に返って自分のロードに跨り、一花と並んで走った。


 こんなに楽しそうな一花を初めて見た。教室でも華があって、いつも友達とも楽しそうにやっているけれど、顔に少し化粧をしているのと同じようにどこか繕っているように見えていた。

 今、自転車に乗っている一花こそが素顔の一花のように思える。


 公園内で少し乗り方を教えようと思っていたけれど、その必要は無さそうだと思った美里はそのまま公道を走る事にした。


「公園から出て、少し公道を走るよ。最初は私が先導するから後ろに付いてきて。」

 美里が言うと、一花は「やった〜!」と嬉しそうだ。

 時々、チラ見する位で、後ろに目が付いているわけじゃないけれど、息遣いや気配で一花の状態は大体わかる。


「一花、楽しそうだね。すごくいい感じ。この先しばらく道なりだから、私の前を走ってみて」


「ラジャ!」

 と可笑しな返事をしながら、前に出る一花。


 躍動感のある走りは、初めて出会った時のフルールを見ているようだった。脚が真っ直ぐで綺麗。ぽっちゃりしていて、全然ロード選手っぽい脚じゃないけど、長くて真っ直ぐな脚もフルールに似ている。

 そして自転車に乗ると、醸し出す雰囲気が益々そっくりだ。


 この先は少しアップダウンが続く。

 美里はあえて何も言わずに、一花がどんな風に走るのかを後ろから見ていた。


 上り坂。

 一花はサドルから腰を浮かせた。ダンシング。何も教えていないのに、綺麗なダンシングをして坂をグイグイと上っていく。


 なんて娘なの?

 彼女は今、運動靴にフラぺ(フラットペダル)。

 選手達が使用するビンディングペダルは、スキーと同じようにシューズとペダルが一体化されて、それだとダンシングもやりやすいのだけれど、フラぺでは難しい。

 そもそもダンシングは高度な技術が必要で、かなり乗っている人でも上手くダンシングを出来ない人は大勢いる。


 ダンシングを続ける一花に声を掛ける。

「一花。すごいね。ダンシング、すごく上手」


 一花は息も切らさずに答える。

「だって先生。BMXはずっと立ったまま漕ぐんだよ。だからへっちゃら。それに、ずっと座っててお股痛くなってきてたから、解放された感じ!」


 この娘は大物だ。

 絶対に強くなる。日本を代表する選手になるに違いない。いや、これまでの日本選手にはないスケールの大きさだ。

 競技の世界に引き込みたいな。


 美里は強くそう思った。


 しかし、一瞬でそれを否定した。

 何で私は競技にこだわるの?

 自転車の楽しみ方は色々ある。

 どれが良くて、どれが悪いなんて事はない。

 一花はこんなに楽しそうに走ってるんだから、それでいいじゃない? それ以上何を望むの?


「先生〜。ほら、今度は下りだよ。ヒャッホ〜! き〜もちいい〜!」


 美里もどんどん楽しくなってきた。こんな気持ちで自転車に乗った事はあったかな?


「先生、明日も一緒に乗ってくれる?」


 それから毎日のように、二人は放課後一緒に自転車に乗った。







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