バッド選択・恋愛 ~欠落~






 明日は終業式、そして華絵の追試の日だ。


 この短いようで長かった数日間は、俺に華絵という存在の大きさを改めて認識させていた。


 ずっと一緒にいてくれた華絵が離れていくなんて、想像すらしていなかった。


 傍にいて当然だって、当たり前だって思っていたのが間違いだった。


 蔑ろにしているつもりなかったが、大切にしていたかというとそうでもなかった。


 華絵に言われた、幼馴染はこうだという、勝手な幻想を抱いていた事も事実なのだと思った。


 どうして俺は、何が起きても華絵だけは離れないなんていう馬鹿な幻想を抱いていたのか。


 言葉にした事もない、態度で示した事もない。流されるままに状況を受け入れ、何の反応もしなかった。


 それなのに、状況が変わろうとしてから焦り出す。我ながら本当に馬鹿だと思う。


 でも気づけた。まだ間に合うはずなんだ。



「――――華絵、一緒に帰らないか」

「あれ、進くん? 珍しいね」


 その日の放課後、授業が終わったと同時に華絵の元へと行き、声を掛けた。


 一緒に帰ろうなどと声を掛けたのは初めてかもしれない。大抵、放課後は華絵の方から寄ってきていたからな。



「でもごめん、明日追試だから……」

「残って勉強するのか? それなら待ってる……というか教えるけど」


「大丈夫だよ。問題集があるから」


 そう言いながら、華絵は帰り支度をし始める。帰る様子なのに、一緒に帰れないのだろうか?


 思えば華絵が俺の事を拒否した事なんて、あまり記憶にない。なんだかんだ言いながらも、華絵は俺に付いてくる事が多かった。


 そのせいか、心に僅な焦りが生まれた。今日、華絵と話が出来なければ、二度と元には戻れないような。



「なぁ華絵。ちょっとだけ時間をくれないか? 話があるんだ」

「……分かった。なら、後で進くんの家に行くから」


 家に来て話をしてくれるとは言ってくれたが、一緒に帰るつもりはないようだ。


 何か用事があるのかもしれない。でもなぜか、後で来るという言葉が気になる。


 ――――黙って家で待つ――――


 黙って家で待っていよう。華絵は来てくれるって言ったんだ、余計な事をして話してくれなくなっても困るし。


 俺は華絵に別れを告げ、一人家路に着いた。



 ――――

 ――

 ―



 なかなか華絵がやって来ないため、連絡をして確認をしてみようと思った時、インターホンが鳴った。


 こんな時に誰だとドアホンを覗いて見ると、そこには華絵の姿があった。


 今までインターホンを押す事なんてあっただろうか? ともあれ、華絵を家に招き入れた。



「わざわざ悪いな」

「ううん。わたしも、話があったから」


 リビングのテーブルを挟んで、向かい合わせになった俺達に沈黙が降りた。


 いつもなら華絵が飲み物でも入れてくれる所だが、華絵に動く気配はなかった。



「うん? どうしたの?」

「あ、あぁいや……なにか飲むか?」


「わたしはいいかな」

「そうか……」


 なにか違和感がある。華絵には緊張している様子などなく、いつも通りといえばいつも通りだった。


 嫌な感じの違和感、そんな雰囲気の中、俺は話を始めた。



「な、なぁ華絵。明日、追試だけどさ……」

「そうだね。わたしも早く帰って勉強しないと」


「ここでやっていけばいいだろ? なんなら、泊まっても……」

「ううん、帰るよ」


 結構な覚悟で言った事を、あっさりと断られた。


 少しも考える事なく、それが当たり前であるかのようなトーンだった。



「……追試が終わったら、また来てくれる……んだよな?」

「…………」


 ここで華絵の表情が変わる。ここ最近何度か見た、真剣な表情だ。


 そんな真剣な顔をする事なのか? また元に戻ろうって言っているだけじゃないか。



「……ねぇ進くん。前にも聞いたけどさ、どうしてわたし、来なきゃいけないの?」

「そ、それは……だから今までも……」


「今までも?」

「今までもそうだっただろ!? 華絵だって、そうしたいから来ていたんだろ!?」


 つい言葉に力が入ってしまう。それほど大きな声ではないと思うが、華絵は驚いてしまうかもしれない。


 しかし華絵は特に表情を変えず、僅な微笑みを携えながら衝撃的な発言をした。



「ごめんね。わたしの意思で来ていた訳じゃないんだ」

「……ど、どういう事?」


「知らないのならいいの、別に」


 分からない、華絵の言っている意味が分からない。


 華絵の意思で来ていないって、じゃあ誰の意思で、誰の頼みで来ていたって言うんだよ。


 いやそうか、俺の母さんだ。一人暮らしの俺の面倒を見てやってくれって、華絵に頼んだんだ。


 そういえば華絵がウチに来るようになった時、そんな事を言っていた記憶があった。



「でもさ、そんな事であんな頻繁に来るのか? 華絵も少しはさ……」

「そんな事かぁ……」


「だ、だってそんな義理ないだろ!? いくら幼馴染だからって……」

「そうだね。幼馴染だから、こうなったのかな……」


 分からない。疑問も抱いてなかったから、誰に何を聞く事もしなかった。


 後悔しても遅いのか? 知っていれば、知ろうとしていれば、何かが変わっていたのか?


 どちらにしろ、俺の思いは変わらない。言いたい事は、ただ一つなんだ。



「傍にいてほしい、これからも」

「…………」


「色々と感謝もしている、華絵がいないと……だめなんだ」


「……それは、もう少し早く言ってほしかったな……」

「それは……悪かった」


「辛かったんだよ、わたしも。でも誰も、何も言ってくれないし。そうするのが当たり前だって、無言でみんなそう言ってた」


「そ、そんな事は……」

「でも、そうするしかなかったからそうしてきた。昔はそれでも良かった。わたしは必要とされてるって、思えてたから」


「…………」

「…………」


 なんと言えばいいのか分からず、黙って華絵を見つめる事しか出来なかった。


 事情を知らない俺は、何も言ってやる事が出来ずに、ただ自分の想いを伝える事しか出来ない。


 それがこの場において、間違いなのは分かる。だから、華絵の言葉を待つしか出来なかった。



「は、華絵……?」

「ごめんね、わたし――――もう決めたの」


 少し前から下がり気味だった顔を上げて、華絵はハッキリと口にする。


 その表情に悲しさはあれど迷いはなく、意思の強さが感じられた。



「もう、ここには来ないよ」

「……来ない?」


「あ、幼馴染じゃなくなるとか、友達をやめるとかそういう事じゃないよ?」

「…………」


 俺の家に来なくなるだけで、関係は変わらない。そう華絵は続けたが、それは大きな変化じゃないのか。


 ここからいなくなる。ずっとあったものがなくなる。それは、大きな変化じゃないのか。


 俺が何も言えずに黙っていると、華絵が立ち上がった。



「は、華絵? ちょっと待って――――」

「――――玲香ちゃんとの事、応援してるから。なにかあったら力になるから言ってね」


「お、俺は玲香の事は諦めてる! だからっ」


「そうなんだ……でもごめんね」

「な、なにが?」


「わたしも――――好きな人が出来ちゃった。だからここにはいられないよ。誤解されたくないし」

「は……?」


 なんだよそれ? それが一番の原因なんじゃないのかよ?


 なんだかんだ言ってたけど、他に好きな男が出来たからここにはいられないって事じゃないのかよ!?


 ならそうハッキリ言えばいいだろう! 俺が玲香が好きだとか、そんなの関係ないじゃないか!



「最初はね、それでもここに来なければならないと思って我慢してた」

「我慢……?」


「誰かを好きになるつもりもなかった。辛くなるだけだし」

「さっきから何を……」


「でもね、その人……まぁいいか、これは」

「…………」


 なんだよその顔。何を思い出したのか知らないけど、そんな笑顔……見たことないぞ。


 あれだけ長く一緒にいたのに、もう華絵の中に俺はいないのだな。


 いや、そもそも俺は、華絵の中にいたのか?


 なんでこんな事に……なったんだよ。


 誰だよ、誰なんだよ。華絵を変えたのは、華絵を俺から離したのは。



「じゃあ進くん。夏休み、楽しんでね」

「…………」


 楽しめるわけ、ないだろう。


 俺は家から出ていく華絵に何も言えず、日が落ちるまでテーブルを眺める事しか出来なかった。



 ――――

 ――

 ―



『――――もしもし』

「…………」


『もしもし? 進?』

「あぁ……」


『どうしたの急に? ママが恋しくなった?』

「ふざけんなよ……」


『はいはい。いつ帰ってくるかって話? それなら夏休み中に帰る――――』

「――――華絵の事」


『……華絵ちゃん? 華絵ちゃんがどうかしたの?』




「……華絵って、なんでうちに来るようになった?」

『……なにか聞いたの?』


「なにも聞いてねぇよ、何も……知らねぇよ」

『…………』



『……今ね、華絵ちゃんお家――――あまり家庭環境が良くないのよ』

「家庭環境……?」


『まぁ色々とあってね。華絵ちゃんを、今のあの家にはあまり置いておきたくないの』

「……まさか、華絵が頻繁にウチに来るようになったのって……」


『私達が、華絵ちゃんにこっちに来るように言ったのよ』

「そんな事、聞いてないぞ……」


『そんな簡単に言えるような内容じゃなかったからね』

「……何があったんだよ」




『……華絵ちゃんのお父さん、事業に失敗しちゃったらしくて』

「事業に失敗……?」


『そのせいか、夫婦仲がちょっとね……とてもじゃないけど、華絵ちゃんが可哀想で……』

「…………」


『だから晴山さん達と話し合ったの。事業の事に専念している間、華絵ちゃんの事はウチで預かるって』

「……それで?」


『晴山さん達はいい顔をしなかったわ。それを見た華絵ちゃんも、迷惑だからって』

「でも、来てたじゃないか」



『……この前、といっても数年前だけど……晴山さんの家にね、お金を貸す事になったのよ』

「……お金? 母さん達が、華絵の親に?」


『その時、お金を貸す条件として、華絵ちゃんをウチに預けるように話し合ったの』

「……条件って、華絵はそれを知ってんの?」


『知らないと思うけど……向こうの親が言ってなければ』

「…………」


『あんな状況なのに、華絵ちゃんを離そうとしなかったから、強引になったけど……』

「そんなに酷い状況なのか……?」


『当時はね。児相とかに相談した方が良かったのかもしれないけど……私達は友人で、あなた達は幼馴染だったから』

「幼馴染……」


『家庭環境が改善されるまでは、ウチにいてもらっていいって華絵ちゃんに言ってある。なんなら進と結婚したらってね』

「…………」




「だから進、華絵ちゃんの居場所になってあげなさい」

「華絵の……居場所」


「華絵ちゃん、他に行く所なんてないんだから」

「…………」



 俺は、華絵の居場所になれなかったのか――――

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